2019年3月31日日曜日

縄文土器絶対年代推定

縄文土器学習 81

2019.02.25記事「小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」学習メモ」で書いた通り、小澤政彦先生講演資料に土器編年と絶対年代の一覧表が掲載されていました。

土器編年と絶対年代
これと同じようなものをれきはくデータベースを使ってつくろうとしていたところですから、専門家の資料を入手できて、学習上の超時短となりとてもラッキーです。
加曽利E式土器学習も一段落しましたので、この資料を図化してみました。

縄文土器の絶対年代推定
このグラフ作成により、主要土器形式の順番だけでなく絶対年代と長短が細かく認識できます。土器学習に必要な時間的物差しを入手できました。
小澤政彦先生に感謝します。

このグラフに人類の歴史や世界各地の古代文明の情報を記入すれば、これまで自分の頭のなかでバラバラだった知識や興味が時間軸上で結ばれます。
さらに中国大陸文明と縄文社会との交流について、学習を深める上での必須のツールになります。

2019年3月30日土曜日

絡条体圧痕文土器の観察

縄文土器学習 80

千葉県教育庁文化財課森宮分室閲覧室で縄文草創期絡条体圧痕文土器(成田市取香和田戸遺跡出土)を観察しましたのでメモします。

1 絡条体圧痕文土器

絡条体圧痕文土器 成田市取香和田戸遺跡
ガラス面反射を一部消してあります。

「千葉県の歴史 資料編1(旧石器・縄文時代)」に掲載されている資料と上記写真を対比させると、上記写真の遺物は下記資料の18、19、24、29に対応します。

取香和田戸遺跡I地点出土絡条体圧痕文土器
「千葉県の歴史 資料編1(旧石器・縄文時代)」から引用

取香和田戸遺跡からは、多縄文系土器が1個体(D地点)、多縄文系土器と押圧縄文・絡条体圧痕文系土器の2個体(I地点)の草創期土器が出土しています。

参考 千葉県の縄文草創期遺跡 

2 メモ
・土器と目の距離は至近ですが微細な土器表面模様を見慣れていないため、またガラス面反射が激しいため、土器表面観察が不十分になってしまうことを実感します。
・至近で写真を撮れるという条件を生かして、ガラス面反射を排除しつつ、微細な凹凸を3D画像として記録できる方法(写真撮影と3Dソフトの連携方法)を開発したいと思います。

……………………………………………………………………

学習チェックリスト 2019.03.30


2019年3月29日金曜日

縄文早期土器と前期土器の視覚的風合いの違い

縄文土器学習 79

千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室を観覧した際、縄文早期土器と前期土器を並べた展示を観察することができました。

千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室 土器展示

職員の方の説明を聞いて早期土器と前期土器の視覚的風合いの顕著な違いをじっくりと観察することができました。
早期土器は全体を総合すると、明るい褐色で(白っぽくて)、固く緻密で薄い感じを受けます。しっかりしたつくりの印象を受けます。土器の底は尖っていますから自立できません。
一方前期土器は全体を総合すると、暗い褐色で(黒っぽくて)、多孔質で柔らかく厚手で、風化していてつくりも粗雑な印象を受けます。くたびれ切っている印象です。土器の底は平で自立できます。

この視覚的風合いの違いは隆起線文土器で感じた予期せぬ質感(固く締まり、色が明るく薄手)と通じるものと考えます。
2019.03.29記事「隆起線文土器と共伴出土石器の観察
つまり草創期土器・早期土器と前期・中期・後期・晩期土器では土器の視覚的風合いが異なると考えます。その背景には土器が高級品であった社会と普及品であった社会の違いを表現しているのではないかと想像します。
あるいは移動が多い生活で必要とする土器品質(要件)と定住生活で必要とする土器品質(要件)の違いかもしれません。

今後の土器学習で草創期土器・早期土器と前期以降土器の違いについて問題意識を深めていくことにします。

隆起線文土器と共伴出土石器の観察

縄文土器学習 78

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器と共伴出土石器を閲覧しました。

1 閲覧した隆起線文土器と石器

閲覧した隆起線文土器と石器
隆起線文土器と石器は千葉県教育委員会所蔵
これらの土器及び石器はD1-26グリッド(5m×5m)付近から集中出土した遺物です。
隆起線文土器と有舌尖頭器が共伴して出土しています。
隆起線文土器と共伴石器の出土状況は2019.01.27記事「一鍬田甚兵衛山南遺跡遺物出土状況」で既に説明しました。

2 隆起線文土器の観察

隆起線文土器 1
隆起線文土器は千葉県教育委員会所蔵

隆起線文土器1挿図
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)(以下発掘調査報告書と略称します。)から引用

隆起線文土器 1
隆起線文土器は千葉県教育委員会所蔵

隆起線文土器1は口縁部を有する2つの破片からなり、口縁部に平行に4条の波型隆起線が平行しています。土器の厚さは6~8mmで比較的明るい褐色で、黒あるいは白く光る鉱物多数を含んでいます。土器片の質感は硬く締まった様相を呈していて、ボロボロ崩れるような質感とは正反対の様相です。長年月の風化に耐えてきたという質感とは異なります。

