2019年6月30日日曜日

黒浜式土器 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 168

この記事は2019.05.07記事「黒浜式土器 若葉台遺跡など」の追補記事です。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期、前期土器の観察記録3Dモデルが出来ましたので、順次掲載し検討を加えています。

1 観察記録3Dモデル
黒浜式土器は次のア~オの5点展示されています。

千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示黒浜式土器
ア、ウ、エ、オは観察記録3Dモデルのリンクページ(「縄文土器3Dモデル素材集」)をしめします。
黒浜式土器(ア) 観察記録3Dモデル
黒浜式土器(ウ) 観察記録3Dモデル
黒浜式土器(エ) 観察記録3Dモデル
黒浜式土器(オ) 観察記録3Dモデル

黒浜式土器(イ) 新山台遺跡 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27

土器下部・底部を拡大表示する時、床が観察の邪魔になるので除去しました。

黒浜式土器(イ) 新山台遺跡
千葉県教育委員会所蔵

2 土器の模様
観察記録3Dモデルにより土器模様を詳しく観察することができます。

土器の模様

2019年6月29日土曜日

関山式土器 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 167

この記事は2019.05.09記事「関山式土器 神門遺跡及び取掛西貝塚」の追補記事です。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期、前期土器の観察記録3Dモデルが出来ましたので、順次掲載し検討を加えています。

1 観察記録3Dモデル

関山式土器 神門遺跡 観察記録3Dモデル 
千葉県教育委員会所蔵 
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室 
撮影月日:2019.05.27

(自動的に張り付いた(ラップされた)写真のピントが甘いものになっていて残念な3Dモデルになっています。ピントのあった写真を選別して張り付ける(ラップする)テクニックを習得次第作り直す予定です。)

関山式土器 神門遺跡 
千葉県教育委員会所蔵 

2 繊維痕(雌型)観察
関山式の頃が繊維土器の最も盛んであった時期です。

土器外面繊維痕(雌型)
粘土の中に混じっていた植物繊維が土器焼成時に燃えて、その痕が雌型の微細空洞となり無数に観察できます。長いものは横走しているものが多くなっています。土器を作る際に表面を横方向に撫でたのでそれにつられて繊維が横走したと考えられます。

土器内面繊維痕(雌型)
土器内面にも横走する繊維痕である微細空洞(雌型)が観察できます。

小林達雄編「総覧縄文土器」の「繊維土器」の項によれば、繊維は林床に堆積し分解が進んだ落葉の可能性がたかく、実験によれば粘土1㎏に対して4割の繊維を入れたと想定されるとしています。また繊維を入れた粘土を寝かせてバクテリアを発生させ、粘土の粘性を増大させた可能性が述べられています。さらに繊維が燃えて微細空洞が沢山出来るので、煮沸容器としての熱伝導効率向上も推察されています。

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関山式土器展示の様子

2019年6月28日金曜日

田戸下層式土器 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 166

この記事は2019.05.01記事「田戸下層式土器 東峰御幸畑西遺跡」の追補記事です。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期、前期土器の観察記録3Dモデルが出来ましたので、順次掲載し検討を加えています。

1 観察記録3Dモデル

田戸下層式土器 東峰御幸畑西遺跡 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27

田戸下層式土器 東峰御幸畑西遺跡
千葉県教育委員会所蔵

2 関連情報

小林達雄編「総覧縄文土器」による田戸下層式挿図(貝殻・沈線文系土器3、4)
3段階は田戸下層式Ⅰ、4段階は田戸下層式Ⅱに相当すると説明されています。
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田戸下層式土器展示の様子

2019年6月27日木曜日

炉穴の利用方法と出土土器の意義

縄文土器学習 165

2019.06.24記事「稲荷台式土器の炉設置状況推測」に関連する私のTwitter発言polieco archeさんから多数のコメントをいただき同心円状擦痕と炉穴に関する興味・問題意識を深めることができました。polieco archeさんに感謝します。
この記事ではpolieco archeさんコメントを触媒にして自分の脳裏に浮かんだ炉穴に関する事柄などをメモします。

