2020年5月31日日曜日

一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形3Dモデル

縄文社会消長分析学習 23

千葉県多古町の一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器及び有舌尖頭器等石器学習をしてきましたが、その地形をあらためて3Dモデルで観察してみました。

1 広域地形 3Dモデル

一鍬田甚兵衛山南遺跡付近 広域地形 地理院地図3Dモデル
地理院地図 数値地図25000(土地条件)+写真
垂直倍率:×9.9
赤丸:一鍬田甚兵衛山南遺跡

・一鍬田甚兵衛山南遺跡は太平洋水系の栗山川および古鬼怒湾水系の根木名川・木戸川の源流部に位置しています。つまり太平洋と古鬼怒湾の分水界台地に位置しています。
・隆起線文土器や有舌尖頭器が使われていた頃は現在よりも海水面がかなり低く、海岸線の位置が現在の台地縁よりもかなり沖合側に位置していて、台地面積が現在よりも大幅に広かった時期です。
・海岸線付近の土地の利用と台地における狩猟の双方を回帰するような活動における、狩猟生活の痕跡がこの遺跡から発見されたと想像します。

2 遺跡付近地形 3Dモデル
一鍬田甚兵衛山南遺跡付近地形 地理院地図3Dモデル
地理院地図 数値地図25000(土地条件)+写真
垂直倍率:×9.9
赤丸:一鍬田甚兵衛山南遺跡

・太平洋水系栗山川源流部の台地に遺跡が位置します。
・遺跡の立地は栗山川源流の水(泉)を飲料水として使っていたことを示していると考えます。
・住居は発見されていませんが、ある程度の長期間逗留をしていたに違いありません。
・旧石器時代遺跡集中域とは少しはなれた場所に一鍬田甚兵衛山南遺跡が位置していることから、この遺跡場所から狩場に出動するような定着的生活がしのばれます。
・現在は成田空港敷地内で、盛土された場所に位置しています。

参考 一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形
旧版1/25000地形図「五辻」大正10年測図(大正14年発行)による
空色は谷津筋線、青色は凹地(閉じた等高線)

参考  隆起線文土器出土分布図
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用追記
遺跡北端部に隆起線文土器出土域が限られ、D1-26グリッド(5m×5m)が最も集中出土している場所です。

参考 一鍬田甚兵衛山南遺跡の位置 赤色で表示 
成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21(千葉県文化財センター調査報告第517集)から引用・加筆
「栗山川の支谷最奥部に面する台地北端部に立地し、標高は約41mである。根木名川・栗山川・木戸川などの水系の分水嶺となる地域である。」

2020年5月27日水曜日

南箕輪村神子柴遺跡付近の地形

縄文社会消長分析学習 22

南箕輪村神子柴遺跡の石器学習をしてきましたが、その地形を観察してみました。

1 広域地形

神子柴遺跡の列島における位置 web版Google earthによる

神子柴遺跡が列島のほぼ中央部に位置していて、かつ黒曜石山地など石器素材が得やすい場所に存在しています。このような地理的位置と神子柴遺跡がデポ遺跡であることが関係していると想像します。

2 遺跡付近の地形
地理院地図3DモデルをSketchfabに投稿してwebでいじれるようにしました。

後期旧石器最終末~縄文草創期最初頭 南箕輪村神子柴遺跡付近の地形
地理院地図3Dモデル空中写真
垂直倍率:×3.0
赤丸:神子柴遺跡

天竜川の両岸に河岸段丘がひろがり、その空間が主な猟場であったと想定できます。そのうちより広い西岸(右岸)河岸段丘がもっともよく利用された空間であると考えられますが、その西岸河岸段丘の目立つ場所に神子柴遺跡が存在します。

後期旧石器最終末~縄文草創期最初頭 南箕輪村神子柴遺跡直近地形
地理院地図3Dモデル陰影起伏図+標準地図
垂直倍率:×9.9
赤丸:神子柴遺跡

神子柴遺跡の直近の地形をよく見ると河岸段丘の先端が小山のようになっている地形的目印の場所のふもとに存在しています。
この小山と遺跡の関係は堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)で「安斎正人は、…神子柴遺跡の立地が、伊那谷をみおろす孤立丘上の特別な場所であるとして、…祭祀の場であり、分散していた集団の集合地であり、集団間の交換の場でもあって、…と多義的に解釈するのである。」と紹介されています。

河岸段丘先端の孤立丘と神子柴遺跡

2020年5月26日火曜日

神子柴遺跡出土石器から広がる学習興味

縄文石器学習 15

伊那市創造館に展示されている神子柴遺跡出土石器の観察記録3Dモデルを作成するなどして縄文石器学習を楽しんでいます。この記事では神子柴遺跡出土石器から学習興味が広がっている様子をメモします。

1 展示土器の観察記録3Dモデル
1-1 すでに作成した観察記録3Dモデル
伊那市創造館では神子柴遺跡出土石器を4つのショーケースに分けて展示しています。そのうち尖頭器と石斧のショーケースはすでに3Dモデルを作成しています。
2020.05.22記事「神子柴遺跡出土尖頭器の観察記録3Dモデル作成と心理的葛藤
2020.05.23記事「神子柴遺跡出土局部磨製石斧等13点の観察記録3Dモデル作成