隆起線文土器 2
隆起線文土器は千葉県教育委員会所蔵

隆起線文土器2挿図
発掘調査報告書から引用

隆起線文土器2は波型隆起線の下にハの字状の爪形文を付加するものです。

この遺跡から隆起線文土器は約100点出土し、口縁部の破片から、最低でも11個体以上あったと推定されています。

3 有舌尖頭器の観察

有舌尖頭器 94-1
有舌尖頭器は千葉県教育委員会所蔵

有舌尖頭器94-1挿図
発掘調査報告書から引用

有舌尖頭器 96-2
有舌尖頭器は千葉県教育委員会所蔵

有舌尖頭器96-2挿図
発掘調査報告書から引用
有舌尖頭器はこの遺跡から44点出土していて、その数は全国屈指のものです。

4 感想
・隆起線文土器片を実際にまじかで観察することによって、その質感(材質感)がその後の縄文前期~晩期の土器と全く異なり、固く締まっていて、色も明るいことを知ることができました。また薄手です。さらに微細な鉱物が沢山入っており、所々で光っています。このような印象は書物で何回もみた写真からでは決してわからないことです。
・隆起線文土器が簡単には風化しないようなつくりであることから、それが実用品であるにも関わらず素材入手や焼き方の工夫に惜しみの無い時間をかけたことがしのばれます。隆起線文土器は生活における特別な高級品であり、丁寧に扱われたことが感得できます。粗雑な作り方、粗雑な扱い方とは正反対の作り方、扱われ方がされたモノであると推察します。

2019年3月28日木曜日

印旛沼堀割普請遺構の可能性高まる

次の記事で検討してきた千葉市花見川区柏井橋工事現場の列状パターンが千葉市道路建設課提供資料により印旛沼堀割普請遺構である可能性が高まりましたので記録します。
2019.01.31記事「ボーっと毎日散歩してんじゃねーよ! 印旛沼堀割普請跡の露出
2019.03.11記事「176年前印旛沼堀割普請遺構か 花見川河床の列状パターン

千葉市道路建設課の工事写真、列状パターン位置図提供に感謝申し上げます。

1 列状パターンの様子
千葉市道路建設課提供写真を判読したところ次のような列状パターンを抽出しました。

列状パターンの様子
千葉市道路建設課提供写真の判読

2 列状パータンの位置
列状パターンの平面的、断面的位置について千葉市道路建設課より資料を提供していただきました。

列状パターンの位置
千葉市道路建設課提供資料
この資料から列状パターンは橋梁工事で撤去されたコンクリート護岸(コンクリート矢板)の背後に位置することが判明しました。

3 列状パターン露出の状況
上記千葉市道路建設課提供資料から列状パターンの露出状況がコンクリート矢板撤去(引き抜き)と関わっていることが判明しました。
次図のようにコンクリート護岸撤去に伴い、その背後の土砂が支えを失って流出し、その場所に列状パターンが露出したことになります。

コンクリート護岸撤去(引き抜き)に伴う土砂流出と列状パーンの関係
コンクリート護岸を引き抜いたために背後の土砂が流出し、過去の河岸が洗い出された可能性が濃厚になりました。
列状パーン現物の観察がないのでその素性はいぜんとして不明ですが、印旛沼堀割普請遺構である可能性は濃厚になったと考えることができます。

4 水底観察機会再到来の可能性
右岸橋台前面の河床工事は現在下流側だけしか行われていません。仮橋撤去後に上流側河床工事が行われる予定(平成32年度頃)です。その時に再び一定区域の河床の水が汲みだされ水底が露出する可能性があります。その時に土木遺構観察調査が専門家によって行われることを希望します。

2019年3月27日水曜日

加曽利EⅡ式連弧文土器3Dモデル 千葉市荒屋敷貝塚出土

縄文土器学習 77

加曽利貝塚博物館企画展に展示された加曽利EⅡ式2段構成連弧文土器(千葉市荒屋敷貝塚出土)の 3Dモデルを掲載します。

加曽利EⅡ式連弧文土器3Dモデル 千葉市荒屋敷貝塚出土

企画展における加曽利EⅡ式連弧文土器の展示風景

企画展における観察は次の記事に書きました。
219.02.22記事「2段構成連弧文土器の観察 その2

器台「大麻炙り台」仮説に関連する超空想

縄文土器学習 76 器台の検討 6

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(2018.10.20~2019.03.03)に展示されていた2点の加曽利E式器台を主な対象として、器台にまつわる学習を行っています。
この記事では器台用途仮説(「大麻炙り台」仮説)が異形台形土器と関連する可能性について考察します。
この記事は器台及び土器一般学習を促進させるための見通しメモ(超空想)です。

1 器台=「大麻炙り台」の利用イメージ
熾火のある炉の上に器台を置き、器台上面凹みに大麻(葉、花穂)を置き、さらにその上に土器を重しとして置いたと考えます。
器台とその上の土器に挟まれた大麻は圧力と熱を加えられ、成分が蒸発気化したと考えます。
蒸発気化した成分は住居内に拡散しますから、それを吸引した人に対する薬効(覚醒効果や痛み軽減効果)はわずかです。
器台は単独で使う道具ではなく、重しとしての土器と一緒に使ったと考えます。
つまり器台をつかった一連の大麻蒸気発生装置が使われていたと考えます。

2 大麻蒸気発生吸引装置の改良
器台と土器の間をたくさんの草で囲い、ドーナツ状の草空間を作ります。そのドーナツ状の草空間に双口土器を突っ込みます。
このような装置をつくると発生した大麻蒸気が草空間に滞留し、その滞留した蒸気を双口土器の一方から吸引できるようになります。
大麻蒸気を効果的に吸引できて薬効が強まります。

3 大麻蒸気発生吸引装置のフィギュア(イコン)作成
器台、土器、ドーナツ状草空間、双口土器及びそれらを縛る紐からなる一連の装置が模写されたフィギュア(模型)が作られ、イコンとして祭祀で使われたと考えます。
そのイコンが異形台付土器と言われるものです。
実際の大麻蒸気発生という手間をかけなくても、イコンを使うことによって人々が薬効と同じような効果をある程度得られるように社会が進化したと考えます。
縄文後期には異形台付土器というイコンを軸に様々な言葉(呪文・神話・歌唱・・・)、動作(所作、踊り・・・)等を伴う儀式が開発され社会の円滑な運営に効果を発揮したと考えます。

