2021年8月31日火曜日

サイト イボキサゴの開設

 サイト イボキサゴを開設しました。ブログ「花見川流域を歩く」記事のうちイボキサゴに関連する記事を今後継続して集成していくサイトです。


サイト イボキサゴの表紙画面


サイト イボキサゴの記事画面例

サイト開設の直接の目的は今後イボキサゴ関連記事が増えていった時、自分自身がふりかえることを容易にするためです。長期的にはイボキサゴに関する私の取り組みや思考について興味を持つかもしれない未来の数少ない好事家に、検索により見つけてもらいやすくするための一つのしかけです。

イボキサゴという特定切り口を持つことによって、縄文貝塚社会に深く切り込み、学習を加速したいという夢想をしていて、当面は次のような活動ができれば面白いと考えています。

1 微小なモノであるイボキサゴの完全で精細な3Dモデル作成技術を獲得して、多数イボキサゴの3Dモデルを作成して、宝石のように並べて楽しむ。(微小土偶とか、微小コハク製品などの顕微鏡的で完全な3Dモデル作成活動に発展させる)

2 縄文貝塚出土イボキサゴと現生イボキサゴの3Dモデルをつかった比較検討を行う。(出土イボキサゴの閲覧、計測、3Dモデル作成など)

3 縄文貝塚イボキサゴ破砕層の意義学習を深める。(破砕による利用方法の検討、破砕方法の検討(実験的検討)…)

4 縄文イボキサゴ出土地層断面観察の機会到来を待つ。

5 イボキサゴ料理を楽しむ。

6 イボキサゴあるいは類縁種を図案とした海外切手を探し、あれば入手して自己満足する。(イボキサゴの海外分布は、利用は?)


2021年8月29日日曜日

サイト「地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説」をリニューアルしました

 サイト「地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説」をリニューアルしました。これまでのPDF画像貼り付けから、全5記事を1つのweb画面にまとめまて読みやすくしました。


サイト「地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説」リニューアル画面

地名「千葉」の起源について梅原猛の仮説を軸に、梅原猛に影響を与えたであろう武田宗久(千葉市縄文貝塚研究の基礎を築いた考古学者)の地名「千葉」起源研究を基礎として学習を展開しました。

梅原猛の仮説(「千葉」はチパ(=ヌササン(イナウによる祭壇))なり)は武田宗久の考え方(「千葉」はチハ(枕詞チハヤフルと同根)なり)と共鳴するものであり、共にその起源を原始(原史)に展望しています。共に植物繁茂説を否定しています。

この学習により自分は縄文時代の地名が現代にまで途切れることなく伝来して来ているという事象存在に確信を持ちました。縄文学習の魅力がますます増大します。


土器密集表現ヒートマップの3Dモデル

 縄文社会消長分析学習 127

有吉北貝塚北斜面貝層の土器密集表現ヒートマップの3Dモデルを作成して、土器密集状況の様子をさらに直観的に把握できるように表現しました。

1 第10・11群(加曽利EⅡ式 磨消以後)土器密集表現ヒートマップ3Dモデル

第10・11群(加曽利EⅡ式 磨消以後)土器密集表現ヒートマップ3Dモデル
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

QGIS(プラグインQgis2threejs)により作成


ヒートマップ素図
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

第10・11群(加曽利EⅡ式 磨消以後)土器出土分布図
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

ヒートマップ3Dモデルの動画
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

2 ヒートマップ3Dモデルの作成方法

QGISでドット図からヒートマップを作成しました。まだ色塗りしていないできたてホヤホヤのヒートマップデータは次の通りのDEMデータgeotiffファイル型式です。


生のヒートマップデータ

つまりヒートマップデータの本質はDEMデータですから、DEMデータを3Dモデル表示するのと同じ方法で3Dモデル表示できます。

3 第12群(加曽利EⅢ~EⅣ式)土器密集表現ヒートマップ3Dモデル

第12群(加曽利EⅢ~EⅣ式)土器密集表現ヒートマップ3Dモデル
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

QGIS(プラグインQgis2threejs)により作成


ヒートマップ素図
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

第12群(加曽利EⅢ~EⅣ式)土器出土分布図
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

ヒートマップ3Dモデルの動画
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

4 感想

ドット図よりもヒートマップ図、ヒートマップ図よりもその3Dモデルのほうが土器分布特性(出土土器片の密集状況特性)をより直観的にかつ情報要約的に把握できます。これにより思考の大部分を分布特性そのものの把握ではなく、分布特性の意義(意味)に使うことが可能になります。

