2012年3月21日水曜日

天保期印旛沼堀割普請の土木遺構

天保期印旛沼堀割普請の土木遺構である土捨て場跡の土手が目の前に現れました。
雑木林が抜開されたためです。
横戸緑地の南端に接したところです。
これから宅地造成工事が進み、資材置き場等の用途に使われるようです。
土手は残念ですが、取り払われ整地されてしまうようです。

昔の単なる「土捨て場跡」と言えばそこが宅地開発されることは問題がないようにも感じますが、そうではないと思います。
昔の単なる「ゴミ捨て場跡」でも、後世に「貝塚」と表現して貴重な文化財として保護します。
「土捨て場跡」ではありますが、天保期印旛沼堀割普請の貴重な土木遺構であり、文化的・学術的価値を有するものです。
特に普請の施工や技術の詳細が続保定記などの資料として現在まで伝わってきており、現物遺構と対比が可能であり、そうした資料とセットで現物遺構が存在しているという意味で、価値を一層高めています。

以前千葉市教育委員会に問い合わせたところ、「印旛沼堀割普請跡は文化的価値があるが、範囲をどこまで指定してよいかわからないから文化財指定はしていない」という趣旨の回答をいただきました。(2011年3月21日記事「花見川の文化的価値評価の現状」参照)

行政も市民も傍観者的になっていると、そのうちに貴重な土木遺構が無くなっていってしまいます。
文化的価値があるのに、その破壊を手をこまねいて見ているという状況をなんとかしたいものです。

*   *   *

工事現場の人に聞くと、この雑木林の下草を刈っているときに、死体が出てきて大騒ぎになったそうです。
結果としてわかったことは、近くの人が行方不明になって、この附近も捜索はしたのだけれども発見できなかった人がいて、その人がこの場所で行き倒れになって死亡していたとのことでした。

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