大麻蒸気発生吸引装置のフィギュア(イコン)としての異形台付土器
元写真は加曽利貝塚博物館で撮影(出土実物)

4 大麻煙の吸引
釣手土器が大麻煙を発生させるための道具であった可能性について、今後検討します。

2019年3月26日火曜日

器台「大麻炙り台」仮説

縄文土器学習 75 器台の検討 5

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(2018.10.20~2019.03.03)に展示されていた2点の加曽利E式器台を主な対象として、器台にまつわる学習を行っています。
この記事では器台の用途について予備的な考察をします。

1 器台の用途に関する諸説
器台の用途について手持ち資料やWEB検索で調べてみました。器台(台形土器)の写真はちらほら見つかりますが、その用途に関する検討資料は下記小田原市「曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点」関連資料以外はほとんどみつかりませんでした。

雑駁な情報収集ですが、私が得た器台用途説をまとめると次のようになります。
1 お供え物をした台(専門家から受けた説明)
2 土器の製作台(小田原市「曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点」関連資料)
3 大麻の炙り台(荒木ブログの仮説)

2 「お供え物をした台」説検討
この説を詳しく検討した資料は見つかりませんでした。この説の説明を専門家から受けましたが、そのような説があるという話であり、自信をもった説明ではありませんでした。
何を乗せて、どのような状況でお供え物をしたのか、器台形状・模様・出土状況等の情報からイメージすることができません。この説の適否を判断できる材料がありません。

3 「土器の製作台」説検討
3-1 曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点における「土器の製作台」説 
曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点では台形土器が12点出土していて、同時に焼成粘土塊、ミニチュア土器、文様が雑な土器が出土していることから土器づくりのムラであったことを想定し、台形土器を土器製作台として有力視しています。台形土器の上で土器づくりをするイメージ写真なども作られています。

参考 曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点出土台形土器
「曽我遺跡群―大磯丘陵に営まれた縄文集落と曽我氏の遺跡―」(小田原市教育委員会)から引用

参考 曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点出土台形土器
「曽我遺跡群―大磯丘陵に営まれた縄文集落と曽我氏の遺跡―」(小田原市教育委員会)から引用

3-2 曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点関する検討
・土器づくりのムラという発想がそもそも間違っているような気がします。どこのムラでも土器づくりが行われていて、特定のムラが土器づくりを専門的(専業的)に行っていたことはないと考えます。
・焼成粘土塊と台形土器を結びつけるなら、その場所で台形土器が沢山つくられたと考えることもできます。
・ミニチュア土器と台形土器を結びつけるなら、その場所が祭祀的な空間であったと考えることもできます。
・台形土器の多くは上面が窪んでいます(上記写真8、9など)。この窪みは土器製作に適しません。もしこの窪みのある台形土器の上で土器を製作したら、出来上がった土器底面が湾曲します。そのような底面湾曲土器は使い勝手がとても悪くなるはずです。底面湾曲土器が多数存在し、その湾曲の程度が台形土器の窪みと一致するなら台形土器が土器製作台であることが証明されます。
・器台(台形土器)のほとんどに透かし穴が開いています。台形土器を土器製作台と考えると透かし穴の存在(機能)を直接説明することはできません。

上記の検討、特に上面湾曲が土器製作の邪魔になることから「土器の製作台」説には疑問を持ちます。

3 「大麻の炙り台」説検討

広ヶ作遺跡出土加曽利EⅣ式器台
千葉市立加曽利貝塚博物館の撮影・公開許可による。

中野僧御堂遺跡出土加曽利EⅡ式器台
千葉県立房総の村の撮影・掲載許可及び千葉市立加曽利貝塚博物館の撮影協力による。

・広ヶ作遺跡出土加曽利EⅣ式器台(以下H器台と略称)の上面窪み中央部に蒸発痕を想起させるような喫水線様模様が存在しています。また中野僧御堂遺跡出土加曽利EⅡ式器台(以下N器台と略称)はわざわざ上面を削って窪みを深めています。これらの情報から器台上面窪みは微量の液体を受ける機能を持っていると考えます。
・H器台は全体が被熱しているように観察できます。N器台は内面上部にススと思われる付着があるように見えます。また双方とも壁面に窓があります。これらの情報から器台は熾火のある炉の上に置かれ、上面に置いたモノを熱する装置であったと考えます。
・上面に置いたモノは熱せられることによって少量の液体が出るものであったと考えます。
・上面上に置いたモノが大麻の葉・花穂(生体あるいは乾燥)であったと考えると、器台を祭祀に使う覚醒作用期待香炉として捉えることができます。香炉といっても大麻を燃やすのではなく、大麻成分を蒸発気化させる装置です。
・大麻(縄文の縄に使う麻)は縄文時代に栽培されていたと言われ、たとえ栽培されていなくても極普通に存在した実用植物です。

現代社会にあっては大麻吸引は害毒ですが、縄文時代にあっては大麻蒸気吸引は祭祀執行や痛み・苦痛の緩和に重要な役割を果たしていたと空想します。
空想に空想を重ねれば、大麻蒸気吸引により作用する幻覚症状で死んだ人との会話が可能となったり、出産における苦痛緩和に使われたと考えます。