ヒートマップ3Dモデルに表現される峰々はそれぞれがあるまとまった期間における活動(廃用大形土器の持ち込み→破壊→堆積活動)に対応していると考えています。その活動はガリー流路(普段は水はない)の上流(図左)から下流に移動したと考えられます。


2021年8月28日土曜日

有吉北貝塚北斜面貝層の土器密集表現ヒートマップ

 縄文社会消長分析学習 126

有吉北貝塚北斜面貝層の土器群別出土平面分布の概要は既に検討しました。

2021.08.25記事「有吉北貝塚北斜面貝層の土器片分布 素分析

しかし、第10・11群土器と第12群土器は密集の様子がドット図ではドットが重なり正確に表現できません。そこでこの2つについてヒートマップを作成して密集状況を把握しました。

1 第10・11群(加曽利EⅡ式 磨消以後)土器密集表現ヒートマップ


第10・11群(加曽利EⅡ式 磨消以後)土器密集表現ヒートマップ
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

赤~黄色の色で土器出土密集域が表現されています。よく見ると密集域は団子状に連なっています。

ガリー流路(普段は水はない)沿いで廃用大形土器を破壊してその場に堆積させる活動が繰り返し行われ、その活動跡が団子状に残ったと推定します。逆に考えると1つの団子状密集域はある期間のまとまった活動を表現していると推定します。団子状密集域は上流から下流に向けて発達したと考えられます。

ヒートマップはQGISで作成しました。

ヒートマップ作成の素となる分布図は次の通りです。


第10・11群(加曽利EⅡ式 磨消以後)土器出土分布図
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

2 第12群(加曽利EⅢ~EⅣ式)土器密集表現ヒートマップ


第12群(加曽利EⅢ~EⅣ式)土器密集表現ヒートマップ
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

第12群においても土器密集域が団子状に分布します。その場所は第10・11群密集域の下流域に該当し、かつ西側(図面上側)に移動しています。

ヒートマップ作成の素となる分布図は次の通りです。


第12群(加曽利EⅢ~EⅣ式)土器出土分布図
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

3 メモ

第10・11群ヒートマップの上に第12群の密集域をプロットして見ました。


第10・11群ヒートマップに第12群密集域をプロット
【図の間違いは訂正しました。2021.09.14】

第10・11群密集域の上流付近には第12群密集域はありません。もともと土器出土もほとんどありません。この様子から土器持ち込み破壊堆積活動は第10・11群の時期にはじまり、第12群の時期までつづいたことがわかります。また活動は上流から下流に向かって移動したことも判ります。さらに、おそらくガリー流路の位置が第12群の時期には西に移動したと推定します。


2021年8月25日水曜日

有吉北貝塚北斜面貝層の土器片分布 素分析

 縄文社会消長分析学習 125

「北斜面貝層土器出土状況」図には膨大な貴重情報が含まれていますが、この記事では平面分布図ができましたので、最初の土器片分布に関する素分析を行います。

1 北斜面貝層土器出土状況 全土器


北斜面貝層土器出土状況 全土器
【図の間違いは訂正しました。2021.09.13】

6凡例別にその分布をプロットしたものです。貝層の分布に対して土器片は全く異なる原理で分布していることがわかります。

貝層は箱形地形を満たすような分布を呈しています。貝層はなぜこのような分布をしているのか基本的な検討課題です。

一方土器密集域は大局的にはガリー流路に沿って分布してるように感じられます。同時に貝層分布域にまばらに分布している土器片もあります。さらに箱形地形下流域(図の右側)では貝層分布域や箱形地形域から飛び出して土器片が分布します。これらの土器片分布原理を明らかにすることが重要な学習課題となります。

2 北斜面貝層土器片 土器群別出土数


北斜面貝層土器片 土器群別出土数


有吉北貝塚北斜面貝層出土土器片 土器群別集計

第10・11群土器(加曽利EⅡ式磨消以後)が488点で全体の61.62%を占めます。次いで第12群土器(加曽利EⅢ~EⅣ式)が155点で19.57%ですから第10・11群土器と第12群土器を合わせると647点、81.19%となります。北斜面貝層における土器投棄のメイン時期がこの情報からわかります。しかし、第1~6群土器は95点、11.99%の割合を占めます。この時期にも北斜面貝層における縄文人の活動存在が見えてきます。

3 第1~6群土器


北斜面貝層土器出土状況 第1~6群土器
【図の間違いは訂正しました。2021.09.13】

全体の分布はツリーのように分岐する列状分布のように観察できます。つまり流路沿いに分布しているような直観を持つことができます。この時期のガリー流路に対応しているものかどうか確かめることが学習課題となります。

