2012年1月31日火曜日

河川争奪の新発見

2011.01.30記事「横戸1谷津の縦断形」で書いたとおり、横戸1谷津の縦断形を検討している時、偶然旧版地形図の等高線から河川争奪現象を新たに発見しました。
次の図がその説明図です。

新発見した河川争奪の説明図

横戸1谷津はもともと横戸川に合流する谷津ではなく、もっと下流まで直線状に北に向かっていたものと考えました。
小崖2の形成に起因して形成されたと考える横戸川の東西性支谷津によって横戸1谷津が争奪されたと考えます。
争奪個所付近を拡大して旧版地形図とDMデータで見てみました。

横戸1谷津河川争奪個所(旧版地形図)

横戸1谷津河川争奪個所(DMデータ)
DMデータは千葉市提供

河川争奪個所は現在柏井浄水場の敷地内となっていて、宅地造成(盛土)のため自然地形の面影は残っていません。

この附近の断面図を作成すると次のようになります。

横戸1谷津河川争奪個所の地形断面

河川争奪を考えるに足る地形断面をしています。

旧版地形図をよく見るとこのポイントの東西両側にも別の河川争奪と考えられる地形を観察できます。

小崖2を発生させた地殻変動の結果東西性の谷津が生まれ、それにより数多くの河川争奪が発生したようです。

小崖2と小崖1を発生させた地殻変動のタイプが異なるらしいこともわかってきました。
また、小崖2を発生させた地殻変動は現代まで残る台地面谷筋パターンを形成したらしいこともわかってきました。

この記事は横戸1谷津に関して河川争奪現象を新発見したことの記述にとどめます。詳しい検討は小崖1に関わる検討の後に行います。

なお、この河川争奪は発生時期、タイプ、規模ともに花見川河川争奪と異なります。

2012年1月30日月曜日

横戸1谷津の縦断形

横戸1谷津に焦点を絞ってその縦断形を検討しました。

1 横戸1谷津の谷筋確認
次の図は旧版1万分の1地形図の谷筋線図で横戸1谷津を示しています。
谷筋線と等高線交点に印を付け、「レトロな」方法で縦断面図を作成できるようにしました。

横戸1谷津の位置(旧版1万分の1地形図谷筋線図)
旧版1万分の1地形図は大正6年測量

等高線の分布から横戸1谷津の形状は東側の谷津と比べてより浅いことが特徴です。

2 横戸1谷津谷筋の現代地図投影
次の図は現代地図(DMデータ)に上記谷筋線を投影したものです。

横戸1谷津の位置(DMデータ)
DMデータは千葉市提供

この図から、横戸1谷津の位置は、下流側はこてはし団地の中を通り、柏井浄水場の南端をかすめ、中流部は千種町の千葉鉄工業団地を通りその南の住宅地に抜けていることがわかります。

3 横戸1谷津の縦断面図作成
上記2の「横戸1谷津の位置(DMデータ)」図面をカシミール3Dで5mメッシュデータ(標高データ)と組み合わせて表示し、谷筋の現代地形における縦断面図を作成しました。
縦断面図には1で得た旧版1万分の1地形図の等高線交点情報による大正6年地形の縦断線も記入しました。

横戸1谷津の縦断面図
現代地形はカシミール3D+5mメッシュによる

現代地形断面は宅地開発にともなう人工改変の影響を受けています。
また、旧版地形図による地形断面は、詳細な検討において測量精度上の問題があることに留意する必要があります。
こうした条件を理解して上記縦断面図を見ると、この図は横戸1谷津のマクロな縦断形を知るうえで貴重な情報であると考えられます。

4 3Dイメージ図作成
上記地形断面図を検討する補助資料として2で作成した「横戸1谷津の位置(DMデータ)」図を3Dレリーフに被せるような3Dイメージ図を作成しました。