4 感想
・器台用途の検討は小田原市曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点におけるもの以外に触れることができませんでした。
・今後さらに情報収集して器台用途について専門家がどのように考えているのか知り、それらを踏まえて思考を深めたたいと考えます。
・「大麻の炙り台」説は素人空想の所産ですが、器台用途検討に意義がある仮説になるものと期待します。
・実用植物としての大麻(縄に使う麻)についても学習を深めることにします。
れきはくデータベース「日本の遺跡出土大型植物遺体データベース」で「アサ、縄文時代」で検索すると25件ヒットします。(記述のあるものは全て種子・果実)

2019年3月24日日曜日

顔面付釣手形土器と吉田敦彦「縄文の神話」

縄文土器学習 74 顔面付釣手形土器 5

1 吉田敦彦著「縄文の神話」と顔面付釣手形土器
なかば朦朧としながらWEB世界をさまよっていると、顔面付釣手形土器の記述に突き当たりました。それを手繰っていくと、吉田敦彦著「縄文の神話」にたどりつきました。
早速古書店から吉田敦彦著「縄文の神話」を取り寄せました。

吉田敦彦著「縄文の神話」
青土社 1987

長野県伊那市御殿場遺跡出土の顔面付釣手形土器に投影して著者の「縄文の神話」論主要部分が開陳されています。

顔面付釣手形土器に投影して著者「縄文の神話」論主部が記述されているページ

著者の論を超要約すると次のようになります。
・この土器は腹が大きく膨れた女体であり、女神像であるように見える。
・胎内に子の燃える火神を宿し、その火に身体を焼かれる母神と想像する。
・日本の神話イザナミは火の神カグツチを生み出し、その火によって陰部を焼かれ致命傷を負った。イザナミはその前後に国土の島と金属・粘土・水・穀物などの神を生んだ。
・イザナミと似た女神神話はメラネシアやポリネシアから南アメリカにかけて分布している。
・日本の神話はアメリカ大陸原住民の神話と著しい類似が見られ、このタイプの神話が日本に流入した時期がきわめて古いことを示唆する。
・身体から火や食物を出すために犠牲となる女神信仰が、わが国では5500年くらい前に始まる縄文中期まで遡ると想定できる。
・当時の人々は土偶・顔面把手付土器・釣手土器によってこの母神を表し、それを使った儀礼により女神の恩恵と犠牲をさまざまな形で表現していたと想像できる。

顔面付釣手形土器の存在を主要な根拠の一つとして、かつグローバルな神話分布にもとづき、イザナミ神話が縄文中期にさかのぼることを述べています。
まことに雄大で魅力的な大仮説です。

2 感想
・「縄文の神話」著者は考古学者ではなく神話学者ですが、顔面付釣手形土器を出産や女陰と関連付けてみていることは自分の観察と通じますので、自分にとっては心強く感じます。
・自分の観察では顔面付釣手形土器には妊婦の具体的出産ノウハウ(紐にぶら下がって出産する方法や介助の様子など)が描かれていると考えられ、妻の安産祈願が主目的の造形物であると考えました。
・顔面付釣手形土器による安産祈願とイザナミ神話(の祖形)が通底していて、出産(安産)祈願と母神信仰が一体であったと考えることも可能であると考えます。そのように考えるとこの土器の意義は誠に大きなものになります。
・吉田敦彦著「縄文の神話」を知ったことにより自分の考古歴史趣味活動の視野奥行が深くなるに違いないと感じます。

器台内側に残る櫛歯状工具の跡

縄文土器学習 73 器台の検討 4

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(2018.10.20~2019.03.03)に展示されていた2点の加曽利E式器台を主な対象として、器台にまつわる学習を行っています。
この記事では千葉市広ヶ作遺跡出土加曽利EⅣ式器台の倒立3Dモデルを作成し、器台を観察しました。

千葉市広ヶ作遺跡出土加曽利EⅣ式器台 倒立3Dモデル
千葉市立加曽利貝塚博物館の撮影・公開許可による。
 3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.351 processing 37 images

この器台内側に櫛歯状工具の顕著な跡が残されていて着目します。

櫛歯状工具の跡
この櫛歯状工具の跡は発掘調査報告書にも記載されています。

発掘調査報告書の挿図
「広ヶ作遺跡調査報告」(1984、千葉市遺跡調査会)から引用

この櫛歯状工具の跡の周辺及び内面全体を3Dモデルを使ってよく観察すると、各所に櫛歯状工具跡の直線状微細溝が残っていて、櫛歯状工具で整形してから指でなぞって平滑にした様子がうかがえます。つまり櫛歯状工具の跡はその部分を指でなぞって平滑にする作業を省略した場所であることがうかがえます。
次の発掘調査報告書記述は、このような作業省略を念頭にしていることが理解できました。
「土器の内面の調整は粗雑で、この土器は内面を問題にしていなかったことがわかる。」

更に観察を外面(器台表面)に移すと、そこにも各所に櫛歯状工具の跡とみられる直線状微細溝が多数存在していることが判ります。つまりこの器台をつくるにあたって全体の整形を櫛歯状工具でおこない、その跡を指で平滑にした作業があったことがわかりました。
この観察から、自分があるかもしれないと着目した(期待した?)器台内部文様は2点ともにないことが判明しました。

縄文土器作成にあたって、櫛歯状工具をこのように土器内外両面整形に使い、かつ両面ともにそれを指で消すという作業が加曽利EⅣ式期の千葉地域で一般的であったかどうかの知識はありませんから、今後専門家の方にその状況をたずねたいと思います。
また残された櫛歯状工具の跡が「雑な作業の結果」であるのではなく、「意図的に残された模様」である可能性が万一あるのかどうか、残る疑問を頭の片隅に置いておきます。