全土器分布図でみると、メイン土器群(第10・11群、第12群)の分布と第1~6群の分布は異なるように観察できそうです。つまり、第1~6群土器はメイン土器群と一緒に持ち込まれたのではなく、第1~6群の時期に持ち込まれたと言えそうです。本当にそれがいえるのか学習課題とします。

第1~6群土器のメイン分布は箱形地形下流部の貝層範囲外に存在します。その土器片と貝層形成がどのように関係するのか、関係しないのか、その関係性をあぶりだすことが重要な学習課題となります。貝層内出土第1~6群土器の層準を詳しく調べる必要があります。

4 第7・8群土器


北斜面貝層土器出土状況 第7・8群土器
【図の間違いは訂正しました。2021.09.13】

たった8点の出土ですが、その分布はメイン土器群(第10・11群、第12群)の分布とは関係が無いようですから、第7・8群土器はその時期(加曽利EⅠ式期)に持ち込まれた可能性が生まれます。出土層準を検討することにします。

5 第9群土器


北斜面貝層土器出土状況 第9群土器
【図の間違いは訂正しました。2021.09.13】

第9群土器の分布域は貝層の中上流部であり、メイン土器群(第10・11群、第12群)の集中分布域に近づいています。第9群土器の出土層準がメイン土器群と同じなのか、異なるのか詳しく検討することにします。

6 第10群・11群土器


北斜面貝層土器出土状況 第10・11群土器
【図の間違いは訂正しました。2021.09.13】

原図の記号を拡大して描画しているため、記号が何重にも重なってしまうという作図上の理由から、実際の密集状況の激しさはこの図では十分に表現されていません。今後ヒートマップ作成などで実際の密集状況をよりリアルに表現して検討することにします。

ガリー流路沿いに土器片が分布しています。その粗密の理由について考察を深めることにします。

なぜ第10・11群土器の時期に北斜面貝層に土器投棄が集中して開始されたのか、詳しく検討することにします。

なお第10・11群土器密集域に第12群土器が伴わない区間があり、第12群土器が伴う区間より古い活動を示しているように観察できます。

第10・11群土器投棄の時期に貝層がどのような状況であったのか、詳しく検討します。土器投棄メイン時期と貝層形成メイン時期が対応すると考える根拠が本当にあるのか、再考します。

今後の作業にかかりますが、石器や歯牙骨角など土器以外出土物と一緒に考察することが大切ですから、それらに出土情報(分布情報)の整理も急ぐことにします。

7 第12群土器


北斜面貝層土器出土状況 第12群土器
【図の間違いは訂正しました。2021.09.13】

第10・11群土器のメイン集中区間とくらべて第12群土器メイン集中区間は下流に移動するようです。その理由解明に興味がつのります。土器以外出土物との対応も興味がわきます。

8 浅鉢


北斜面貝層土器出土状況 浅鉢
【図の間違いは訂正しました。2021.09.13】

浅鉢の分布からどのような情報を引き出せるのか、今後検討を深めることにします。

9 感想

個別土器片について平面位置と投影断面位置の情報と貝層断面図を組み合わせると、出土層準が推定できます。その操作解読により、土器投棄と貝層形成の関係がデータとして判明できそうです。さらに、土器接合情報から、離れた場所の層準の対応関係も判るかもしれません。最大限の興味を持ちながら検討作業を進めます


2021年8月23日月曜日

北斜面貝層土器出土状況の分析学習着手

 縄文社会消長分析学習 124

2021.08.10記事「貝層中の貝殻体積の測定」までの学習で有吉北貝塚発掘調査報告書の北斜面貝層断面図の分析学習を深めることができました。この記事からは北斜面貝層土器出土状況の分析学習を開始します。

1 「北斜面貝層土器出土状況」図の解読

「北斜面貝層土器出土状況」図は次例のような図が4ページにわたって発掘調査報告書に掲載されています。


北斜面貝層土器出土状況 例

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

最初はどのような図であるのか皆目見当がつかない状況でした。そもそも高齢の自分にとっては記号や数値がおぼろげにしかわかりません。

しかしじっくり見ていると、つぎのような平面図(上)と投影断面図(下)セットの土器片出土位置図であり、土器片の接合状況を事細かに図示している超貴重データであることがわかりました。


土器出土状況図の構成


発掘調査報告書掲載図面の正確な平面対応

次にこの土器出土構成図を読めるレベルでスキャンする必要があります。通常のスキャンでは数値(土器番号)と記号(時期別)が読み取れません。そこでいつものスキャンとは違う設定(最高解像度で白黒設定)でスキャンして、ようやく読み取り可能な資料にすることができました。