横戸1谷津の3Dイメージ図
カシミール3D+5mメッシュにより3D化

5 横戸1谷津縦断面図の解釈
1~4の情報を踏まえ、横戸1谷津縦断面図を次のように解釈しました。

横戸1谷津縦断面図の解釈

ここで注目すべきは、小崖1の南側で横戸1谷津の縦断勾配が本来の北下がりの勾配から南下がりの勾配に変化していることです。
地殻変動に伴う小崖1の成立に際して、その南の地形面が相対沈下しただけでなく、南に傾斜したことを確認できます。
もし、小崖1ができた時の地殻変動でその南の地形面が相対沈下しただけで、南に傾斜しなかったなら、崖下が凹地になり、そこに湖沼ができたりあるいは集まった水が逃げ場を求めて崖に沿った東西方向の流路ができたと考えます。

小崖1に沿って東西性の流路ができなかった(あるいはそこに湖沼ができなかった)ことは、小崖1の南側が本来の谷津勾配を逆転させて南に傾斜させるほどの大きな傾動があったことを示していると思います。

6 横戸1谷津に関わる河川争奪の新発見
上記縦断勾配図に「小崖2に起因する河川争奪による横戸川編入」の注釈をいれました。
横戸1谷津に関わる河川争奪を新たに発見しましたので、引き続き別記事で説明します。

つづく

2012年1月29日日曜日

截頭谷津の姿(資料補足)

2012.01.28記事「截頭谷津の姿」に資料補足します。

1 撮影位置図の3D表現
「写真1と2の撮影位置図」と「写真3と4の撮影位置図」を3D表現してみました。

写真1と2の撮影位置図(3D表現)
基図は千葉市提供DMデータ
3D表現はカシミール3D+5mメッシュによる
垂直方向に10倍強調

写真3と4の撮影位置図(3D表現)
基図は千葉市提供DMデータ
3D表現はカシミール3D+5mメッシュによる
垂直方向に10倍強調

撮影位置図を立体表示することにより写真の説明力を強く補強できることに気がつきました。
今後地形や風景写真の撮影位置図表現形式として立体表示を多用したいと思います。

2 3D表現における10倍強調のイメージ
3D表現において等倍より10倍強調の方が視覚的にわかりやすいので、使っています。
10倍強調の強調程度(等倍表現から強調変化した程度)を視覚的に確認するために、写真を10倍強調してみました。
次の写真は写真4を垂直方向に10倍強調したものです。