1-2 作成できなかった観察記録3Dモデル
つぎの尖頭器展示ショーケースの観察記録3Dモデルは写真を27撮影したにも関わらず、マスカレード機能をつかうなど工夫したにも関わらず作成できませんでした。

観察記録3Dモデルが作成できなかった尖頭器展示ショーケース

1-3 ショーケース一部について作成した観察記録3Dモデル
搔器・削器について展示したショーケースについてその一部の観察記録3Dモデルを作成しました。

後期旧石器最終末~縄文草創期最初頭 掻器・削器13点(南箕輪村神子柴遺跡) 観察記録3Dモデル
全点が国重要文化財
上段左から 42 搔器 黒曜石(和田峠産)、43 削器 珪質頁岩、44 削器 珪質頁岩、45 削器 玉髄、46 削器 玉髄、47 削器 珪質頁岩
下段左から 32 搔器 珪質頁岩、33 搔器 珪質頁岩、34 搔器 黒曜石(和田峠産)、35 搔器 珪質頁岩、36 搔器 珪質頁岩、37 掻器 玉髄、38 掻器 碧玉(鉄石英)
撮影場所:伊那市創造館
撮影月日:2019.09.12
ガラスケース越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 24 images

展示の様子

展示の様子
搔器の湾曲した様子を3Dモデルで表現したかったのですが、できませんでした。
そもそも展示石器を一括して3Dモデルにするということ自体がとても筋悪の学習行為です。

2 遺跡における石器の配置
神子柴遺跡出土石器の配置がとても特徴的で、専門家の間で論争が起きたそうです。
伊那市創造館展示では石器配置の様子が実寸1/2の壁いっぱいの大きな画像で示されていて、詳しい説明もあり、とても参考になります。

伊那市創造館石器配置画像

伊那市創造館石器配置説明

堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)では、この遺跡を石器のデポ(収蔵遺跡)と考え、単なる交易関係ではない特別の意義のある遺跡としています。その考えからつぎのような社会関係を想定しています。

神子柴期の集団間の交換システム
堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)から引用

神子柴期には各地に集団の活動範囲が設定されていて、広域を自由に遊動する社会でないことがよく理解できます。石器の素材は別集団から交易で手に入れるネットワークが形成されていたということです。

3 出土石器の作り方、利用のしかた
伊那市創造館では神子柴遺跡出土石器の作り方、利用の仕方がパネルや模型で説明されていてとても参考になります。

石器の作り方や利用のしかたに関する展示

4 神子柴石器群の起源
神子柴石器群の起源について、堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)では詳しく研究者の見解を示していてとても興味が湧きます。最後に、北方系の石器群という枠組みを外して議論する必要があるとしています。大陸からもたらされたものではなく、信州あたりがまさにルーツであるという見解が有力になってきているようです。

神子柴型石斧群の分布
堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)から引用

2020年5月23日土曜日

神子柴遺跡出土局部磨製石斧等13点の観察記録3Dモデル作成

縄文石器学習 14

伊那市創造館に展示されている神子柴遺跡出土局部磨製石斧等13点の観察記録3Dモデルを作成しました。

1 後期旧石器最終末~縄文草創期最初頭 局部磨製石斧等13点(南箕輪村神子柴遺跡) 観察記録3Dモデル

後期旧石器最終末~縄文草創期最初頭 局部磨製石斧等13点(南箕輪村神子柴遺跡) 観察記録3Dモデル
全点が国重要文化財
左から1 局部磨製石斧(長さ22.0㎝) 凝灰岩、2 局部磨製石斧(長さ20.4㎝) 黒雲母粘板岩、3 局部磨製石斧(長さ19.7㎝) 黒雲母粘板岩、4 局部磨製石斧(長さ20.9㎝) 砂岩、5 局部磨製石斧(長さ21.2㎝) 黒雲母粘板岩、6 局部磨製石斧(長さ20.8㎝) 黒雲母粘板岩、7 局部磨製石斧(長さ11.2㎝) 凝灰岩、8 局部磨製石斧(長さ7.4㎝) 凝灰岩、
9 局部磨製石斧(長さ8.7㎝) 凝灰岩、10 打製石斧(長さ21.2㎝) 砂岩、11 打製石斧(長さ23.0㎝) 緑色岩(苦鉄質火山岩)、12 打製石斧(長さ22.2㎝) 砂岩、13 打製石斧(長さ15.0㎝) 凝灰岩
撮影場所:伊那市創造館
撮影月日:2019.09.12
ガラスケース越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 42 images

撮影の様子

撮影の様子

3Dモデルの動画

2 感想
22㎝前後の局部磨製石斧は迫力ある品ですが、これがこれだけ多数1遺跡から出土したことは考古学界にとって一大事だったとのことです。
次の図書に神子柴遺跡出土石器と遺跡の意義について多面的な視点から詳しく解説されています。強く興味を刺激されますので、展示石器の3Dモデルを全部作成し終わってからこの図書をテキストに学習をまとめて行うことにします。

堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)

この図書には遺跡平面図と出土石器の分布図が掲載されていて、遺跡の意義検討で有益な資料として活用されているようです。伊那市創造館にもこの遺跡平面図の巨大な写真が掲げられています。
3Dモデルで観察する石器を個体認識して、どの場所(どの層位)から出土しているのか、発掘状況認識を楽しみたいと思います。