スキャナー最高解像度で白黒設定でスキャンした様子 1㎜刻みのスケールを置く

2 土器出土状況図 平面図 時期別塗色

平面図は時期別(+浅鉢)に6区分されています。

まず最初の作業としてこの時期別記号を色をつけて大きく表示して、その分布が判るような資料を作成しました。


土器出土状況図 平面図 時期別塗色
【図の間違いは訂正しました。2021.09.13】

土器出土状況図 平面図 時期別塗色 (部分拡大図)

時期別に塗色すると、全く新しい情報が目に飛び込んできます。即座に興味を引く事項は、例えば、次のようになります。

ア 第1~6群(阿玉台式・中峠式)の出土範囲が北斜面貝層の北で貝層分布域から外れて一定の分布を示します。この範囲には第10・11群、第12群も分布します。貝層分布から外れて分布するのはこの範囲だけであり、また箱形地形が狭まる「出口」でもあり、特別の意味がありそうです。第1~6群の時期にすでに北斜面貝層が使われていた可能性が検討課題になりそうです。

イ 第7・8群(加曽利EⅠ式)と第9群(加曽利EⅡ式 磨消以前)の分布数は少なくなっています。ただし、その分布域は第10・11群(加曽利EⅡ式 磨消以後)、第12群と異なるようです。つまり第10・11群や第12群土器が持ち込まれた時に一緒に第7・8群や第9群が持ち込まれたのではないことを示しているようです。第7・8群土器の時期にも、第9群土器の時期にも北斜面貝層は細々ですが利用されていたことが判ると考えます。

ウ 第10・11群土器がメインでありガリー河道部分に集中出土しますが、第2断面から第3断面付近には第12群土器がほとんど出土しません。この区間は第10・11群土器の時期に土器が投棄され、その後埋没した(埋められた)と考えることができます。第3断面から下流は第10・11群土器と第12群土器が出土しますから第10・11群土器の時期から第12群土器の時代まで継続して利用された(土器が投棄された)ようです。

上記の例(ア、イ、ウ)のように「土器出土状況図 平面図 時期別塗色」は北斜面貝層の成り立ちを考えるうえで基本となる重要情報を含んでいます。次の記事から詳細に分析することにします。

2021年8月21日土曜日

破砕イボキサゴの殻径

 有吉北貝塚を始め東京湾岸貝塚から破砕イボキサゴ貝層が出土していて、なぜ破砕したのか興味が湧きますが、破砕イボキサゴと通常出土イボキサゴの殻径データが「史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)に掲載されていることを西野雅人先生から教えていただきました。破砕の意味が判るかもしれない貴重なデータであり、最初の検討をメモします。

1 イボキサゴの復元殻径と比較


イボキサゴの復元殻径と比較

「史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)から引用

破砕イボキサゴ貝層に含まれる破片の中から軸高計測可能なものを見つけて軸高を計測し、軸高と殻径の間には関係があるので、その関係式にもとづいて破砕イボキサゴ殻径を復元しています。

このグラフをみると破砕イボキサゴは通常出土イボキサゴ(破砕されていないイボキサゴ)より4㎜程小さいイボキサゴになっています。つまり小さいイボキサゴ(殻径中央値-10㎜)については破砕しているということです。一方大きいイボキサゴ(通常のイボキサゴ)(殻径中央値-14㎜)は破砕していないということです。

このグラフの解釈として、身を取り出すことが可能な大きさのイボキサゴはそのまま取り出し、身を取り出すことが困難なイボキサゴは殻ごと潰して、殻と身がぐちゃぐちゃになったなかから身や内蔵エキスを何らかの方法で選別採集していたことを考えることができます。

なお、小さいイボキサゴほど貝殻の強度は低いと考えられますから、身を一つ一つの貝から取り出す膨大な手間を回避するために、つまり一挙に身を取り出す方法を適用するために、わざと小さなイボキサゴを選択して採取したという捉え方も成り立つかもしれません。