polieco archeさんから土器についた同心円状の擦痕は炉穴でもついたのではないかという指摘に対する問題意識です。

1 炉穴利用方法の説明
1-1 飛ノ台貝塚の炉穴の状況
炉穴発掘史上における発見・命名遺跡である飛ノ台貝塚の炉穴状況を見てみました。

飛ノ台貝塚 炉穴野外展示の図面

飛ノ台貝塚 炉穴野外展示

飛ノ台貝塚 炉穴野外展示
竪穴住居すぐそばに炉穴が作られ、繰り返し作り直されています。炉穴が竪穴住居における日常生活に密着している様子が直観できます。

1-2 飛ノ台史跡公園博物館における炉穴使用説明

炉穴使用説明 飛ノ台史跡公園博物館展示パネルから引用
煙道部分に土器を立てて煮炊きしたり、肉の燻製を作ったと説明されています。

2 炉穴利用方法に関する問題意識
2-1 炉穴発明時期と衰退時期に関する情報
炉穴の機能検討の前に炉穴発明時期と衰退時期を正確に知りたいと思います。どこかにそうした情報がないか探すことにします。
そうした情報があれば、なぜ炉穴が発明されたのか、炉穴発明前はどのような施設・道具がその機能を代替していたのか、あるいは炉穴衰退はどのような施設や道具がその機能をより高度に代替したのかが類推できます。それから逆に炉穴の正確な機能を導くことが出来る可能性があります。
また炉穴が時期によって形態や大きさ等の変化があるのかも知りたいところです。

2-2 煙道における土器設置はあり得るか?
煙道に土器を設置して煮炊きした様子が博物館説明に一番大きく描かれていますが、疑問が生じます。
・土器に水や具材を入れて煙道に設置した場合、煙道付近が構造物強度的にもたないと思います。炉穴は関東ローム層を掘って作ることになります。関東ローム層がどれだけの重量物に堪えて煙道ブリッジの形状を保持できるかという問題を解決する必要があります。
・木で大きな井桁状の枠をつくり、そこに内容物の入った重い土器を乗せ、重量を広い範囲に分散させる。同時に井桁状木枠も事前に水をかけて燃えにくくするなどの対処で1回限りの利用は可能であると考えます。
・このような仕組みで1回2回、あるいは10回とか煮炊きできるかもしれません。しかしきわめて早期に煙道ブリッジ部が崩壊すると考えられます。
・そもそも煙道ブリッジを作った状況でその部分の関東ローム層が乾燥し、何もしなくても自然崩壊する可能性があります。日常の雨風乾燥や霜・凍結等の影響も無視できません。
・煙道ブリッジを利用して肉の燻製だけを作っても早晩煙道ブリッジは崩壊すると思います。
・煙道ブリッジにどの程度の強度があるのか実験すれば判ることです。
・煙道に土器を立てて煮炊きするという使い方はほとんど無いと作業仮説します。

2-3 炉穴底部燃焼部に土器を持ち込む可能性
住居そばの炉穴は格好の野外食の場であったと考えます。ノミやシラミだらけの住居内ではなく、野外で食べる食事の方がよほどおいしかったと想像します。炉穴で具材を焼いたり、いぶしたりして、それと一緒に住居炉で調理した土器鍋料理を炉穴付近に持ち込み一緒に食べた可能性はあります。そのようなことを想定すると、土器を炉穴底部燃焼部付近に置き、保温した可能性はあると考えます。

3 炉穴から出土する土器の意義
炉穴で土器の煮炊きはなかったということと、炉穴から出土する土器はほとんど全て炉穴廃絶祭祀に使われたモノだという作業仮説を持っています。この作業仮説がどの程度蓋然性があるか、今後検討を深める予定です。

参考 炉穴廃絶祭祀跡であると想像した飛ノ台貝塚炉穴の状況
写真は「千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)から引用編集
2017.03.04記事「炉穴廃絶祭祀の跡」参照

同心円状擦痕・擦跡の観察について

縄文土器学習 164

2019.06.24記事「稲荷台式土器の炉設置状況推測」に関連する私のTwitter発言polieco archeさんから多数のコメントをいただき同心円状擦痕と炉穴に関する興味・問題意識を深めることができました。polieco archeさんに感謝します。
この記事ではpolieco archeさんコメントを触媒にして自分の脳裏に浮かんだ事柄などをメモします。

1 同心円状擦痕が出来た場所について
・同心円状擦痕が出来たのは住居内炉(灰床炉)であると単純にかんがえていたのですが、炉穴かもしれないという指摘を受けました。土器を使って煮炊きする可能性のある場所のイメージを最初に作る必要があります。
・土器を使った煮炊きが住居内に限定されるということは、考えてみるとありえないように感じます。天気がよければ室内食よりも野外食の方が多かったかもしれません。