神子柴遺跡の石器分布
堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)から引用

縄文早期初頭の海岸線地理的分布を知る取り組み

縄文社会消長分析学習 21

1 縄文早期初頭の海岸線地理的分布を知ることの必要性
縄文早期初頭は現在より海水面が40m以上低かったといわれています。
その時の海岸線の地理的状況を詳しく示す資料はほとんどないようです。
しかし、海水面が低かった時は土地が広大に広がっていて、そこが縄文人の生活空間になっていました。その広大な土地が縄文早期前半から後半にかけて急速に失われました。この急速に土地が失われるということは生活空間が失われることであり、即ち狩猟対象動物が急減することであり、狩猟空間が急減することを意味しています。
この生業(狩猟)に関わる大変動が縄文社会に根本的な変化をもたらしたことは確実です。
つまり、縄文社会の消長を詳しく知るためには、縄文早期から縄文後期にかけてについては海水面変動による海岸線の地理的変化について知る必要があります。

しかし、「土地が失われたことによる社会の大変動」という観点からの縄文社会考察資料は見かけませんから、考古専門書から知識を得ることは期待薄のようです。

そこで、自分レベルで縄文早期初頭の海岸線地理的分布の概要(大局観)を知り、早期初頭から早期後半(縄文海進ピーク)に至る社会変動を考察学習することにします。1年間くらいはかかるプロジェクトになると思います。

雑駁な資料でも、あるとないとでは時間が経てば学習の質が大きく違ってくるにちがいありません。

2 縄文早期初頭の海岸線地理的分布の概略を知る方法
次の二つのデータから縄文早期初頭の海岸線地理的分布の概略を知ることにします。

1 暦年データによる海水面高度変動データ
2 海底地形データ

例えば、ある地方で11500年前(縄文早期初頭)の海水面高度が現在より40m低かったことが第四紀学の成果で判っているとします。
一方現在の海底地形データでマイナス40mの等深線が判りますから、11500年前の陸地は「現在の陸地+マイナス40m等深線より浅い海底」ということになります。

(なお、より正確に言えば、現在の海底地形は11500年前の地形が海進で浸食され、その後海底になってから堆積が進んでいます。11500年前の海岸線は地形としては残っていません。ですからマイナス40m等深線が11500年前の海岸線には該当しません。補正する必要があります。しかし、どの程度補正すべきかは大河川との位置関係などで変動する堆積速度などに関わる専門的検討になります。その検討は自分の手には負えませんので、とりあえずの考古学習でイメージを掴めばよいのですから割愛します。)

3 暦年データによる海水面高度変動データ
日本第四紀学会発行「デジタルブック最新第四紀学」を入手したところ地方別の海水準変化曲線データが掲載されています。このデータを基本として、それより新しいデータが見つかればそれを使うことにします。地殻変動の影響が地方毎に異なるので、過去の海水面高度は地方毎に検討する必要がありそうです。

日本第四紀学会発行「デジタルブック最新第四紀学」掲載の海水準変化曲線データの例

4 海底地形データ
全世界海底高度の1分刻み(約1.8㎞)メッシュデータをNOAA national centers for environmental informationサイトからダウンロードできます。
大雑把な情報ですが列島に限定することなく海底の様子を知ることができるので便利です。

NOAA提供データの表示例 QGISによる 0m~-40m、-40m~-100m表示

NOAA提供データによる予察的検討例

列島付近の500mメッシュデータは日本海洋データセンターからダウンロードできます。

列島付近の500mメッシュ水深データの整備状況 日本海洋データセンターから引用

5 縄文早期初頭の海岸線地理的分布概略図の作成
今後3と4のデータにより検討遺跡毎に縄文早期初頭海岸線地理的分布概略図を作成して遺跡考察を深めたいと思います。

例えば、縄文早期前半(例えば井草式、夏島式、稲荷台式など)の遺跡・貝塚について、生業の状況や回帰的定住の様子などを考える場合、その当時の海岸線地理的分布を知ることが必須です。
千葉県の井草式遺跡の遺跡考察にはその当時の海岸線分布を知ることが必須ですが、これまでは「最終氷期海岸線概略位置」を代用品として使ってました。

井草式期遺跡考察に代用品として使った「最終氷期海岸線概略位置」
これからの考察では最終氷期海岸線概略位置ではなく縄文早期初頭頃海岸線概略位置を思考の補助として使えるようにします。

……………………………………………………………………
6 参考 日本第四紀学会発行「デジタルブック最新第四紀学」

日本第四紀学会発行「デジタルブック最新第四紀学」(2013年、第2刷)
日本第四紀学会より価格1000円で購入しました。約2400ページでカラー図版多数のDVD資料です。最近の第四紀学確認には最良の資料です。