2019年3月23日土曜日

千葉市広ヶ作遺跡出土器台の3Dモデル観察

縄文土器学習 72 器台の検討 3

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(2018.10.20~2019.03.03)に展示されていた2点の加曽利E式器台を主な対象として、器台にまつわる学習を行っています。
この記事では千葉市広ヶ作遺跡出土加曽利EⅣ式器台の正立3Dモデルを作成し、器台を観察しました。

千葉市広ヶ作遺跡出土加曽利EⅣ式器台 正立3Dモデル
千葉市立加曽利貝塚博物館の撮影・公開許可による。
 3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.351 processing 38 images

この器台が展示されていた時の特筆観察事項を含めて次の事柄の観察ができます。
2019.02.20記事「加曽利EⅣ式器台の観察 香炉の可能性」参照
1 通常時の胴部下半を切断して上下逆さにしたような形状をしている。
2 器台上面が深く窪んでいる。(千葉市僧御堂遺跡出土器台は上面が完成後削られて窪んでいたが、この器台は窪んだ形に作られている。)
3 外面には6個の小窓が開けられている。(2個対×3)小窓縁は面取りされている。
4 外面に文様は施文されていない。
5 器台上面に喫水線様の黒い円形筋線がある。

器台上面の模様 中心部の喫水線様の黒い円形筋線

3Dモデルを拡大縮小しつつ、かつくるくる回しながら観察すると喫水線様円形筋線は上面窪みの最下部中央に位置していることを確認できます。この観察からこの模様が液体が蒸発する時にできた模様であるとする推察の蓋然性を高めることができます。

器台の内側を覗く

縄文土器学習 71 器台の検討 2

加曽利貝塚博物館企画展に展示されていた2点の加曽利E式器台を主な対象として、器台にまつわる学習を行っています。
この記事では千葉市中野僧御堂遺跡出土加曽利EⅡ式器台を倒立させた3Dモデルを作成し、器台内部を覗いてみました。

器台の内側 加曽利EⅡ式器台3Dモデル 千葉市中野僧御堂遺跡出土
千葉県立房総の村の撮影・掲載許可及び千葉市立加曽利貝塚博物館の撮影協力による。
 3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.351 processing 36 images

この器台の内側には特段の模様や表象に該当する造作はないものと感じました。
以前展示土器を割れ目から強引に覗いて観察した模様は全て土器を整形した時の指の跡であるようです。
ただし、丸窓内側部分も面取りしてありますので丸窓は丁寧につくられたことが判ります。また縁(正立させたとき地面に接する部分)も通常土器の縁のように丁寧に作られています。
倒立器台の底(つまり正立器台上面の裏側天井部分)の質感が、割れた部分からわかる土器材質そのものと少しだけ異なります。底面は本来材質より少しだけ黒ずんでいて膜に覆われたような質感がありますので常時火焔を受けた跡であると想像しました。

2019年3月22日金曜日

加曽利EⅡ式器台3Dモデル 千葉市中野僧御堂遺跡出土

縄文土器学習 70 器台の検討 1

加曽利貝塚博物館企画展に展示されていた2点の加曽利E式器台を主な対象として、器台にまつわる学習を短期集中で行います。
土器学習入門者のための有力ツールとして3Dモデル活用を構想してきましたが、この記事では使い物になりそうな器台3Dモデルができましたので掲載します。

加曽利EⅡ式器台3Dモデル 千葉市中野僧御堂遺跡出土
千葉県立房総の村の撮影・掲載許可及び千葉市立加曽利貝塚博物館の撮影協力による。
 3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.351 processing 38 images

このモデルは正立モデルです。倒立モデルも作成し器台内部を覗きます。
別に「加曽利EⅣ式器台3Dモデル 千葉市広ヶ作遺跡出土」 も正立、倒立を作成します。
器台の検討は底なし土器や異形土器と関わると予想しています。

上掲「加曽利EⅡ式器台3Dモデル 千葉市中野僧御堂遺跡出土」を利用した詳しい観察・検討は順次行いますが、とりあえずこの記事では次の特徴だけ指摘しておきます。

1 土器完成後、上面が浅い皿状になるように削られています。
この様子は企画展ガラス越し観察では、あれほどまじかに見たのに、判りませんでした。

2 上面と側面がなす円周の角の部分に擦れたような摩滅痕があります。
一部発掘時のキズと思われるものがありますが、これとは別に角の部分はこすられてザラザラになっています。

この二つの特徴は器台の利用に深くかかわるものと考えています。

2019年3月21日木曜日

船橋市海老ケ作貝塚出土獣面把手土器3Dモデル

縄文土器学習 69

3DF Zephyr Lite 及びSketchfabの操作に少し慣れてきて、今までよりましな3Dモデルを作りました。モノクロからカラーに、どうしようもない動きから滑らかな動きにできるようになりました。



参考 土器説明
「海老ケ作貝塚 -縄文時代中期集落祉調査報告-」(1972、船橋市教育委員会)ではこの獣面把手土器について次のように説明しています。
・竪穴住居祉から出土
・褐色土中より発見された深鉢土器である。大きい立体把手と対面に小さい把手を口縁上に配する。大きい立体把手は獣面を表している。把手と把手の間には、1個づつかたつむり状の隆帯を付ける。文様は隆帯と沈線の組み合わせによる渦巻文が主文として埋まる。胴部に一条隆帯がまわり、胴部は無文である。
・本祉の時期は第Ⅲ類土器に分類でき、海老ケ作集落盛期の住居である。土器はいわゆるプレ加曽利EⅠ式、原加曽利EⅠ式に該当し、加曽利E式期に含めて考えることができる。
・遺跡全体では阿玉台式土器と勝坂式土器の影響をうけ、後者の影響が強い。