2 炉内堆積物の確認
・灰床炉と呼ばれる炉の内部に堆積している「灰」のなかに擦痕が出来るような砂など固い固形物があるか、いつか確認する必要があります。
・土器を炉の中にグリグリ回しながら押し込んだ時にできる擦痕とそれに対応する固形物の大きさ等の関係を実証的に知っておく必要があります。

3 同心円状擦痕観察データの蓄積の有用性
同心円状擦痕観察データが土器の使用状況とか使われた炉の状況の推察に有用である可能性があります。同心円状擦痕観察データを蓄積してデータベース化して多数データを分析すれば、これまで視界に入らなかった新たな情報が見つかるかもしれません。
例えば、「小石を使った調理跡(炉跡)出土数と同心円状擦痕観察土器数に相関がある」ことがわかれば、擦痕土器が出土すれば小石調理場の存在が推測できる、とか。

4 擦痕類似模様の観察
擦痕(固いものでこすられて器面が線状に削られた跡)とまでは言えないが、こすられて模様がついた土器があります。このような跡を擦跡と呼ぶことにします。2019.0623記事「稲荷原式土器 観察記録3Dモデル」で観察した稲荷原式土器にはこの擦跡が観察できます。

稲荷原式土器の底部同心円状擦跡

稲荷原式土器
土器表面に付いたススが擦られて線状に脱落した跡およびその延長の土器表面の色が白くなっている模様です。
器面が削られているわけではありませんが砂等で擦られた跡であり、擦痕と一緒に検討すべき事象であると考えます。
擦跡→虚弱な擦痕→規模の大きな擦痕を分類すればその成因(関連炉の状況)が見えてくるかもしれません。

5 擦痕・擦跡観察用写真撮影について
擦痕・擦跡を観察するためには撮影写真を拡大して、顕微鏡観察のような状況になります。そのような拡大に堪えられる写真が意外と少ないことに気が付きました。土器展示施設の照明の関係で野外と較べるシャッタースピードが遅くなり、それに比例して微細な手振れが生れるためです。一般の用途では問題にならない手振れがこの場面では問題になります。
展示土器の擦痕・擦跡の観察データを本格的にとるためにはより高解像度のカメラ使用、手振れ防止技術向上、(可能ならば)簡易照明具の利用などの検討が必要だと考えました。

2019年6月25日火曜日

三戸式土器 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 163

この記事は2019.05.01記事「三戸式土器 庚塚遺跡」の追補記事です。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期、前期土器の観察記録3Dモデルが出来ましたので、順次掲載し検討を加えています。

1 観察記録3Dモデル

三戸式土器 庚塚遺跡 観察記録3Dモデル 
千葉県教育委員会所蔵 
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室 
撮影月日:2019.05.27

三戸式土器 庚塚遺跡 
千葉県教育委員会所蔵

2 観察記録3Dモデルによるトップビュー

観察記録3Dモデルによるトップビュー
展示土器を真上から観察することは不可能ですが、観察記録3Dモデルによりトップビューを得ることができます。
口唇部に×状の沈線による刻み(模様)が確認できます。
小林達雄編「総覧縄文土器」によれば三戸式土器は古の三戸Ⅰ式と新の三戸Ⅱ式に細分され、細分指標の一つとして三戸Ⅰ式は口唇部に刻みがなく、三戸Ⅱ式は口唇部に刻みがあることをあげています。同書でこの土器個体は三戸Ⅰ式に分類されていますが口唇部に刻みが存在できますから古から新の間付近に該当するものと理解します。

小林達雄編「総覧縄文土器」の三戸式土器挿図(貝殻・沈線文系土器2段階古・新)
6~8が古であり、8が観察記録3Dモデルを作成した個体です。
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三戸土器展示の様子 

2019年6月24日月曜日

稲荷台式土器の炉設置状況推測

縄文土器学習 162

2019.06.24記事「稲荷台式土器 観察記録3Dモデル」のつづきです。
稲荷台式土器の底部同心円状擦痕の位置から、その土器が灰床炉に設置・利用された時の状況を推測しました。