2020年5月22日金曜日

神子柴遺跡出土尖頭器の観察記録3Dモデル作成と心理的葛藤

縄文石器学習 13

伊那市創造館展示の神子柴遺跡出土尖頭器の観察記録3Dモデルを作成しました。

1 後期旧石器最終末~縄文草創期最初頭尖頭器9点(南箕輪村神子柴遺跡) 観察記録3Dモデル

後期旧石器最終末~縄文草創期最初頭尖頭器9点(南箕輪村神子柴遺跡) 観察記録3Dモデル
9点全て尖頭器、国重要文化財
左から14番玉髄製、15番玉髄製、16番玉髄製、17番凝灰質頁岩製、18番下呂石製、19番黒曜石製(和田峠産)、20番黒曜石製(和田峠産)、21番下呂石製、22番黒曜石製(和田峠産)
撮影場所:伊那市創造館
撮影月日:2019.09.12
ガラスケース越し撮影
 3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 13 images

撮影の様子

撮影の様子

3Dモデルの動画

2 感想
伊那市縄文館で顔面付釣手土器や藤内式深鉢形土器の撮影を行い観察記録3Dモデルを作成して、土器学習を大いに進めることができました。
2019.12.08記事「顔面付釣手形土器(伊那市富県御殿場遺跡) 観察記録3Dモデル
2020.02.02記事「藤内式深鉢形土器(伊那市西箕輪 金鋳場遺跡)の展開写真
この撮影の時に興味ある神子柴遺跡出土尖頭器や石斧の3Dモデル作成用写真をいわばオマケで撮りました。その写真から3Dモデルを作成しました。

マイナス感想
3Dモデルを作成しての第一印象は石器に対する強い興味に対して3Dモデルの出来が良くない、全く良くないということです。
石器を見る目は土器を見る目と比べてはるかに精確・精密なのだと思います。
石器は土器と比べて、小さい、立ち上がっていない(立体性が少ない)のでより繊細な撮影が求められます。
しかし、今回撮影は9点の石器を一括して撮影していてあまりにも雑な撮影です。
ガラスケースに入っているとは言え、石器1点ごとに3Dモデル作成用の撮影を行えば、よりましなものができたと思います。
技術的には撮影写真25枚のうち13枚しか3Dモデル作成に活用できませんでした。きわめて低レベルの分析です。
よく見ると長さ最大の18番下呂石製尖頭器の先端の造形が間違っています。
…(3Dモデルに対するマイナス感想は無限に続きそうです。)

プラス感想
・しかし、このような自分のマイナス感情を客観視すると、その裏返しとして次のようなプラス感想も沸き上がります。
・神子柴遺跡出土石器の撮影は、そもそも自分にとって巨大な学習価値があると認めたからこそ、まだ土器学習に熱中しているにも関わらず、時間を工夫して撮影したものです。
・この石器は自分の考古学習にとってきわめて大切な学習対象です。その学習を進めるために3Dモデルを作ったのです。美しい3Dモデル作品をつくろうとしているのではありません。3Dモデル作成という活動を通じて学習をしようとしているのです。
・3Dモデルの出来が悪いということは、あくまでもその遺物の学習価値の巨大さに対して出来が悪いということです。

葛藤と結論
マイナス感想とプラス感想が葛藤を繰り広げ、3DモデルをSketchfabにアップすべきか否か、ブログ記事にすべきか否か数か月が経ちました。
そして、これまでは居心地が悪いと感じていた領域に足を踏み出す「大英断」(?)を下しました。
要するに、「3Dモデルの出来は大変よろしくないが、私がその石器や遺跡に深い興味を抱いたという事柄を情報発信することが、自分の学習を促進し、また世の中で何かの参考になるかもしれない。」ということです。
このように割り切ると、手持ちの撮影ファイルからもっと情報を引き出す事ができるのではないだろうか、とか、あらためて展示館を再訪する機会をもうけて精細な写真を撮影しようとか、前向きな意欲が湧いてきます。

次の記事からしばらくの間、伊那市創造館展示神子柴遺跡出土石器について眺め、画像処理を遊び、石器学習を楽しむことにします。

2020年5月19日火曜日

環状石斧穿孔用礫石錐の存在を知る

縄文石器学習12

2020.05.19記事「縄文草創期石錐(103図-13)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル」の学習をする中で環状石斧穿孔用礫石錐という道具が存在していることを知りましたのでメモします。

環状石斧穿孔用礫石錐(弥生時代)
鈴木道之助著「図録石器入門事典縄文」(1991、柏書房)から引用加筆
この図書には次のような説明があります。
「弥生時代中期の所産であるが、環状石斧の中央部の穿孔のために使川された礫石錐がある。大阪府池上遺跡で検出されたもので細長い捧状の礫を錐としたもので、薄い円盤に大きな穴を穿孔するのに適していたのであろう。縄文時代の例は未検出であるが、磨石などと混同しやすい石錐であり、今後、注意する必要がある。」

次のような弥生時代環状石器、縄文時代環状石斧・環石も敲打で凹みをつけられた後、礫石錐で穿孔されたものと考えます。

弥生時代環状石器展パンフレット表紙

環状石斧
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

環石
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

縄文時代の環状石斧・環石穿孔用礫石錐がまだ見つかっていないのかどうか、調べたいと思います。
同時に、縄文時代環状石斧・環石が掲載されている発掘調査報告書を読む(見る)場合、その石器図録の中に環状石斧・環石の穿孔に使われたと考えられるような礫石錐が含まれていないかどうか気をつけて読む(見る)ことにします。発掘調査報告書を読む(見る)楽しみが一つ増えました。