このデータは有吉北貝塚北斜面貝層の成り立ちを考える上でも大変貴重な情報になると思います。

2 2021.07.10木更津盤洲干潟採取イボキサゴ殻径頻度分布

2021.07.10木更津盤洲干潟採取イボキサゴのなかから無作為に50個を選び、殻径、軸高、殻高を電子ノギスで計測しました。


殻径、軸高、殻高を計測したイボキサゴ50個

この計測のうち殻径の頻度分布をグラフにすると次のようになります。


2021.07.10木更津盤洲干潟採取イボキサゴ殻径頻度分布

-17㎜(16.1~17.0㎜)に全体の54%が集中します。殻径は加曽利貝塚出土通常イボキサゴより3㎜大きく、破砕イボキサゴより7㎜も大きくなります。

このグラフを1の加曽利貝塚グラフに追記すると次のような資料になります。


イボキサゴ殻径頻度分布の比較

盤洲干潟採取イボキサゴのサンプル数はたったの50ですから、データの重みが異なりますが、予察の予察であるとする立場にたてば、興味ある事象が空想できそうです。

【空想】 現生イボキサゴの殻径の方が加曽利貝塚出土イボキサゴより大きい可能性がある…………………現在はイボキサゴを食用として採集していませんから、自由にすくすく育っていてイボキサゴが本来の大きさに育っています。一方縄文時代は採集圧でイボキサゴの育ちはわるく、小さいイボキサゴが多かったと考えます。特段に小さいものまでも大量に採集し、それは破砕しなければ利用できないほどだったのです。

3 感想

現在のイボキサゴよりはるかに小さなイボキサゴを大量に利用していたという事実は、イボキサゴの利用においてタンパク源としての身(肉)の利用がメインではなく、旨味としての利用がメインであるという考え方の確からしさをより確固としたものにするような印象を持ちます。


2021年8月20日金曜日

イボキサゴ 観察記録3Dモデル モデルの改良2

 2021.07.29記事「イボキサゴ 観察記録3Dモデル(試作)」で最初のイボキサゴ3Dモデルを試作し、2021.08.13記事「イボキサゴ 観察記録3Dモデル モデルの改良」で3Dモデルを改良しました。しかし撮影でつかった「針」が3Dモデルの中に残ってしまい、及第点レベルを下げるにしても及第することができませんでした。

その後再度モデル改良に取り組み、「針」を除いて3Dモデルを作成できましたので、メモします。

1 イボキサゴ 観察記録3Dモデル(試作4)

イボキサゴ 観察記録3Dモデル(試作4)

2021.07.10木更津市盤洲干潟で採取

2021.08.19撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.006 processing 275 images


スケールとイボキサゴ


イボキサゴ撮影の様子


カメラ配置

2 撮影方法

細い針金で台をつくり、その台の上にイボキサゴを乗せ、ターンテーブルで回しながら撮影しました。

3 写真のマスク

全ての撮影写真から「針金の台」部分をPhotoshopブラシで背景色を塗ることにより消しました。

4 3Dモデルの出来ばえ

完全体3Dモデルをつくるという最低限の目的は達成することができました。

・イボキサゴ全体の3Dモデルが結像している。

・精細なテクスチャが表現されている。


試作4 3Dモデルの様子


参考 試作3の3Dモデルの様子

同時に次の課題が浮かびあがりました。

ア 開口部の内部の形状が正確に結像していません。その部分の写真が不足しているようです。

イ テクスチャの精細さが試作4は試作3より少しですが劣るように観察できます。試作3撮影ではイボキサゴとカメラレンズの距離が長く、試作4撮影ではその距離が短かったためであると考えます。対象物とレンズ距離を短くすると対象物の画面上での大きさは大きくなるですが、ピントが合う部分が極限されてしまい、その周囲はピンボケになるためです。結果として判ったことですが、接写すればするほど対象物全体のピントを合わせることは、通常カメラではできないということです。

5 感想

ア イボキサゴを色々な方向で安定して置ける台の自作が撮影に不可欠であることがようやく判りました。対象物が小さいため通常のありもの流用では対応できません。対象物が大きければこのような課題は発生しません。

イ 撮影写真のマスクに多大な労力がかかることも逃れることはできないようです。

ウ 特殊なカメラでは接写撮影で深度合成ができる(奥行のある対象物でも全部にピントがあった撮影ができる)ので、次のステップでこのカメラを試してみることにします。

6 参考 イボキサゴの計測

イボキサゴの軸高、殻高、殻径をノギスで計測しました。


軸高、殻高、殻径


軸高、殻高、殻径の計測値


2021年8月17日火曜日

webサイト「有吉北貝塚学習記事集成」の構築

 有吉北貝塚の学習を行っていますが、そのブログ記事数が99となり次の記事で3桁になります。ブログには有吉北貝塚学習以外の記事もありますから、有吉北貝塚学習を体系的にふりかえるためには不都合もあります。そこでwebサイト(Googleサイト)に有吉北貝塚学習記事だけを集めて転載しました。このwebサイト「有吉北貝塚学習記事集成」により有吉北貝塚の学習の歩みをふりかえることが効率的にできます。