土器実測図

「海老ケ作貝塚 -縄文時代中期集落祉調査報告-」(1972、船橋市教育委員会)から引用

土器写真

「海老ケ作貝塚 -縄文時代中期集落祉調査報告-」(1972、船橋市教育委員会)から引用

2019年3月20日水曜日

顔面付釣手形土器の発掘調査報告書を読む

縄文土器学習 68 顔面付釣手形土器 4

偶然観覧した伊那市創造館所蔵顔面付釣手形土器(国重要文化財、伊那市富県御殿場遺跡出土 縄文中期 4700年前竪穴住居跡)の印象が強かったので、割込みでその学習をしています。
顔面付釣手形土器の子細な観察は終わりましたが、発掘調査報告書における記述を読み学習を深めます。

1 発掘調査報告書の入手
全国遺跡報告総覧」(奈良文化財研究所)で「顔面付釣手形土器」で検索すると発掘調査報告書がすぐに見つかり、pdfをダウンロードできました。全国遺跡報告総覧の抜群の威力に感心します。このサイトに掲載されている長野県の発掘調査報告書数は2673に及びます。

顔面付釣手形土器出土に関わる発掘調査報告書の検索画面
伊那市教育委員会 1967 『「伊那路」第11巻1号 別刷り:御殿場遺跡緊急発掘調査慨報』伊那市教育委員会

発掘調査報告書掲載の出土状況写真

なお発掘調査報告書ではこの土器を「人面付香炉形土器」と呼んでいます。

2 発掘調査報告書における人面付香炉形土器の記述(要点)

人面付香炉形土器の記述(御殿場遺跡緊急発掘調査慨報)
1 顔面ははるかかなたから幸あれと呼び掛けていて、勝坂式最末期の特徴。
2 正面は煤煙で黒色化、背面は黒色化なし。火焔崇拝という呪術性とかかわる造形。釣手土器の照明用とは異なり、外部一面から焔をかけられた。
3 正面窓を支える掌(同時に紐を通す実用的用途)。
4 背後には蛇身装飾。
5 内部はわずかに煤煙付着。  
6 正面は平板柔和で神聖感満る。背面は立体的、粗剛怪奇で呪術感満る。正面中心の崇拝。
7 勝坂終末期につくられ、加曽利E初頭期に伝世された可能性。
8 呪術的要素のない竪穴住居から出土している。
9 同じ場所から出土した木炭のC14年代測定結果は4160年±100年。

詳しい専門的分析はとても参考になります。
勝坂式土器と加曽利E式土器が登場し最近の加曽利E式土器学習との関わりが生れ、興味が深まります。
特に正面が火焔を受けていて、背面はそれがないというこの土器の使われ方の指摘はこの土器の意義を考える上で重要であると考えました。

ただし、私が思考した出産女性、安産、出産介助行為、産道、吊るし紐といった概念はまったく登場しません。

3 考察
顔面付釣手形土器の意義に関する私の思考はこれまでに次の2点の図にまとめています。

顔面付釣手形土器の解釈(作業仮説)

安産直後を描写した顔面付釣手形土器

発掘調査報告書記述から、上記の私の思考(作業仮説)主要点について変更すべきであると指摘されるような情報を汲み取ることはできませんでした。

素人の私からみて、52年前とはいえ、この土器造形から出産女性、安産、出産介助行為、産道、吊るし紐といったイメージが湧き出さない発掘専門家の思考営為が信じられません。

あるいは、私の現在の思考営為が極端に異端であり、それを本人が気が付かないだけかもしれません。

2019年3月18日月曜日

安産直後を描写した顔面付釣手形土器

縄文土器学習 67 顔面付釣手形土器 3

伊那市創造館所蔵顔面付釣手形土器(国重要文化財、伊那市富県御殿場遺跡出土 縄文中期 4700年前竪穴住居跡)の学習をしています。
顔面付釣手形土器の写真をさらに子細に観察した結果をまとめました。

1 顔面付釣手形土器の3Dモデル
展示館における顔面付釣手形土器ショーケースは3方から写真撮影可能であり、36枚の写真を撮りました。

36枚の写真 一部

36枚の写真(トリミング) 一部

大いに期待して3DF Zephyr liteにより3Dモデル化作業しましたが、見事に失敗しました。満足のゆくモデルが作成できませんでした。
ガラスケースの反射が大きな障害となっているようです。ガラスケースに入った土器の3Dモデル作成はガラス面反射がほとんど無いたまたまの条件の時以外は無理のようです。

ただ、36枚の写真を観察すると、数枚程度の写真を観察する場合と較べて比較にならないほどの有益情報を汲みだすことができます。
結果として3Dモデルが出来なくとも、3Dモデル作成用の写真撮影はとてもよい学習習慣になると考えます。

2 顔面付釣手形土器が描写する出産直後の様子

安産直後を描写した顔面付釣手形土器
住居の上から紐で妊婦を吊るして、重力を利用して出産した直後の様子がこの土器に表現されています。
aは天井に紐を掛ける道具であり、それが妊婦の尻付近にあるのですから、掛け具はもう天井に架かっていません。
bはメインの紐です。この紐が妊婦の体重を支えていました。既にこの紐に力はかかっていませんから、縮んでいて妊婦の背中あたりにあります。
cは脇下紐とメイン紐を繋ぐ紐縛り具です。単なる紐の結び目ではなく、妊婦の背中付近で安全に紐を繋ぐ道具が存在していたと考えられます。
dは脇下紐(背中)です。
eは足紐です。足を持ち上げ開いた状態にする機能があったと考えます。青点線で示したように、この紐はa掛け具とd脇下紐(背中)に結ばれています。足(空洞部分)の下でこの紐が飛び出している部分があります。これは紐が足のももに喰い込まないような添え具の存在を表現してるものと想像します。
fは脇下紐(胸)です。土器は出産直後の様子を表現していますから、この脇下紐がだらりと垂れ下がっています。