なお、環状石斧・環石の機能は罪人を制裁あるいは処刑する刑罰具であると想像しています。
2020.05.16記事「環状石斧について アドバイスで入門知識が増大」参照

縄文草創期石錐(103図-13)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文石器学習 11

千葉県多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡から隆起線文土器、矢柄研磨器、尖頭器、石鏃、有舌尖頭器と一緒に出土した石錐(103図-13)の観察記録3Dモデルを作成しました。

1 縄文草創期石錐(103図-13)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文草創期石錐(103図-13)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル
ホルンフェルス製、長さ3.4㎝、幅2.6㎝、厚さ05㎝(報告書挿図から計測)
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27
実寸法付与
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 37 images

報告書挿図
(左画面は手違いで未完か)
一鍬田甚兵衛山南遺跡発掘調査報告書から引用

撮影の様子

撮影の様子(裏面)
裏面の3Dモデルは作成していません。

動画

動画(テクスチャー画像なし)

2 感想
鈴木道之助著「図録石器入門事典縄文」(1991、柏書房)の石錐時期別図録と対比すると、一鍬田甚兵衛山南遺跡出土石錐(103図-13)は縄文草創期特有の錐部が短い形状のものであることがわかります。

石錐時期別図録
鈴木道之助著「図録石器入門事典縄文」(1991、柏書房)から引用加筆

縄文草創期有舌尖頭器(86図-5)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文石器学習 10

千葉県多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡から隆起線文土器、矢柄研磨器、尖頭器、石鏃と共伴出土した有舌尖頭器(86図-5)の観察記録3Dモデルを作成しました。とても小ぶりの有舌尖頭器です。

1 縄文草創期有舌尖頭器(86図-5)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文草創期有舌尖頭器(86図-5)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル
安山岩製、長さ2.5㎝、幅1.3㎝、厚さ0.5㎝(発掘調査報告書挿図から計測)
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 18 images

報告書挿図
一鍬田甚兵衛山南遺跡発掘調査報告書から引用

撮影の様子

撮影の様子(裏面)
裏面の3Dモデルは作成していません。

動画

動画(テクスチャー画面なし)

2 感想
・長さ2.5㎝、幅1.3㎝、厚さ0.5㎝と小ぶりであり、投げ槍としてのイメージは湧きません。同時に石鏃も出土していることと、矢柄研磨機に穴(アリジゴク穴のような凹み)があり、弓に弦を掛けた時に利用したと想定できることなどから、弓矢の矢先(石鏃)として使った可能性も否定できないと考えます。
・手持ちの弓ではなく、仕掛け弓(動物が通ると自動発射される固定式の罠としての弓)の矢の石鏃だったのかもしれません。
・有舌尖頭器だから全部機械的に投げ槍と判断するとは限らない検討例を最近、春成秀爾・小林謙一編「愛媛県上黒岩岩陰遺跡の研究」(2009、国立歴史民俗博物館研究報告154)で読みました。

2020年5月17日日曜日

縄文草創期尖頭器(88図-41)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文石器学習 9

千葉県多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡から隆起線文土器、矢柄研磨器、有舌尖頭器、石鏃と共伴出土した尖頭器(88図-41)の観察記録3Dモデルを作成しました。

1 縄文草創期尖頭器(88図-41)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文草創期尖頭器(88図-41)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル
安山岩製、長さ7.5㎝
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 44 images

報告書挿図
一鍬田甚兵衛山南遺跡発掘調査報告書から引用

撮影の様子

撮影の様子(裏面)
裏面の3Dモデルは作成していません。

動画

動画(テクスチャー画面なし)

2 感想
・別に出土している有舌尖頭器は投げ槍用、石鏃は弓矢用で、この尖頭器は手持ち槍用であると理解します。この尖頭器が一鍬田甚兵衛山南遺跡出土尖頭器で最大のものです。
・縄文草創期一鍬田甚兵衛山南遺跡では有舌尖頭器出土が最も多いので投げ槍猟が最も盛んで、次いで手持ち槍猟が行われていたと推測します。石鏃の出土は少ないので弓矢の利用は限定されていたようです。
・この尖頭器がどの程度の太さ・長さの木製柄にどのような方法で装着されていたのかイメージできる知識が現在はありませんので、早急に知識を得たいと思います。
・また手持ち槍が使われる場面がどのようなものであるのかもわかるような資料を入手したいと思います。犬と共同で動物を追い詰め、手持ち槍で格闘的に動物を仕留める状況がイメージできるのでしょうか?罠や落し穴等で追い詰めて動けなくなった動物や、崖に追い詰め落として動きが鈍くなった動物にトドメを刺す道具でしょうか?