なおこのwebサイトは自分が実務的に使うことを第1に考えていますから装飾性は持たせないことにしました。同時に、web検索を通して考古などに興味のある好事家には見ていただきたいという期待は持っています。過去に作成したテーマ別記事集成サイトもweb検索を通して自分が考えていた以上に多数の方々に閲覧していただいています。


webサイト「有吉北貝塚学習記事集成」の表紙


webサイト「有吉北貝塚学習記事集成」のページ例

……………………………………………………………………

2021.08.17現在の目次

●アリソガイ実験学習

アリソガイ実験学習の開始

アリソガイ学習の作業仮説と予備実験1

縄文中期有吉北貝塚の製革工程イメージ(予察)

アリソガイのシカ革・シカ毛皮塗布実験

陸前高田市大陽台貝塚出土アリソガイの隔絶分布意義

アリソガイの3Dモデル作成と観察

縄文中期アリソガイの利用原理(作業仮説)

千葉市有吉北貝塚出土アリソガイと皮なめし作業との関係(想像)

アリソガイ製ヘラ状貝製品の予察観察

アリソガイ製ヘラ状貝製品の予察観察 その2

使い込まれたアリソガイ製ヘラ状貝製品の観察

有吉北貝塚出土アリソガイ3点目の観察

貝殻成長線と擦痕を強調した3Dモデルの作成

アリソガイを獣皮タンニンなめしに使った可能性

アリソガイ(373図15)観察

アリソガイ(373図18)観察

ハマグリ製ヘラ状貝製品の3Dモデル観察

ハマグリ製ヘラ状貝製品の3Dモデル観察 その2

アリソガイ製ヘラ状貝製品等観察の中間総括

アリソガイ製ヘラ状貝製品の曲線的摩耗の成因検討資料作成

アリソガイ製ヘラ状貝製品の曲線的磨耗成因検討資料2の作成

参考資料 アリソガイ製ヘラ状貝製品とハマグリ製貝刃の比較

アリソガイの使用法推定


●有吉北貝塚学習(主に中期以外)

千葉市有吉北貝塚の遺物と遺構

有吉北貝塚学習のための分析インフラ整備

有吉北貝塚遺構配置図のQGISプロット

有吉北貝塚保存区域の存置地形

有吉北貝塚開発前地形の復元3Dモデル

有吉北貝塚の早期遺構

有吉北貝塚 炉穴・陥穴・土器の分布

有吉北貝塚 早期の土器

有吉北貝塚 前期の遺構

有吉北貝塚 開発前地形と開発後地形 3Dモデル

有吉北貝塚 前期の土器

有吉北貝塚 前期土製耳飾

有吉北貝塚 後期遺構

有吉北貝塚 後期土器


●有吉北貝塚中期遺構学習

有吉北貝塚 中期遺構学習計画

有吉北貝塚 中期集落の趨勢

有吉北貝塚 中期集落の空間構造

有吉北貝塚 出土土器の学習

有吉北貝塚 阿玉台式土器の学習

阿玉台Ⅲ式期に始まる時代画期

有吉北貝塚 中峠式土器の学習

有吉北貝塚出土中峠式土器の観察

中峠式期前後の貝塚文化開拓最前線の空間移動(作業仮説)

有吉北貝塚 阿玉台式土器及び中峠式土器出土竪穴住居分布 3Dモデル

有吉北貝塚 阿玉台式期と中峠式期の竪穴住居分布特性の大きな差異

有吉北貝塚 加曽利EⅠ式土器学習について

縄文学習促進のための作業仮説

有吉北貝塚出土加曽利EⅠ式土器観察

有吉北貝塚出土加曽利EⅠ式土器観察 2

有吉北貝塚出土加曽利EⅠ式土器観察 3

有吉北貝塚出土加曽利EⅠ式土器観察 4

有吉北貝塚出土加曽利EⅠ式土器観察 5

有吉北貝塚出土加曽利EⅡ式土器学習の開始

有吉北貝塚土坑分布図作成作業

有吉北貝塚土坑分布図作成作業 2

有吉北貝塚土坑分布図作成作業 3

有吉北貝塚出土加曽利EⅡ式土器の学習 竪穴住居編

有吉北貝塚出土加曽利EⅡ式土器の学習 土坑編


●北斜面貝層学習

有吉北貝塚北斜面貝層の概要

有吉北貝塚の北斜面貝層から出土した加曽利EⅡ式土器(紙上観察) 1

有吉北貝塚の北斜面貝層から出土した加曽利EⅡ式土器(紙上観察) 2

有吉北貝塚の北斜面貝層から出土した加曽利EⅡ式土器(紙上観察) 3

有吉北貝塚の北斜面貝層から出土した加曽利EⅡ式土器(紙上観察) 4

有吉北貝塚竪穴住居から出土した加曽利EⅢ式土器(紙上観察)