同心円状擦痕の位置から推測する稲荷台式土器の灰床炉設置・利用状況

縄文時代終盤人口急減の説明

2019.06.18夕刊に次のような記事があり、またその説明記事や論文そのものもWEBから入手して興味を深めました。縄文社会消長を詳しく学習したいと希望している初心者にとってはよく理解したい論文です。

2019.06.18夕刊日経記事

公表論文の結論的図版
Analysis of whole Y-chromosome sequences reveals the Japanese population history in the Jomon periodから引用

東京大学理学部サイトの記事ではこの発表の概要を次のように説明しています。
「今回、東京大学大学院理学系研究科の渡部裕介大学院生と大橋順准教授らのグループは、東京大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授(研究当時)らのグループと共同で、日本人男性345名のY染色体の全塩基配列決定と変異解析を行った。他の東アジア人のY染色体データと併せて系統解析をすると、縄文人に由来するY染色体の系統が同定された。縄文人由来Y染色体の遺伝子系図(共通祖先から現在に至るまでの分岐過程)を推定したところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて人口が急激に減少したことが示された。縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。
本研究の結果は、縄文時代の遺跡数や規模などの変化から類推されてきた縄文時代後期・晩期に起きた急激な人口減少を裏付けるものである。
現代日本人のゲノム多様性を調べることで、その由来も含めて不明な点が多い縄文人の歴史、ひいては日本人の形成過程が解き明かされると期待される。」

幾つかの感想が生れましたのでメモしておきます。

1 過去人口増減把握原理の理解
過去人口増減が縄文人由来Y染色体の遺伝子系図(共通祖先から現在に至るまでの分岐過程)を推定することによって可能であることそのものを自分自身が十分に理解する必要があります。斎藤成也「日本列島人の歴史」(岩波ジュニア新書)による学習などをおこないイメージ的にはその原理を判ったつもりになっていますが、より深く納得的に理解する必要があります。
2017.02.24記事「縄文社会崩壊プロセス学習 縄文時代中期後半の激減」参照

2 この論文のメイン情報の確認
この論文は縄文時代終盤における人口急減が発掘情報以外の手法で裏付けられたことであると確認します。素晴らしい成果であると感心します。

3 人口急減の理由説明に感じる違和感
人口急減の理由説明「縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。」に違和感を覚えます。
この説明は論文の分析内容ではなく、単に「思われる」ことですから目くじらたてるべきことではありません。しかし、自分にとっては大いに検討して自分の考えを正すなり、より確信を深めるなりする価値があります。
違和感を感じる事柄
1 寒冷化が原因で食料が減り、それが主因で人口が急減したとは思われない。
縄文人は氷期に土器を発明し、晩氷期の温暖期、晩氷期の寒冷期、数十年で7-8度気温が上昇する温暖期を生き抜いてきています。その間食料が不足する数えきれない危機を体験してきているに違いありません。

過去16000年間の気候変化
「縄文時代はいつから」から引用

その食料環境激変をかいくぐってきた縄文人が「縄文晩期の世界的な寒冷化」程度の「ヤワな」変動が主因で人口急減するとは到底思えません。主因は別にあるように素人考えします。

2 「縄文晩期の世界的な寒冷化」が主因で人口急減したならば、世界の狩猟採集民は同じ状況であり一斉に人口急減したに違いありません。そのような情報を知りたいと思います。

3 またそもそも「縄文晩期の世界的な寒冷化」が本当に食料減少をもたらしたのか、その食料減少が人口急減をもたらすようなドラスチックなものであったのか。
さらに人口急減せざるを得ないような食料減少が存在したとして、それに直面した縄文人が手をこまねいてそのまま動物のように衰退したのか、疑問は膨らみます。

稲荷台式土器 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 161

この記事は2019.04.29記事「稲荷台式土器 東峰御幸畑西遺跡」の追補記事です。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期、前期土器の観察記録3Dモデルが出来ましたので、順次掲載し検討を加えています。

1 観察記録3Dモデル

稲荷台式土器 東峰御幸畑西遺跡 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27

稲荷台式土器 東峰御幸畑西遺跡
千葉県教育委員会所蔵

2 観察記録3Dモデル作成によって新たに観察できた事柄

観察記録3Dモデルによる底部観察の様子
土器底部を観察すると同心円状の擦痕が確認できます。撮影写真をザッと見ただけでは気が付きませんでした。3Dモデル作成が自分の観察をより深めたことは素晴らしいことです。3Dモデルの出来栄えがあまり良くないにもかかわらず、それでもそれなりの意義があると確認できました。
擦痕を撮影写真を拡大して観察すると次のようになります。