上野原遺跡の縄文早期集落と祭祀空間との関係

縄文社会消長分析学習 20

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。
祭祀空間(第10地点)からの埋設土器や環状石斧・異形石器などの出土物に驚き、遺跡全体が霊峰霧島を仰ぐ祭場として顕著なゾーニングにより利用されていたことを学習してきました。

2020.05.14記事「上野原遺跡祭祀空間Aゾーンは神殿基壇である
2020.05.14記事「上野原遺跡祭祀空間のゾーニング
2020.05.14記事「縄文早期異形石器に驚く
2020.05.13記事「縄文早期の環状石斧に驚く
2020.05.12記事「霧島市上野原遺跡出土埋設ペア土器の意義
ブログ「芋づる式読書のメモ」2020.05.10記事「鹿児島県霧島市上野原遺跡

この記事では縄文早期大型集落として紹介されている集落域(第2・3地点及び4・7地点)について発掘調査報告書により学習します。

1 第2・3地点の遺構・遺物

発掘地点
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

第2・3地点遺構配置図
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

第2・3地点遺構検出状況
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

・竪穴住居跡 52基、火山灰検出状況から約9500年前(※暦年較正はしていない値のようです。)
・竪穴住居跡からの出土土器は極めて少ないが3類土器段階に収まる。
・連結土坑(炉穴)16基出土、時期は約9500年前におおむね合致する。
・集石 2・3地点で100基、4地点で32基、7地点で8基の合計140基確認。
・土坑 約270基検出
・道跡 2本検出

出土土器は以下の18類に分類
1類 前平式土器
2類 前平式土器及びそれに類するもの
3類 河口氏の前平式土器、新東晃ー氏の知覧式土器、長野眞ー氏・前迫亮一氏の加栗山式土器に該当する
4類 吉田式土器
5類 倉園B式土器
6類 石坂式土器
7類 下剥峯式土器
8類 辻タイプ
9類 桑ノ丸式土器
10類 押型文土器を一括
11類 刺突文に類似した文様のもの
12類 一野式土器や中原式土器もしくは櫛島タイプと称されるものに該当
13類 撚糸文・縄文を施すものを一括
14類 手向式土器
15類 妙見・天道ケ尾式土器
16類 平栫式土器
17類 塞ノ神式土器
18類 1類から17類に入らないものを一括

2・3地点の主体をなす土器は、 3類が最も多く9類・10 類がそれに続く。

3類土器
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

・石器類の出土物
石鏃、尖頭状石器、石匙、楔型石器、異形石器、石核、剥片類、石斧類(環状石斧も出土→中~後葉のもの)、礫器、磨石、砥石、石皿、軽石

遺物の出土傾向としては2地点では早期前葉段階から中葉段階にかけて、 3地点では、早期中葉から後葉にかけての遺物が主に出土している。

2 集落の様子
竪穴住居跡52基は概ね3類土器段階に収まる。
切り合いや近接しているものを差し引き、最大6基程度が1時期に近い状態であったと思われる。

3 祭祀空間(第10地点)との関係
16 類土器は、平栫式士器に該当する。
この15・16類土器は、上野原台地南側の10 地点で膨大な遺物量を誇っている土器でもある。この10 地点の様相に比べ、台地の北側に位置する2~7地点では、極端に出土数が少ないという差が生じている。しかし、少ないながらも遺物の出土は見られ集石遺構を伴っている。2~7地点での数個体の土器と集石を有する場面と、 10 地点の土器埋納遺構を中心とする環状の遺物集中という場面とが同一型式内であっても時間的に微妙な差が生じているのか、場の機能に差があったのか今後解明していかなくてはならない。

4 考察と感想
縄文早期大型集落といわれる竪穴住居52軒(第2・3地点)は3類土器の時代(約9500年前…暦年較正はしていない?)で、土器出土は3類が多く、9類・10類がそれにつづくという状況です。一方隣接する祭祀空間(第10地点)は16類土器(平栫式土器)が圧倒しています。
つまり、竪穴住居集落が形成された時代と祭祀空間が運用された時代とは「縄文早期」という言葉は同じでも、全く異なるということです。
この事実から、祭祀空間が隣接する上野原遺跡集落(第2・3地点)の人々によって使われたという想定は完全なる誤解・間違いであるということを理解しました。

祭祀空間(第10地点)の多量の石器出土が隣接集落にかかわるものではないと理解できると、祭祀空間が広域社会の共同祭祀場であるという性格が浮かび上がってきます。

上野原遺跡の発掘写真をみると火山灰(軽石)が竪穴住居跡を埋めている状況がよくわかります。3類土器の時代の縄文早期大型集落は桜島火山の噴火影響により終焉したと考えることがありうるかもしれません。それ以降その場所で定住的生活は困難であったのかもしれません。同時に海辺でかつ恐ろしい火山の近くで、なんといっても霊峰霧島を仰ぐことができるという好適な立地環境が、この場所をして広域社会における共同祭祀場にさせたものと想像します。2~3カ所を回帰的に行き来する定住生活の合間にこの上野原遺跡(第10地点)に小集団が次から次へとやってきて祭祀活動をして帰って行ったのかもしれません。

2020年5月16日土曜日

環状石斧について アドバイスで入門知識が増大

縄文石器学習 8

1 縄文早期環状石器記事と皆様からのアドバイス
2020.05.13記事「縄文早期の環状石斧に驚く」で霧島市上野原遺跡から出土した縄文早期環状石斧、環石の存在の驚き、千葉市で最近開催された「環状石器展」との対比から、いろいろと空想・妄想して次の趣旨のことがらを書きました。「縄文早期環状石斧、環状石器は珍しい。その後喜界カルデラ爆発で途絶したようだ。弥生になって大陸からの影響で再登場した。」