有吉北貝塚北斜面貝層から出土した加曽利EⅢ式土器(紙上観察)

有吉北貝塚 北斜面貝層の学習計画

有吉北貝塚北斜面貝層断面図の3D表示

斜面貝層3Dモデルの改良

有吉北貝塚 基底部土器出土状況図の3D表示

有吉北貝塚 北斜面貝層 土器出土状況の予察観察

有吉北貝塚 北斜面貝層断面図及び周辺地形の3D表示(試作1)

有吉北貝塚 北斜面貝層 情報図 試作1

有吉北貝塚北斜面貝層に関する学習問題意識

有吉北貝塚北斜面貝層基底面高度分布図の作成

有吉北貝塚北斜面貝層 発掘調査前(表土除去後)地形3Dモデルの試作

有吉北貝塚北斜面貝層 基底面高度分布図3Dモデルの作成

有吉北貝塚北斜面貝層学習の進め方

発掘状況白黒写真のカラー化(疑似カラー塗色)

有吉北貝塚発掘風景

有吉北貝塚北斜面貝層の貝層断面写真カラー化

有吉北貝塚北斜面貝層の遺物出土状況写真

有吉北貝塚北斜面貝層谷頭部は縄文時代災害防止工事遺構

有吉北貝塚北斜面貝層基底の大形土器片層

有吉北貝塚北斜面貝層成立メカニズムに関する作業仮説

有吉北貝塚北斜面貝層成立メカニズム 土はどこから

土はどこから 補遺

有吉北貝塚北斜面貝層から出土した藤内Ⅱ式土器

有吉北貝塚北斜面貝層断面図の学習について

有吉北貝塚北斜面貝層の砂層起源について

砂層が水成層であることを知ることの画期的意義

混土貝層・混貝土層の成因

混土貝層・混貝土層の成因 その2

貝層断面図の面積測定 1

貝層断面図の面積測定 2

貝層体積の測定

貝層中の貝殻体積の測定

2021年8月16日月曜日

「和食のルーツを探る」(料理天国連載記事)を読む

 1 5記事からなる立派な論説

2021.08.15「「巨大貝塚をつくった小さな貝」(「料理天国」記事)を読む」で読んだ料理天国記事は大変参考になるものでしたが、この記事が実は連載記事の1つであり、全部で5記事からなる立派な論説であること知りました。著者は千葉市埋蔵文化財調査センター所長西野雅人先生です。

料理天国連載「和食のルーツをさぐる」5記事は次の通りです。

1 肉食の時代

2 二つの画期-雑食化と定住化-

3 定住を支えた食-雑食化と定住化-

4 巨大貝塚をつくった小さな貝

5 至高の縄文鍋プロジェクト


webサイト料理天国の連載「和食のルーツを探る」画面

2 感想

全部を読むと、旧石器時代の肉食から縄文時代に雑食化・定住化したことと、縄文土器を使った鍋料理が行われ、貝塚ではイボキサゴがうま味として使われ、和食のルーツになったことが良くわかります。

さらに加曽利E式土器は火炎型土器・勝坂式土器・曽利式土器などとくらべさっぱりしている意味として、土鍋(縄文土器)を飾るより房総の豊富な素材に裏打ちされた中身にこだわり、美味しい鍋が開発されたからではないかという興味深い考えも述べられています。

この論説は房総縄文の食文化特徴を詳しく解説しています。房総貝塚研究の最先端を歩む専門家でなければ書くことができないコンテンツがびっしりと詰まっているという印象を受けました。


2021年8月15日日曜日

「巨大貝塚をつくった小さな貝」(「料理天国」記事)を読む

 Twitter安房坊 弁慶さんのツイートでイボキサゴの記事「巨大貝塚をつくった小さな貝」を知りました。早速webサイト「料理天国」でよみました。


webサイト 食の未来が見えるウェブマガジン「料理天国」

【連載】和食のルーツをさぐる④ 『巨大貝塚をつくった小さな貝』 の画面

なんと千葉市埋蔵文化財調査センター所長西野雅人先生の執筆です。

次の項目だてで、イボキサゴ初心者の自分にとってはとてもありがたい情報源です。

・大型貝塚のイボキサゴ

・東京湾のイボキサゴ

・食材としての魅力

・うま味文化のルーツ

・イボキサゴプロジェクト

大型貝塚の主要貝種であるイボキサゴは戦後の埋め立てで一時絶滅しかけました。しかし近年蘇りつつあります。一方考古学研究から縄文人がうま味として利用したことが判りつつあります。そして現在、イボキサゴプロジェクトがはじまり食材としてのイボキサゴが復活しつつあることがよくわかりました。