写真4の10倍強調
トリミングにより主要部のみ表示

この写真と2012.01.28記事の写真4(等倍)を比較することにより、10倍強調することによるイメージ変化を確認することができます。

2012年1月28日土曜日

截頭谷津の姿

小崖1によって截頭(*)された谷津の現在の姿の写真を示します。

写真1と2は横戸2谷津の現姿です。

写真1
小崖1の丁度その場所で、小崖1と直角の方向で撮影したもので浅い谷の形状になっています。

写真2
小崖によって截頭された「頭」の部分ですが、道路の勾配に浅い谷の名残を見つけることができました。付近は住宅地となっていて谷状地形は明瞭ではありません。

写真1と2の撮影位置図
基図は千葉市提供DMデータ

写真3と4は横戸4谷津の現姿です。
横戸4谷津は横戸川の本流筋になり、浅い谷の形状が明瞭に残っています。

写真3
明瞭な谷地形となっています。この谷地形は出口のない凹地となっています。

写真4
市街地が進んでいない農耕地となっている部分では、浅い谷の姿の全体を観察できます。

写真3と4の撮影位置図
基図は千葉市提供DMデータ


*截頭:せっとう、「斬首(截頭)された川」などの言い回しが専門古書にはあります。 このブログでは頭[上流部]を切られた谷津(川)の意味で用いています。

2012年1月27日金曜日

小崖1によって截頭される谷津

次の図は旧版1万分の1地形図に横戸川、宇那谷川の谷筋線を入れたものです。

旧版1万分の1地形図による谷筋線
ピンク網は27.5m等高線以高地域
青は凹地等高線で囲まれた地域
橙色線は小崖1
ABは断面図設定線

この谷筋線図をカシミール3Dによって現在の地形(5mメッシュ)により3D表現してみました。

谷筋線図の3D表現

この図から小崖1によって横戸1~4の各谷津が截頭され(切られ)ていることがわかります。
また、それより上流部の谷津(手前側)は横戸1、2、3では東京湾側流域に編入したような様相を呈しています。
しかし、横戸1、2、3の谷津と東京湾側水系の谷頭浸食部との間には急崖(段差)があります。
このことから、小崖1から東京湾側水系谷頭浸食部までの谷筋は、谷筋形成時の流向(南→北、図では手前→奥)が、小崖1ができた後に逆転した珍しい地形となっていることがわかります。

横戸4は現在でも谷津地形を残し、必ずしも東京湾側流域に編入されていない独立した凹地になっています。これも珍しい現象です。
近くの東京湾側水系の深い浸食谷から横戸4を見ると、尾根(台地)上に谷津があるように見ることもできて、そのように意識すれば、地形の逆転と捉えることもできます。

小崖1に沿って断面図を作りました。

小崖1に沿う地形断面図

これによると、横戸1→横戸2、3→横戸5、6→横戸4の順に谷底の標高が低くなり、横戸4が横戸川の本川筋であったと考えることが妥当だと考えました。
小崖1から南側の谷地形の明瞭さもこの順番になっているように観察できます。
偶然だと思いますが、横戸川の本川筋と想定した横戸4の谷筋が最も南まで追跡できます。

2012年1月26日木曜日

カシミール3Dの魔力に憑りつかれる

パソコンモニターシステム調整に関連して、この数日どうしたわけかカシミール3Dが使えなくなっていて、本日使えるようになりました。
この数日、使えないカシミール3Dの立体表示が、自分の花見川流域認識になくてはならないものになっていることに、改めて意識させられました。
そして、使えるようになって貪欲にカシミール3Dを試しました。
まず、5mメッシュの3Dレリーフ図の高さ強調を変更することができるようになりました。
これまで高さ強調1倍で全ての3Dレリーフ図を作成してきましたが、高さ強調10倍の3Dレリーフ図を作り、地形認識をより詳細に直観できるよになりました。

高さ強調1倍の3Dレリーフ図

高さ強調10倍の3Dレリーフ図

また、別のGISソフト(地図太郎)で作成した資料をこの高さ強調10倍の3Dレリーフ図に被せるような形で3D表現することもできるようになりました。

GISソフト(地図太郎)作成資料
旧版1万分の1地形図による谷筋線

旧版1万分の1地形図による谷筋線図の3D表現
高さ強調10倍

この3D表現を利用することによって、小崖1付近の地形について、これまで気がつかなかった情報を得ることができるとともに、言葉で伝えることが困難な地形を伝えることができます。

昨年12月からカシミール3Dで5mメッシュの活用を本格的に開始しましたが、現在、カシミール3Dの魔力に憑りつかれつつあるような心理状況です。

フリーソフトとしてカシミール3Dを提供している作者DAN杉本氏に感謝します。
また国土地理院による基盤地図5mメッシュ(標高)の公開に感謝します。

2012年1月25日水曜日

花見川の薄雪化粧

1月23日の晩に降った雪で、24日早朝の花見川は薄雪化粧の風景になりました。
いつもの花見川とはまた少し違った雰囲気です。
弁天橋から柏井橋までの堀割部の風景写真を撮ってみました。
いずれもフォトショップのphotomerge機能で数枚の写真をパノラマ化したものです。