この記事に対して、TwitterでYoshiHRさんから「あらっ、九州でも早期に環状石斧が出てるんですね。函館空港・中野遺跡で出土例があると、聞いたことがあります。子供のころに地元の早期の遺跡で5~6個表採したことがあり、最寄りの資料館にお届けしたことがあり、当時学芸員の先生からは函館とこの2例のみと伺っていました。」との情報をいただきました。

また、YoshiHRさんご紹介で八戸市博物館さんから「早期の環状石斧ですが、八戸市内では弥次郎窪遺跡・長七谷地貝塚の2遺跡で出土しています。近年の出土例については、青森県埋蔵文化財調査センター紀要22号 高橋哲氏の論考で触れられています。青森県内の出土例は、函館市の出土例より1段階新しいようです。」との情報をいただき、関連文献URLも教えていただきました。

石器学習を始めたばかりで、環状石斧は見慣れない特殊な石器と考えますが、ご提供していただいた情報で大いに興味が深まり、新たな疑問がいくつも生まれました。
皆様の情報提供に感謝します。

2 30年前の石器入門書が昨日届き、環状石斧のページを開くと…
たまたま昨日、2週間ほど前にweb古書店に注文していた30年前の石器入門書が届きました。
鈴木道之助著「図録石器入門事典 縄文」(1991、柏書房)
早速環状石斧のページを開くと、予期に反して環状石斧が図入りで比較的詳しく説明されています。


環状石斧、多頭石斧等紹介のページ
鈴木道之助著「図録石器入門事典 縄文」(1991、柏書房)から引用

・東北地方から中部地方に多い。
・東北地方では前期初頭の桂島式土器に伴って多く出土。
・岩手県矢巾町大渡野遺跡で早期後半条痕文土器のムシリⅠ式土器に伴って未成品を含む10余点が発見。
・早期後半の北海道夕張長沼町タンネトウ遺跡、青森県長七谷地遺跡でも発見。
・縄文時代のほぼ全期間を通じて存在し、弥生時代まで残存する。
・環状石斧と多頭石斧は穴にこん棒を通して使われたと考えられる。
・大渡野遺跡で直径6㎝の小形品があり、あるものは土製有孔円盤に似た用途かもしれない。

環状石斧についての30年前の考古知識集積を知ることができました。
・環状石斧は縄文早期後半ごろから縄文全期を通じて存在する。
・東北から中部に多い。
・類縁に多頭石斧がある。
・穴にこん棒を通して使われた。

この情報をもとにさらに手持ち資料でも情報を集めてみました。

3 手持ち資料による環状石斧の情報
3-1 縄文時代研究事典(1994)
・南方民族例として刃のない環石を含めた武器としてのこん棒頭石器がある。
・穴の小さいモノがあり、それは縄を通した打撃用利器。
・斧や土掘り具としての想定。
・朝鮮半島など初期農耕文化に特徴的に類例があることから、農耕文化伝播を示す弥生時代石器と考えられてきたが、近年では縄文早期出土例があり、後・晩期に至って関東地方以北を中心に発達し、弥生時代に全国的に分布することが明らかとなってきた。

3-2 『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』
環状石斧
「周縁に刃部をつけ,中央部に貫通孔をもつ中高の円盤状磨製石器。外径は11㎝前後,厚さ約2㎝,内径は2~3㎝のものが多いが,大きさにはばらつきがある。貫通孔に棒を通して用いる棍棒頭の一種。石材には硬質砂質泥岩,輝緑凝灰岩,セン緑岩などを用いる。日本では縄文時代早期押型文土器に伴う例が最も古く,弥生時代後期まで用いられている。縄文時代の例は,福岡県を除いて東日本に集中し,弥生時代になると西日本にも多くなる。一方,中国では▶仰韶文化期までさかのぼる例があるものの,周代の夏家店上層式に伴う河北省・遼寧省の例が大多数を占め,朝鮮でも▶無文土器文化期の例がほとんどである。すなわち,弥生時代の環状石斧は青銅器や大陸系磨製石器と同様に,大陸からもたらされた可能性が強いともいえるが,縄文時代のものはその系譜は不明である。中国,朝鮮,縄文時代後期以後の日本では,多頭石斧と伴出する例も多い。」泉 拓良
石斧
「…また武器あるいは儀仗用の石斧には,ヨーロッパ新石器時代から青銅器時代にかけての▶闘斧や,中国新石器時代の有孔石斧の一部があげられる。環形の周縁を刃とし,中央の孔に柄をさしこむ▶環状石斧や,周縁にいくつもの突き出した刃を作り出した▶多頭石斧も,武器か儀仗用の棍棒頭mace headであって,世界各地の新石器時代から青銅器時代にかけて,また民族例に散見する。…」佐原 眞
『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズから引用


四麻溝遺跡から出土した石製品(撮影日不明、提供写真)。
9000年前に遡るとされる化德県四麻溝遺跡出土物

環状石斧とおぼしき石製品が石棒とおぼしき石製品とともに出土しています。

4 感想
・2と3-1、3-2はかなり古い情報ですから、現在では環状石斧の出土数も増え、研究はもっと進んでいるに違いありません。
・3-3情報を踏まえると、縄文早期には大陸と列島の双方に環状石斧が存在していたことは確実のようです。
・縄文早期までと弥生時代の双方の時期に環状石斧・環状石器が大陸から伝来したと考えても大きな矛盾はないようです。
・環状石斧には生業に関わる実用具としての意義はないと考えてよいようです。