千葉市中央区のイタリア料理店で提供しているイボキサゴコース

コロナが一段落したらぜひともイボキサゴフルコースを堪能してみたいです。

2021年8月14日土曜日

旧Googleサイトの新Googleサイトへの移行

旧Googleサイトが9月1日から表示されなくなります。それまでに、Google提供移行ツールを使って新Googleサイトに変換する必要があります。自分の趣味活動(ブログ活動)では旧Googleサイトを活用して20のテーマ別ブログ記事再掲サイトを構築して情報発信してきています。

もしなにもしなければ、8月一杯で全てのサイトが消滅するので、新Googleサイトへの移行を始めました。その過程で悩ましい問題が発生していますので、その状況をメモして後日の参考にすることにします。

1 旧Googleサイト一覧と移行状況

1-1 花見川流域地誌素材集

新Googleサイトへ移行済

1-2 花見川地峡史 -メモ・仮説集-

未移行。

新Googleサイト下書きを作成したところ画像が全て欠落

1-3 花見川地峡の自然史と交通の記憶

新Googleサイトへ移行済

1-4 千葉県小字データベースの作成

新Googleサイトへ移行済

1-5 花見川流域の小崖地形

新Googleサイトへ移行済

新Googleサイトへ移行済

画像が全て欠落

1-7 鉄道連隊の花見川架橋演習

新Googleサイトへ移行済

1-8 花見川と河川整備計画

新Googleサイトへ移行済

新Googleサイトへ移行済

新Googleサイトへ移行済

画像が全て欠落

新Googleサイトへ移行済

画像が全て欠落

新Googleサイトへ移行済

新Googleサイトへ移行済

1-14 花見川と上ガス

新Googleサイトへ移行済

1-15 ブログ「花見川流域を歩く」資料室

新Googleサイトへ移行済

1-16 趣味モデル「流域の魅力発見活動」(仮称)について

新Googleサイトへ移行済

1-17 ブログ記事数1000通過時の内省

新Googleサイトへ移行済

画像が全て欠落

1-18 散歩と技術

新Googleサイトへ移行済

1-19 平成25年度花見川流域地誌作成作業サイト

新Googleサイトへ移行済

1-20 ブログ「花見川流域を歩く」アーカイブズ

新Googleサイトへ移行済

2 旧Googleサイトから新Googleサイトへの移行に伴う問題

ア 全画像欠落サイトが生まれる

5サイトの全画像が欠落してしまいました。サイト記事は全て画像を中心に構成されていますから5サイトは情報発信の意味が事実上失われました。特に花見川地峡史 -メモ・仮説集-

は趣味活動の根幹をなす資料ですから被害は甚大です。このサイトはとりあえず移行は最後まで行わず、8月中は旧Googleサイトで閲覧できるようにしました。その期間にどのような対応策が可能であるか検討することにします。


花見川地峡史 -メモ・仮説集- 旧Googleサイト画面

新Googleサイト下書きを作成したところ画像が全て欠落

イ 旧Googleサイトのデザインが新Googleサイトに引き継がれない

旧Googleサイトのデザインが新Googleサイトに引き継がれません。何もしなければ簡素な(=訴求力の乏しい)画面になってしまいます。新たに移行した新Googleサイトにはかなりエネルギーを投入することが求められます。


花見川地峡 旧Googleサイト画面


花見川地峡 新Googleサイト画面

3 最初から新Googleサイトとして作成したサイト

最初から新Googleサイトとして作成したサイトには次のものがあります。


考古と風景を楽しむ

自分が作成した論説(成果)等を掲載しています。

地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説

地名「千葉」が千葉氏や「ちはやふる」をさらにさかのぼり「チパ」(ヌササン)であるとする仮説考察です。

4 感想

ブログ「花見川流域を歩く」だけでも記事数は3300を超えました。この中には自分以外にも興味を持ってもらいたいと思うテーマがあります。それらのテーマについて、単に記事集成サイトをつくるのではなく、論説としてまとめることにも着手する必要を感じます。


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参考 花見川地峡史 -メモ・仮説集-の収録記事

サイトマップ

花見川地峡史 -メモ・仮説集-