2016年11月24日木曜日

考古歴史学習 6年間のふりかえり

6年間の趣味活動(ブログ活動)のふりかえりを行っています。

2016.11.19記事「ブログ花見川流域を歩く 6年間のふりかえり」参照

この記事では考古歴史学習をふりかえります。

6年間の主な学習テーマ(対象)を時間順にならべてみました。

表の上が最近、下が最初です。

考古歴史学習の主なテーマ

花見川流域を実際に歩いて、花見川筋に船着き場跡、官道跡(直線道路)、ミナト跡を想像させるような地物や地名に出会いました。

現場で花見川筋が古代東海道の水運支路であるという仮説を持ちました。

この仮説を検証しようという大それた野望が考古歴史学習の推進力となっています。

従って、学習した遺跡は花見川-平戸川(新川)筋が多く、時代は古代(特に奈良・平安時代)が多くなっています。

学習した遺跡を地図にプロットするとつぎのようになります。

考古歴史学習 主な学習遺跡

学習を進めるに従って利用するデータベースが増加しました。

現在は千葉県遺跡データベース(ふさの国ナビゲーションデータベース)、千葉県墨書土器データベース(明治大学)、千葉県小字データベース(個人で角川地名大辞典付録を電子化)を利用しています。

また空間分析技術も向上し、現在では遺跡分布レベル、遺跡内遺構分布レベル、遺構内遺物分布レベルでGIS分析を適用しています。

学習内容(分析内容)も多岐にわたってきていますが、現時点では次のような項目に特に興味をもっています。

●花見川筋の古代交通幹線の存在の検証
・古代東海道水運支路仮説の検証
・関連して、房総古代交通路変遷の学習

●花見川筋-印旛浦の古代開発集落の発展衰退の様子
・生業は?
・発展の要因は?
・衰退の要因は?
・墨書土器風習と開発との関係
・開発集落ネットワークの姿(開発集落と開発集落の関係)

●蝦夷戦争俘囚と関わる遺物・遺構はあるか?
・検見、玄蕃所の意味は?
・俘囚が生活した遺跡、遺構はあるか?
・俘囚反乱の跡がみつかるか?(白幡前遺跡寺院破壊は?)

●縄文時代の縄文人が奈良時代頃まで大和人に同化しないで残った集落があるのではないか?
・漁業者
・縄文時代起源、あるいはいわゆる「アイヌ」地名と想定される地名の存在

●弥生時代から古墳時代にかけての入植の様子

●旧石器時代の様子
・旧石器時代、縄文時代に台地上に多数の湖沼が存在していて狩や生活に利用されていた。
・旧石器時代の急峻な地形を利用した狩の様子。
・旧石器時代房総の陸域全体における、現在観察できる旧石器時代遺跡の位置づけ。(旧石器時代人は貝を食っていなかった?)
・旧石器時代人の石器ギャザリングフィールド学習。


これまでの学習でわかったことや生まれた仮説、あるいは浮かんだ疑問などをまとめたサイト(仮称 花見川学習ミュージアム)構築を構想しています。

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