同心円状擦痕の観察
小林達雄編「総覧縄文土器」で調べると次のような記述があり、稲荷台式土器の時代頃から住居内炉に土器を刺しこんでその周りから加熱する方法が確認できるようです。
「器形からみて、主たる用途は食物の煮炊きと推測される。しかし土器内面に炭化物が付着していた例はほとんどない。ただし、夏島式以降の土器には、尖底化が進んだ底部周辺にしばしば"同心円状擦痕"と呼ばれる擦り傷が認められる。この成因は、煮炊きの際、土器を炉の灰床に、ねじるよう差し込んだ痕跡と説明される。実際に、赤化や微細な亀裂など、尖底部に被熱痕がある個体も多い。稲荷台式期以降の竪穴住居跡には、床面の中央部付近に方形の浅い堀り込みが検出される例が多く、"灰床炉"と呼ばれている(今村1986)。"同心円状擦痕"や被熱痕の存在は、この炉跡の存在とも符合する。」
撚糸文系土器の型式細別(稲荷台式土器抜粋)
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用
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稲荷台式土器展示の様子

2019年6月23日日曜日

稲荷原式土器 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 160

この記事は2019.04.26記事「縄文早期撚糸文土器 稲荷原式土器の観察」の追補記事です。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期、前期土器の観察記録3Dモデルが出来ましたので、順次掲載し検討を加えています。

1 観察記録3Dモデル

稲荷原式土器 庚塚遺跡 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27

稲荷原式土器 庚塚遺跡
千葉県教育委員会所蔵

2 稲荷原式土器に関する情報
小林達雄編「総覧縄文土器」から稲荷原式土器挿図と形式編年における位置資料を引用掲載します。

稲荷原式土器挿図
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用

撚糸文系土器の形式編年
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用

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稲荷原式土器展示の様子


井草Ⅰ式土器 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 159

この記事は2019.04.23記事「井草式土器 東峰御幸畑西遺跡」の追補記事です。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期、前期土器の観察記録3Dモデルが出来ましたので、順次掲載し検討を加えます。

1 観察記録3Dモデル

井草Ⅰ式土器 東峰御幸畑西遺跡 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27

井草Ⅰ式土器 東峰御幸畑西遺跡
千葉県教育委員会所蔵

2 観察記録3Dモデル作成で判った事柄

撚糸文横走箇所が対向している
撚糸文はほとんどの箇所で縦走していますが、一部だけ横走していてその趣旨がわかりませんでした。「雑な」模様のつけ方のように感じていました。しかし3Dモデルでよく観察すると横走部分が対向部にもあることが判りました。「雑な」模様のつけ方ではなく秩序だって模様をつけていることが判明しました。
模様の凹凸を利用して滑り止め機能(実用機能あるいは滑り止めをイメージしたデザイン)を付加しているように推測しました。

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井草Ⅰ式土器展示の様子

2019年6月22日土曜日

隆起線文土器に関する興味 まとめ

縄文土器学習 158

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土物を閲覧し、主要なものについて3Dモデルを作成するなかで次のような興味を憶えましたのでメモしておき、今後の学習に備えることにします。

1 隆起線文土器の器形
一鍬田甚兵衛山南遺跡の発掘調査報告書では隆起線文土器片の記載はありますが、器形復元は行われていません。発掘された土器片が少量でかつ小型であるため器形復元できなかったのだと思います。どのような土器器形であったのか興味が湧きます。
小林達雄編「総覧縄文土器」では次の図が掲載されていて説明がありますので、この図書から一般的な隆起線文土器器形をイメージすることはできます。

隆起線文土器の器形
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用

今後千葉県の遺跡で器形復元された隆起線文土器があれば注目したいと思います。

2 隆起線文土器の隆起線の意義
小林達雄著「縄文土器の研究」第7章第1節「縄文土器の文様」によれば草創期縄文土器の文様は無文→豆粒文→隆起線文→爪形文・円孔文→多縄文と変遷し、豆粒文と隆起線文では施文具はなく、爪型文・円孔文ではより複雑な模様がつくられ、多縄文になると施文原体の多様性とともに手法が発達し文様要素の多様化が大幅に増加したことが述べられています。単純から複雑へという文様変化プロセスはよくわかりますが、もう少し詳しく豆粒文、隆起線文がなぜ最初なのか知りたいという興味を抑えられません。更に詳しく関係図書を読んでみたいと思います。また網籠などの他の材料の容器の模様やしつらえのイメージを土器に投影したという上図書の説明も説得力があり、さらに詳しく学習を進めたいと思います。