現時点での自分の環状石斧・環状石器の用途に関する空想をメモします。
可能性1 動物送りにおいて最終的に動物を殺す場面で用いられた石斧・石こん棒
可能性2 罪人を制裁する、あるいは処刑するための石斧・石こん棒
可能性3 可能性1と可能性2の双方の機能をもつ石斧・石こん棒
可能性4 可能性2から派生して、司法の象徴品(人を裁く権威の象徴品)=司法的威信財

可能性1が真であるとすると、動物送りは極普通のイベントですから、もっと多数の環状石斧が出土してよさそうなものです。
可能性2、4が真であるとすると、列島縄文時代が争いの少ない時代としてイメージされていること及び弥生時代が争いの時代であることと、環状石斧出土数時代分布が符合します。

2020年5月15日金曜日

縄文草創期有舌尖頭器(88図-30)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文石器学習 7

千葉県多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡から隆起線文土器、矢柄研磨器と共伴出土した有舌尖頭器(88図-30)の観察記録3Dモデルを作成しました。

1 縄文草創期有舌尖頭器(88図-30)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文草創期有舌尖頭器(88図-30)(多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡) 観察記録3Dモデル
安山岩製、長さ5.5㎝、幅2.4㎝
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27
実寸法付与
 3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 42 images

報告書挿図
一鍬田甚兵衛山南遺跡発掘調査報告書から引用

撮影の様子

撮影の様子(裏面)
裏面の3Dモデルは作成していません。

動画

2 感想
投げ槍用の有舌尖頭器であると考えます。
この尖頭器の観察の仕方(観賞の仕方)がまだわかりません。この尖頭器の価値が直観できません。この尖頭器を使った人々の狩猟の様子を想像できません。
尖頭器観覧→3Dモデル作成を数多く行い、その間に尖頭器に関する知識を入手し、1年後くらいには尖頭器について素人うんちくを話せるようにしたいと思い、学習に励むことにします。

……………………………………………………………………
この記事は2019.06.17記事「参考 有舌尖頭器 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル」のリメイク版です。

2020年5月14日木曜日

上野原遺跡祭祀空間Aゾーンは神殿基壇である

縄文社会消長分析学習 19

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。
2020.05.14記事「上野原遺跡祭祀空間のゾーニング」で上野原遺跡の祭祀ゾーンがA~Dにゾーニングされていたことを学習しましたが、Aゾーンについては神殿と同じ意義がある旨推定しました。
この記事では上記記事を風景的に補強します。

1 上野原遺跡祭祀空間Aゾーンからの風景

上野原遺跡祭祀空間Aゾーンからの風景 Google earth(web版)による 現況地形
上野原遺跡祭祀空間Aゾーン(写真円形付近)から正面に霧島(高千穂峰)を拝むことができます。

参考 上野原遺跡祭祀空間ゾーニング

Aゾーンは一般論でいう神殿基壇にあたる部分に該当すると考えます。
Aゾーンは(縄文早期の霊峰)霧島(高千穂峰)に正面を向けた祭壇です。

Aゾーンから南を見ると桜島が見えますが、桜島の霊的な意義は祭祀ゾーンが北側(霧島側)を向いていることから小さかった(あるいは無かった)と想定します。

2 参考 縄文早期大型集落上野原遺跡遺跡付近の地形3 地理院地図3Dモデル

縄文早期大型集落上野原遺跡遺跡付近の地形2 地理院地図3Dモデル
標準地図、色別標高図(鹿児島県)、赤色立体図の合成
垂直倍率:×5.0
北側赤丸:縄文早期大型集落
南側赤丸:土器埋設遺構

動画

3 参考 縄文早期大型集落上野原遺跡付近の地形1 地理院地図3Dモデル

縄文早期大型集落上野原遺跡付近の地形1 地理院地図3Dモデル
空中写真、色別標高図(鹿児島県)、赤色立体図の合成
垂直倍率:×3.0
北側赤丸:縄文早期大型集落
南側赤丸:土器埋設遺構群

4 参考 クントゥル・ワシ神殿
以前アンデスのクントゥル・ワシ神殿について学習したことがあります。
時代や場所、背景は全く異なりますが、人の霊的心性には共通するものがインプットされていると想定していますので、一つの参考になります。
ブログ「世界の風景を楽しむ」2019.06.15記事「ペルー クントゥル・ワシ神殿」等

クントゥル・ワシ遺跡遠景
大貫良夫・稀有の会編「アンデス古代の探求」中央公論社から引用
タンタリカの霊峰を正面に拝むことができます。

クントゥル・ワシ神殿
大貫良夫・稀有の会編「アンデス古代の探求」中央公論社から引用
最高所が大基壇となっていて、タンタリカの霊峰を仰ぎながら祭祀活動ができるようになっています。

5 超空想
上野原遺跡祭祀空間ゾーンAは単純に自然地形を利用しただけだとは到底考えられません。いろいろ手を加えて、盛土したり、平坦面を作ったりして基壇としてふさわしい形状を生み出したに違いありません。イナウなども多数設置したと考えられます。ただ、それが盛土や木製品だけであるならば発掘者にそれとわかる可能性はほとんどないと思います。