弁天橋から下流方向(南方向)
雪で白くなった家の屋根が風景を引き立てていました。

上部が陽にあたる西岸
一瞬スキー場にいるような錯覚を覚えました。

サイクリングロード
出会う人はほとんどいませんでした。

風景に遠近感をもたらす河道の屈曲
薄雪化粧から、メントールの匂いがするような透明感のある雰囲気を感じました。

柏井付近の西岸
マダケ竹林が白い帽子をかぶったようで、陽のあたり方と重なって、コントラストの強い風景になっていました。

2012年1月24日火曜日

小崖1の現況写真

市街地開発前の姿に近いと思われる小崖1の現況写真を示します。
比高は2.5m程です。
このように崖を意識できる場所は少なく、ほとんどの場所で崖が何段かの整形宅地段差に変わっています。
道路もほとんどの場所で坂を意識しないで済むようになっています。

「小急崖」の姿をとどめる小崖1(下から撮影)

「小急崖」の姿をとどめる小崖1(上から撮影)

写真撮影地点(千葉市花見川区千種町)
1万分の1地形図「八千代台」(部分)

2012年1月23日月曜日

小崖1

花見川西岸から東岸にかけて発達する小崖1は、それを境に北側で上昇、南側で沈降という地殻変動を象徴している地形です。
この小崖1について確認してみました。

ア 文献
小崖1は戦前の学術論文でも言及されている有名なものです。

戦前学術論文に登場する小崖1
小急崖として掲載されています。(赤色は引用者が塗りました。)
花井重次・千葉徳爾(1939):関東平野の凹地地形について-特に下総台地上の凹地地形-、地理第2巻第2号

この論文では小急崖が台地上の無水谷を截頭していることが記述されています。
なお、この文献では旧版1万分の1地形図を資料にして小急崖を抽出しています。

イ 米軍空中写真
米軍空中写真(1949年撮影)を実体視して小崖1を当時の地形で確認してみました。

米軍空中写真(1949年撮影)判読による小崖1
白線が確認できた小崖

戦後市街地化が行われる前の本来の地形に近い状態の小崖分布を確認できたと思います。

ウ 基盤地図5mメッシュ
基盤地図5mメッシュをカシミール3Dで運用して3Dレリーフ図を作成して、小崖1を抽出しました。

3Dレリーフ図による小崖1
カシミール3D+基盤地図5mメッシュ

基盤地図5mメッシュ(標高)の値は10㎝単位ですが、カシミール3Dによる3Dレリーフ表示は1m単位になります。
この3Dレリーフ図では、ほとんどのところで小崖1の比高は2mで表現されています。

エ 小崖1の常在性
花見川東岸地域は市街地化が激しく、開発に伴って地形の平坦化が進み、谷津地形の多くが失われています。
しかし、上記のイ米軍空中写真とウ基盤地図5mメッシュを比べてわかるように、小崖1は比高が2mという小規模の崖であるにも関わらず、開発により失われている部分が少ないことが特徴的です。
これは、小崖1の南側も北側も平坦な土地が拡がっているため、埋立あるいは削剥により崖を除去できないためであると考えられます。
連続した小崖は土地開発に対して常在性が備わっているようです。

2012年1月22日日曜日

犢橋長沼地区の検討

花見川東岸の犢橋長沼地区の地形や利用について、幾つかの記事に分けて考えてみます。
次の地図は旧版1万分の1地形図にこの地域の地形特徴を記入したものです。

犢橋長沼地区の地形の特徴
旧版1万分の1地形図「三角原」「六方野原」「大久保」「検見川」の各一部
赤丸は谷中分水界
オレンジ線は等高線から判読できる小崖
ピンクは27.5m等高線以上の高度地域
青は等高線により表現された凹地
緑は復元長沼池(古文書より復元)

この地形図の範囲を3Dレリーフ図に示しました。

犢橋長沼地区の3Dレリーフ図
カシミール3D+5mメッシュ
白線が上記地形図の概略範囲(一部欠ける)

検討を深めるために谷中分水界を有する谷津に固有名称を与えて、個別認識をしたいと思っています。しかし、この地域は明治から終戦まで下志津原演習場であり、その前は野(入会地)であり谷津の名称(仮称)にふさわしい地名(小字など)が不足していることがわかりました。
そのため、仕方なく、次のような仮記号を付けて、当面の検討に使うことにします。