3 出土する隆起線文土器破片はなぜ小さいのか
2019.02.02記事「隆起線文土器の出土遺物が小さい理由」ですでに検討している興味ですが、土器専門家は興味を感じていないような印象を受けるテーマであり、ますます興味が深まります。
小林達雄著「縄文土器の研究」では大きな項目「第6章第2節縄文世界における土器の廃棄について」を設け12ページにわたって土器廃棄について詳述しています。

土器廃棄パターンの時代的変遷模式図
小林達雄著「縄文土器の研究」から引用

この中で土器廃棄をA、B、C1、C2、D、Eの6パターンに分け、意図的あるいは意図的でない場合という区分を軸に詳細な検討を行っています。この小論文はあらためて詳しく分析的に学習するつもりです。
しかし、自分の視点からみるとこの小論文では廃棄が意図的であるか否かという点に焦点があります。廃用土器を破壊する(粉々にしてばら撒く)という意識的行動に焦点は当たっていません。
なぜ隆起線文土器破片が小さいのか、検討を深めることにします。

4 隆起線文土器片と石器が共伴出土する「その区画」の状況推察
隆起線文土器片と有舌尖頭器などが共伴出土する場所は特定の区画とその周辺です。この場所からは住居祉などは見つかっていません。この区画付近が住居に近いような使われた方をした場所であると推察してよいのかどうか、発掘調査報告書掲載情報からそのような推察の根拠がどのように導かれるのか、機会があれば専門家のご意見を伺いたいと思います。

縄文時代草創期遺物出土状況(石器・土器)
一鍬田甚兵衛山南遺跡の発掘調査報告書から引用

5 土器量が時代とともにどのように変化しているか
隆起線文式の時代とその後の早期の時代では土器がどのように増加するのか、一例として一鍬田甚兵衛山南遺跡の統計をとりたいと思います。「土器量(土器破片数?)/石器量(石器片数?)」のような指標を設定して統計をとってみて、縄文人1人当たりが残した土器量が草創期と早期では確かに違うことを統計的知りたいと思います。
1人が一生に使う土器量(に比例した指標値)の違いがどれだけであるのかによって、土器利用の場面なども違ってくるはずです。土器がどれだけ貴重品であるのか、あるいはどれだけ日常的な用具であるのか知りたいということです。

6 尖頭器の大きさの違いが意味することがら
出土有舌尖頭器・尖頭器の大きさにかなりの開きがあります。大きなものは槍としてつかわれたと考えられますが小さなものは弓の矢先であるような印象も受けます。専門家によればそうした判別が確立しているものであるのかどうか、知りたいと考えています。書物からの学習ではなく、ヒアリングが必要です。
投槍器は発見されていませんがその存在の確実視がどの程度のモノであるのか、矢柄研磨器で研磨した柄は何の柄であるのか、考古学の最先端がどこまで解明しているのか、知りたいと思います。
参考 2019.06.17記事「参考 矢柄研磨器 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル

7 土器と石器種別のセットのタイプが時代とともにどのように変化しているか
特に草創期~早期~前期あたりまでを最初の興味対象にして、土器の器種や大きさ・量、石器の器種や素材・大きさ・出土量など組み合わせセットが時代とともにどのように変化したのか、学習を深めたいと希望しています。


2019年6月21日金曜日

一鍬田甚兵衛山南遺跡 出土物観察記録サイトの開設

一鍬田甚兵衛山南遺跡縄文草創期出土物の観察記録に関してサイトを開設してまとめました。
一鍬田甚兵衛山南遺跡 縄文草創期出土物の観察記録
現在隆起線文土器片5点、有舌尖頭器2点、尖頭器1点、石錐1点、矢柄研磨器1点の観察記録3Dモデルを掲載しています。
今後写真撮影した他の出土物の観察記録、一鍬田甚兵衛山南遺跡あるいは縄文草創期に関連する興味について資料を追加していく予定です。
隆起線文土器観察が主目的の遺物観察ですが、土器観察だけで遺跡の意義を円満に学習できるはずもないので、土器と石器を一緒に学習する補助サイトを開設した次第です。

