2013年1月28日月曜日

二つの陸軍演習場を振り返る

花見川流域資料5 二つの陸軍演習場」に掲載した過去ログをざっと読み返して、このテーマに関する活動を振り返ってみました。

●このブログを始めた頃は花見川流域に二つの演習場が在ったという認識はありませんでした。
習志野演習場はNHKテレビ番組の「坂の上の雲」が話題になっていた頃であり、秋山好古→陸軍騎兵学校→習志野演習場→高津川流域といった連想で事前に興味の対象でした。ブログを始めて3ヶ月経たないうちに陸上自衛隊習志野演習場の見学をしています。
下志津演習場は、ブログを始めて徐々にその存在を知り、大砲の実弾演習場として重要な役割を果たしていたことを初めて理解しました。

●「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)に掲載されている「近衛師団管轄演習場規程」付図の所在を探す活動の中で二つの演習場に対する興味が増幅し、射弾下掩蔽部(しゃだんしたえんぺいぶ)、特殊演習場(毒ガス演習場)、演習場拡張過程、演習場管理機能などについて知識を習得しました。
下志津演習場には三角原射場(爆撃基本目標を設置してある空爆演習場)がありますが、これを通じて、現在の三角町の三角(△)の由来に気がつくこともできました。

●偶然の成り行きで、花見川河川敷に軽便鉄道橋台とトーチカ監視塔を見つけました。このブログで呼びかけて4人のグループで予備調査を実施したところ、トーチカ本体が覆土されて実在していることを突き止めました。
これらの戦争遺跡の本格調査は市民では無理であり、現在行政に本格調査に向けての取組をお願いしているところです。
偶然発見したトーチカは、私個人の見立てでは、戦争末期の本土決戦用の施設であると考えました。もしそうであるならば、内陸の花見川筋を上陸米軍の首都圏侵攻に対する抵抗ラインとしたことを示しています。
本格調査(発掘調査)を実施することにより、これまで知られていなかった千葉における本土決戦の準備の一端が判明するかもしれません。

●演習場に関わる地物・情報や戦争遺跡などを、地域のマイナス資産として計上するのではなく、プラス資産として計上できるような方法について考えていきたいと思っています。

路傍の模様

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