検討のための谷津仮記号

横戸1~6は横戸川上流部の谷津、宇那谷1~3は宇那谷川上流部の谷津、長沼池のある谷津は宇那谷川の本川であり、宇那谷川とします。

なお、この地域は花見川西岸と比較すると、人工改変が著しいという特徴があります。
また千葉県地質環境インフォメーションバンクのボーリング資料も空白地区となっています。
従って芦太川の検討のようにデータが豊富ではないので、どの程度検討を深められるかわかりませんが、知恵を絞って、検討し、花見川河川争奪の参考情報を得たり、この地区の歴史文化に触れたいと思います。

2012年1月21日土曜日

芦太川上流部の想定ルート

次の図は芦太川の浅い谷の谷中分水界より上流部方向の地形を俯瞰した3Dレリーフ図です。

芦太川上流部の地形
カシミール3D+5mメッシュによる

この3Dレリーフ図を使って、小崖1より上流の芦太川ルートを想定してみました。
次の図は「千葉県の自然誌 本編 千葉県の大地」(千葉県発行)に収録されている地形面分布図です。原図は杉原(1970)です。

下総台地西部のおける地形面の分布
「千葉県の自然誌 本編 千葉県の大地」(千葉県発行)収録

この分布図に示される下総上位面と下総下位面の境の概略を上記3Dレリーフ図にプロットして、芦太川ルート検討の対象範囲を限定しました。
下総下位面は下総上位面を浸食してできた海岸段丘ですから、下総下位面には芦太川の浅い谷は残っていることはありません。
このように検討範囲を限定して、その中で、台地面に残存する浅い谷地形を探して、芦太川上流のルートを探りました。 次の図にその結果を書き込みました。


芦太川上流部想定ルート

台地面上の浅い谷状地形の存在から、現在の長作台1丁目、2丁目のある台地に芦太川の上流ルートを追跡できると考えました。
それ以上の追跡は東京湾側水系の浸食が激しく、出来ませんでした。

芦太川の流路を小崖1までの認識で終わらせるのではなく、その南(標高は低くなる)に追跡して考えるという思考は、この附近の地形地質を考える上で必須事項です。

なお、検討副産物になりますが、想定ルートのすぐ東の東金街道が通っている台地が低位段丘であることに気がつきました。
直感的には千葉第Ⅰ段丘に該当する河岸段丘のように感じられます。

2012年1月20日金曜日

下総台地のボーリング資料

芦太川の地形観察の最後に芦太川東岸台地のボーリング資料を眺めてみました。

千葉県地質環境インフォメーションバンクのボーリングデータを標高を比較できるように並べてみました。

下総台地のボーリングデータ


ボーリングデータ位置図

1~7は下総上位面のデータ、8と9は下総下位面のデータ、10は古柏井川の河岸段丘のデータです。
これらのデータの単純な比較表を次に作りました。

下総上位面のデータ2は人工改変の程度が激しいので集計から除外した。

上記データから次の2点の特徴についてメモしておきます。

ア 下総上位面のデータから地殻変動の様子を感じることができる
地形は1→4に向かって高まり、4→7に向かって低くなりますが、粘土層と砂層の境の標高はほぼこれと同じ傾向を示します。粘土層の堆積は水平に近いものであったが、その後の地殻変動でこのような現象が生じたと理解します。

イ 既往地学知見と整合的情報であると感じることができる
次の模式図は「千葉県の自然誌 本編 千葉県の大地」(千葉県発行)収録の下総台地模式地形地質断面図です。この模式図は杉原(1970)をベースにしているものです。

ボーリングデータ1~7(下総上位面)、ボーリングデータ8、9(下総下位面)、ボーリングデータ10(古柏井川河岸段丘)の3者対比をその層相記述からだけで行うことは無理です。
しかし、上記模式図の考えをボーリングデータに投影して理解することは可能のように感じます。
つまり、上記模式図とボーリングデータの関係は整合的に理解することができると考えました。