2019年6月17日月曜日

参考 矢柄研磨器 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル

隆起線文土器、有舌尖頭器と共伴出土した矢柄研磨器の観察記録3Dモデルを作成しました。

矢柄研磨器(123図-1) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27

矢柄研磨器(123図-1) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土
千葉県教育委員会所蔵

矢柄研磨器(123図-1) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土  観察記録3DモデルにおけるMatcap表示 メモ追記

矢柄研磨器(123図-1) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 発掘調査報告書挿図

1 矢柄研磨器の利用目的
矢柄研磨器は縄文草創期のこの時期にしか出土していません。弓矢が発達した段階では矢柄研磨器は出土しません。
矢柄研磨器がどのような目的で使われたのか、専門的知識を入手したいと思いますが、次のような状況のどれかであると推察します。
1 手で持って使う弓矢が既に使われていたが、矢羽根の発明前であり、矢柄の調整が命中率向上に重要であったので矢柄研磨器が存在した。
2 手で持つ弓矢はまだ存在していなかったが、仕掛弓が存在していて、その矢柄を出来るだけ直線状に調整する必要があったため。
3 投槍器を使って投槍する際の槍棒を出来るだけ直線にして命中率を高める必要があり、そのための調整道具として矢柄研磨器を使った。

いずれにしても矢羽根発明前の飛び道具としての矢・槍の棒を出来るだけ直線状に調整するための道具であると考えます。

2 矢柄研磨器の形状観察
発掘調査報告書挿図では矢柄研磨のための凹部は直線状にスケッチされています。しかし3Dモデルで観察するとわずかに湾曲しています。
曲がった矢柄を矯正するためには湾曲の反対方向の力で強制する必要がありますから、凹部が湾曲していることは合理的です。
また凹部がかなりデコボコしていてダイナミックに矯正した様子を推察できます。
この矢柄研磨器の上に矢柄を乗せ、その上に別の石を当てて押しつけ、矢柄をしごいたのではないかと想像します。

参考 有舌尖頭器 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル

隆起線文土器と共伴出土する有舌尖頭器の観察記録3Dモデルを作成しました。

有舌尖頭器(88図-30) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27

有舌尖頭器(88図-30) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土
千葉県教育委員会所蔵

有舌尖頭器(88図-30)反対面 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土
千葉県教育委員会所蔵

有舌尖頭器(88図-30) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 発掘調査報告書挿図

有舌尖頭器は投げ槍用の槍先尖頭器ということでよいのでしょうか?学習を深めたいと思います。一緒に矢柄研磨機も出土しているので、弓矢以前の投槍に関わると想定します。

土器片と異なり石器は360度どこからでも観察できる3Dモデル作成が望まれるところですが、まだ台の上に置いて片面のみ3Dモデル化できるテクニックしか所持していません。

隆起線文土器片(爪形文付) 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 157

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土の縄文草創期隆起線文土器片のうち、爪形文が付いているピースの観察記録3Dモデルを作成しました。

隆起線文土器片(45図-29) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27

隆起線文土器片(45図-29) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土
千葉県教育委員会所蔵
白い小点は光っている鉱物(石英)です。

隆起線文土器片(45図-29) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3DモデルにおけるMatcap表示

隆起線文土器片(45図-29) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 発掘調査報告書挿図

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土遺物の最初の観察では3Dモデル作成に失敗してのですが、その時撮影した通常写真ではこの土器片の爪形文の形状をリアルに確認できることができませんでした。そのような経緯があり、千葉県教育委員会に再度3Dモデル作成のための閲覧申請をお願いしてこの3Dモデルを作成した次第です。
写真ではわかりにくい爪形の凹みを3Dモデルで確認観察することができます。特に写真を消してMatcap表示すると確実な観察になります。

観察記録3Dモデルを作成することにより千葉県出土縄文土器の最初期のものの意匠の一部を自分の目でシッカリと観察できました。この結果次のような問題意識をもつことができました。
・隆起線文と爪形文がどのような意味を持っているのか。具象物の象徴であるのか、抽象模様と言い切れるのか。機能から生れたのか(滑り防止、煮沸後の放熱促進、・・・)。
・最初期の縄文土器になぜ隆起線文と爪形文が使われたのか。(模様だけなら沈線でも自由に書けるはず。)