3 感想
・出産直後つまり安産直後様子を示していますから、顔面は出産女性が喜びのため息をついている様子であると考えます。出産中の苦しみを表現していると考えたことは間違いでした。
・安産直後の女性の喜びのため息と弛緩した吊るし紐が、命誕生の喜び(安産)を表現しています。
・まさにこの土器は安産のイコン(アイコン)です。安産祈願祭具です。
・この土器は縄文中期出産に関わる道具や方法を示している貴重な資料であると考えます。
・縄文人の最大の関心事は生命の誕生、人の死、食料確保の3点であるような気がしてきました。祭祀と呼べるものは恐らくこの3点に収れんするのではないかと空想します。

2019年3月17日日曜日

顔面付釣手形土器の解釈

縄文土器学習 66 顔面付釣手形土器 2

伊那市創造館所蔵顔面付釣手形土器(国重要文化財、伊那市富県御殿場遺跡出土 縄文中期 4700年前竪穴住居跡)の学習をしています。
顔面付釣手形土器の写真を多数眺めているうちに徐々にこの土器の特徴がわかり、「実感」が湧いてきました。その「実感」を作業仮説としてまとめておきます。

1 顔面付釣手形土器の特徴

顔面付釣手形土器の特徴

1 顔面が正面であると考えられる。
2 顔面は女性を想起させる。耳飾りがある。背後は頭で結髪している模様と考えられる。
3 顔面下に谷状模様をはさんで大きな穴のあるかすかに内湾した平面がある。
4 平面の両側には5つのくぼみがあり、背後から平面に伸びる5つの指状アーチと対応している。
5 指状アーチが指であり、くぼみが爪であるとすれば、両手がこの平面をつかんでいるように見える。  
6 平面には穴の回りをめぐる沈線が描かれている。
7 背後には2つの小穴が開き、その周りを隆帯が巡る。
8 背後中央部上下に太い紐が折り重なっている。
9 背後中央部上に欠けている内湾部分が付いている。背中背後に何かを背負っているように見える。

2 顔面付釣手形土器の解釈(作業仮説)

顔面付釣手形土器の解釈(作業仮説)

1 顔面は出産時の苦しむ妊婦の顔である。
2 正面の大きな穴は産道である。穴をめぐる沈線は女性器外陰部を描写している。
3 外陰部を両側から出産介助者が両手で広げている様子が描写されている。
4 背後2つの小穴は妊婦の足を表現していて、紐で足を広げている様子が描写されている。
5 小穴には草木の束などを差し込んでリアルな足(もも)を表現していたかもしれない。  
6 背後の折り重なる紐は、幾重にも束ねた紐を表現している。
7 背後欠けた内湾部分は妊婦の足や体につけた紐をまとめて縛った瘤を表現している。
8 この土器は、妊婦を紐でつるし重力を利用する出産場面で、介助者が両手で産道を開いている場面も表現している。妊婦の両手はつるし紐を握っていると想像できる。
9 この土器は安産のイコン(アイコン)である。安産祈願祭具である。

3 感想
・自分が予期していなかった方向に思考が進みわれながら驚いています。
・展示館展示パネル以外の専門的知識所持がゼロですから、今後この土器に関する既存知識を吸収することにします。
・この土器に関する知識が増えた時、この記事作業仮説がたとえトンチンカンなものであったとしても、このような思考をした体験は学習上血肉になると考えます。

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追記 2019.03.18
顔面を「出産に苦しむ妊婦の顔」と書きましたが、もだえ苦しんでいる様子ではなく安らかに出産の瞬間を食いしばっていて、声を出している様子が読み取れます。出産瞬間の理想的な妊婦の顔を表現しているのだと思います。
追記 2019.03.20
2019.03.18記事「安産直後を描写した顔面付釣手形土器」に書いた通り、顔面は「出産女性が喜びのため息をついている様子である」と考えます。出産中の苦しみを表現していると考えたことは間違いでした。

2019年3月16日土曜日

顔面付釣手形土器の観覧

縄文土器学習 65 顔面付釣手形土器 1

偶然のラッキーチャンスが生まれ、伊那市創造館で顔面付釣手形土器(国重要文化財)を観覧しました。
土器学習に意識が向かっていると土器に関する偶然が増えます。

顔面付釣手形土器
伊那市富県の御殿場遺跡から出土 縄文中期 4700年前の竪穴住居跡。

顔面付釣手形土器
ひもを通す小型のアーチが左右5個ずつつけられています。
小型のアーチが縄文人の手の太い指のように感じました。

顔面付釣手形土器
内部で火を灯した灯火具という説が有力で、非日常の祭具と考えられています。

顔面付釣手形土器
背面には複雑な模様が貼り付けられています。欠けていますが凹面のようなものも背負っています。

説明パネル

ガラス張りショーケースに入ったこの土器をじっくり観察しましたが、「実感が湧きません」。
多方向から写真をとりましたので3Dモデルができるかどうか試してみます。
3Dモデルあるいは多数写真を見ながら空想をめぐらし、この土器に関して自分の中になにかしらの「実感」を湧かせたいと思います。その実感がトンチンカンなものでも、後日役立つにちがいありません。

2019年3月12日火曜日

獣面把手土器3Dモデル

縄文土器学習 64

飛ノ台史跡公園博物館常設展土器の一つである船橋市海老ケ作貝塚出土獣面把手土器の3Dモデルをいじれるような形式でアップしました。
複雑な把手の造形を詳しく観察することができます。