2012年1月19日木曜日

高津新田の竹林

以前、旧版1万分の1地形図(大正6年測量)における竹林の偏在分布について話題にしました。
柏井付近に竹林の分布が集中していて、堀割普請と関係するのではないかと推論したのですが、すっきりした結論にまでは到達できませんでした。
この検討の際、高津新田(主に仲東谷津北岸台地)にも竹林が偏在していることに気がつきました。
最近仲東谷津をはじめ高津新田付近を歩く機会がありましたので、再度高津新田付近の竹林偏在の理由について考えてみました。

旧版1万分の1地形図における竹林記号の分布

過去の関連記事
2011.2.4記事「花見川上流紀行17竹林その1
2011.2.5記事「花見川上流紀行19竹林その2
2011.2.6記事「花見川上流紀行20竹林その3
2011.6.12記事「タケノコ採り

現在、高津新田付近は市街地化がすすみ、竹林はほとんど残っていませんが、旧家の屋敷地内には、マダケの竹林を見かけました。

旧家の屋敷内のマダケ竹林

さて、大正6年測量の地図で確認できた高津新田における竹林の偏在について、その根拠ある理由はわかりませんが、次のようなメモを作成しておくことにより、自分自身の思考の片隅にアンテナを張っておきたいと思います。
そして、いつの日にか根拠ある理由を語れるようになりたいと思います。

ア 柏井の竹林の主分布地は花見川谷津の谷壁斜面である。高津新田の竹林分布地も斜面(小崖2)が多い。
→元来日本にはない竹林を育てた主要因は防災上のものである?
→印旛沼堀割普請に関連して、防災工法(法止め)として持ち込まれたのが柏井における最初の竹林である?

イ 柏井の竹林と高津新田の竹林は直線距離で、近いところで約1㎞しか離れていない。
ウ 高津新田の開拓参加農民に柏井からの参加者が含まれていた可能性が高い。
エ 高津新田の最初の検地は享保の頃であり(八千代市教育委員会ヒアリング)、印旛沼堀割普請が行われた享保、天明、天保の頃の柏井で起こった出来事(最新技術導入等)の情報が生産性向上に励む開拓地・高津新田にそのまま伝わった可能性が高い。
→人的関係(姻戚関係等)により、柏井から高津新田に竹林分布が飛び火した可能性?

オ 現代でもマダケのタケノコを(転売目的で)採る人がいて、近在(勝田台や八千代台)の非スーパー系青果店で売られている。(地元内流通が存在する。)
→当初、防災上の役割で形成された竹林が、タケノコ生産や農業用資材提供の機能を果たすことにより、土地利用上の市民権を得た?

2012年1月18日水曜日

仲東谷津と芦太川合流部の人文

仲東谷津と芦太川合流部付近は高津新田遺跡となっています。
千葉県教育委員会のWEB「ふさの国文化財ナビゲーション」によると次のような情報を得ることができました。

遺跡名:高津新田遺跡
所在地:八千代市八千代台南字不明2-4他
種別:包蔵地、集落跡、牧跡
時代:旧石器、縄文(早)、奈良
立地・現状:台地状・畑、山林、宅地
遺構・遺物:住居跡、空堀、土塁、野馬堀、溝・尖頭器、縄文土器、土師器、陶器、泥面子
文献:文36、38
備考:大請遺跡を含む、八千代台南遺跡と高津新田野馬堀遺跡を統合、s60、H2、4年調査、一部消滅

