花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.200 銙帯出土数と墨書土器出土数のアンバランス
2015.09.05記事「墨書土器出土数からみた鳴神山遺跡」で鳴神山遺跡が墨書土器出土数でトップであり、集団組織活動が盛んであったことを推察しました。
一方、2015.09.07記事「銙帯出土情報から考える鳴神山遺跡の意義」で鳴神山遺跡の銙帯出土数が少なく、支配統治機構の中でみると鳴神山遺跡は労働実働部隊中心の現場(出先)であることを想定しました。
律令国家の実施するプロジェクトの現場最前線では官人の数が少ない割(銙帯出土が少ない割)に労働実働部隊が多い(墨書土器出土が多い)というアンバランスが生じていると想定しました。
このアンバランスを銙帯分布イメージ図と墨書土器分布イメージを対照することによって示します。
1 千葉県全体の銙帯出土イメージと墨書土器出土イメージの対照
千葉県の遺跡別銙帯出土数
千葉県墨書土器出土イメージ
二つの分布図のイメージは似ていますが、鳴神山遺跡付近だけ墨書土器分布が突出している点が異なります。
墨書土器出土に関して、鳴神山遺跡付近がY圏域(萱田遺跡群など)とグラフが重なっていまい、まるで千葉県中心のような様相を呈しています。
2 印旛浦付近の銙帯出土イメージと墨書土器出土イメージの対照
銙帯出土集中圏域と鳴神山遺跡
千葉県墨書土器出土イメージと鳴神山遺跡
銙帯出土数が4であった鳴神山遺跡と隣接する船尾白幡遺跡の墨書土器出土が目立つとともに、その印旛浦対岸の上谷遺跡の墨書土器出土も際立ちます。上谷遺跡から銙帯は出土していません。
銙帯の出土は少ないが(あるいは無いが)、墨書土器出土は極めて多いというアンバランスが見られる遺跡の千葉県における代表が鳴神山遺跡・船尾白幡遺跡と印旛浦をはさんで対岸の上谷遺跡ということになります。
なぜこれらの遺跡にアンバランスが生じたのか、つまりこれらの遺跡がどのような律令国家プロジェクトの最前線現場であったのか、今後検討を深めたいと思います。
アンバランスの程度が大きいので、その理由を見つけることは早晩可能であると予想します。
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