船橋市海老ケ作貝塚出土獣面把手土器3Dモデル
画面のmodel inspector(i)でmatcapに設定すると全体が見やすくなります。

土器の詳しい説明は2019.02.27記事「海老ケ作貝塚出土獣面把手土器の3Dモデル化」参照。


2019年3月11日月曜日

176年前印旛沼堀割普請遺構か 花見川河床の列状パターン

2019.01.31記事「ボーっと毎日散歩してんじゃねーよ! 印旛沼堀割普請跡の露出」で、柏井橋架替工事現場で1月22日頃の24時間~48時間程度、176年前天保期印旛沼堀割普請遺構が眼前に露出した可能性をメモしました。
その後工事主体である千葉市道路建設課にその時点の現場写真があるかどうか問い合わせたところ5枚の写真を提供していただきました。そのうち1枚の写真に印旛沼堀割普請遺構の可能性のある列状パターンが写っていますのでメモします。
工事写真を提供していただいた千葉市道路建設課に感謝します。

1 柏井橋架替工事現場の位置

柏井橋架替工事現場

2 花見川河床が露出した写真の調整
提供していただいた写真5枚のうち1枚は矢板で囲った場所の水抜き直後でかつ工事開始前の様子が写っていました。
この写真を調整して観察しやすくしました。

元写真を調整した様子
調整2を使って観察しました。

3 列状パターンの観察
水を抜いて露出した河床部において、木質人工構造物の可能性がある列状パターンを観察することができます。

木質人工構造物の可能性がある列状パターン

木質人工構造物の可能性がある列状パターン

画面右部分では直径数センチ程度の木杭を密集させて2列状に打ったような印象を受けるパターンです。

4 列状パターンが印旛沼堀割普請遺構である可能性の検討
天保期印旛沼堀割普請の資料・記録は「天保期の印旛沼堀割普請」(千葉市発行)などに詳しくまとめられています。掘削に使われた道具など多数が図解で極めて正確に知ることができます。しかし工事は素掘りを基本としていて標準となる土木構造物は存在していなかったようです。木や竹を使う土木構造物の情報は伝わってきていないようです。
ただ、次の天保期印旛沼堀割普請の図に失敗した天明期普請の木杭が露出した様子が描かれています。

天保期印旛沼堀割普請の図 化灯土の工事が難渋している様子 場所は柏井橋付近
久松宗作著「続保定記」収録図
「天保期の印旛沼堀割普請」〔千葉市発行〕より引用
右手上の方向が花島方面(下流)です。
木杭列は天明期印旛沼堀割普請のものが出てきたと図中文章で書かれています。

天保期印旛沼堀割普請の様子 図中央が柏井橋 左が海方向、右が新川方向
久松宗作著「続保定記」収録図
「天保期の印旛沼堀割普請」〔千葉市発行〕より引用

柏井橋付近の河床は厚い化灯土(泥炭)が堆積していて工事が難渋して普請失敗の最大の原因となりました。いくら掘っても周辺から流れ込んでしまう「馬糞のような」化灯土を食い止めるために、天保期印旛沼堀割普請でも木杭列が使われたことは確実であると推定します。

従って、今般花見川河床に露出した木質人工構造物の可能性のある列状パターンは天保期印旛沼堀割普請の土木遺構である可能性が浮かび上がります。

4 列状パターンの3次元空間的チェックの必要性
花見川河床に現出した列状パターンが天保期印旛沼堀割普請の遺構である可能性の蓋然性を高めるために3次元空間的にチェックしておく必要があります。
この記事ではとりあえず「目検討」でチェックします。
4-1 標高
柏井橋付近の花見川水面は下流の水門によって通常標高4.5m程度に維持されています。
露出した列状パターンはそれよりも1.5m~2mくらい下にありそうです。
目検討で列状パターンの標高は2.5m~3mくらいのようです。
一方、次の資料では天保期印旛沼堀割普請の河床は3mくらいになります。

天保期印旛沼堀割普請の河床高
三浦祐二・高橋裕・伊澤岬編著「運河再興の計画 房総・水の回廊構想」(彰国社刊)から引用

標高に関しては列状パターンが天保期印旛沼堀割普請遺構である可能性があります。

4-2 平面的位置
現場観察により、列状パターンは撤去前旧柏井橋の橋脚位置とはずれているようです。列状パターンは旧柏井橋橋脚の下流側に位置するように目検討で確認できます。

4-3 目検討チェックと精査の必要性
目検討で3次元空間的にチェックすると列状パターンが天保期印旛沼堀割普請遺構である可能性の蓋然性が高まりました。
今後資料で正確にチェックする必要性があります。

5 今後の検討
花見川河床に176年前印旛沼堀割普請遺構の可能性のある列状パターンが見つかりました。この列状パターンが天保期印旛沼堀割普請の遺構である可能性のチェックとして3次元空間的な精細チェックは今後不可欠です。
そのチェックの後、この列状パターンに関する考察を深めることにします。

6 参考 国家プロジェクトとしての天保期印旛沼堀割普請の目的と規模
ペリー来航により外国勢力によって東京湾が封鎖され東北からの物資が江戸に届かなくなる恐れから、銚子→利根川→印旛沼→新川→花見川→東京湾の戦略水運路開設が急がれ、その実現が天保期印旛沼堀割普請の目的です。
庄内藩など全国5藩がお手伝い普請をしましたが完成直前に老中水野の失脚により失敗となりました。3か月という短期間に100万人の人夫が動員された国家一大プロジェクトでした。