ふさの国文化財ナビゲーションの検索画面

高津新田遺跡について、「八千代市の歴史 通史編 上」(八千代市発行)には次の説明が載っています。(p121)
八千代台駅から約800mほど南の八千代台南二丁目周辺一帯は高津新田遺跡として知られているが、平成4年7月、遺跡の一部が宅地造成されることになり発掘調査が行われた。調査の結果、市内で最古となる竪穴式住居跡が発見された。
住居の規模は、長径4.2m、短径4.0mのやや変形した四角形で、壁際にそって多数の小柱穴がめぐらされているほか、中央部には屋根を支える支柱穴が数か所あり、建築面積は約16平方mである。
また、夏島式土器や稲荷台式土器のほか、同時期を考えられる有舌尖頭器1点、石鏃5点、石片などが出土している。


私が円錐体地形と呼んだ仲東谷津の水流が形成した一種の河岸段丘は、南東向きの緩斜面で日当たりがよく高燥であり、かつ仲東谷津や芦太川の水場に近く、旧石器時代、縄文時代から恰好の居住場所として利用されてきたことが、上記情報から判ります。

なお、牧跡(高津新田野馬堀遺跡)は円錐体地形ではなく、仲東谷津の南側の台地にあります。(文36「千葉県八千代市市内発掘調査報告平成2年度」、文38「千葉県八千代市市内発掘調査報告平成4年度」)
近世になっても、二つの浅い谷が合流し、そこが谷頭浸食部となっているというこの附近の地形要衝としての特性が、牧境として利用されてきたことが判ります。(2012.1.2記事「谷中分水界と野馬除土手」参照)

2012年1月17日火曜日

芦太川検討の課題

芦太川は花見川のすぐ隣にあり、花見川の河川争奪を考えるとき、貴重な参考情報を提供してもらえる可能性が濃厚であると予感しています。
従って、詳しくその地形発達の歴史を調べたいと思っています。
しかし、何から何まですぐに調べるわけにはいかないので、とりあえず検討課題を抽出しておきたいと思います。

検討課題を考える上で、カシミール3D+5mメッシュによる3D地形レリーフ図を10数画像作成して、いろいろな角度、高度から地形を眺めてみました。
そうすることで自分自身の問題意識を深めることができました。

芦太川の3D地形レリーフ図 例1
カシミール3D+5mメッシュによる。以下の画像も同じです。

芦太川の3D地形レリーフ図 例2

芦太川の3D地形レリーフ図 例3

これらの画像から、次の検討課題を抽出しました。
なお、説明番号は下の説明図に掲載しました。

ア 仲東谷津の浅い谷、芦太川浅い谷と下総下位面との関係
下総上位面(1)が海から陸に移行する時期に形成された芦太川の浅い谷(3)と仲東谷津の浅い谷(2)は、2→3の順番で、地殻変動を主因として化石谷化(非アクティブ化)したと考えました。
下総下位面が形成されたのは、これより新しい時代と考えます。
そうした想定に、地形データや地質データが整合的に対比可能か確認する必要があります。

地形で言えば、
芦太川浅い谷(3)と連続する削り残しの面があるか?(例6)
下総下位面に連続する河岸段丘があるか?(例5)
5と6の関係はどうなっているのか?
などを調べる必要がありそうです。

地質で言えば、仲東谷津(2)や芦太川浅い谷(3)のボーリングデータと下総下位面(4)のボーリングデータを、その両者の間の下総上位面(1)のボーリングデータを媒介して対比検討することが必要と考えます。

イ 低位河岸段丘の対比
仲東谷津の出口に発達する円錐体地形(8)と左岸(西岸)に残っている低位の河岸段丘(9)はその連続性から同じ時代の地形面のように想像できます。
それと芦太川が高津川の合流する付近に発達する河岸段丘(7)(おそらく千葉第Ⅰ段丘)との対比を正確に行う必要があります。

例えば、仮に8、9、7が千葉第Ⅰ段丘とすると、その時代(武蔵野面形成時代)の谷頭浸食部が円錐体地形に該当する場所である可能性が増します。
この例えが当たっているかどうかは別にして、正解が判れば、その情報は、花見川の河川争奪を考える際、貴重な参考情報となります。

芦太川検討課題説明図