2017年1月19日木曜日

大膳野南貝塚 旧石器時代狩の様子

大膳野南貝塚の後期旧石器時代の出土物から当時の狩の様子を想定します。

1 後期旧石器時代出土物

テストピット調査におけるブロックの出土状況、出土物は次の通りです。

大膳野南貝塚 後期旧石器時代ブロック分布

出土石器情報
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書第Ⅰ分冊 から引用

第Ⅰ文化層ブロックからの石器出土数25、第Ⅱ文化層ブロックからの石器出土数5、第Ⅲ文化層ブロックからの石器出土数15を確認しておきます。

大膳野南貝塚 後期旧石器時代 出土石器

槍の穂先や側面に埋め込んだと考えられる、動物を仕留めるための道具用石器と、動物を解体加工する諸工程で使う異なる諸作業用道具石器の双方が含まれています。

バクチ穴遺跡の情報と組み合わせて石器形式について詳しく学習すれば有用な情報を得ることができると考えますが、学習の目的(縄文時代学習)から離れすぎてしまうと考えますので、止めます。

この記事では、ブロックから出土した石器数に着目して、近隣遺跡で学習した成果と比べて、思考を深めてみたいと思います。

2 参考 近隣遺跡におけるブロック出土石器数と狩活動・狩施設との関係

1500mほど離れた近隣の市原市草刈遺跡の旧石器時代遺跡の学習を以前行いました。

その学習の中で、ブロック石器数規模と狩活動・狩施設の間に関係を見つけました。

参考 草刈遺跡におけるブロック石器数規模と狩活動・狩施設の関係
2014.11.13記事「参考 規模別遺物集中地点のヒートマップ

草刈遺跡ではブロックの出土石器数規模の大小を分布図にしてみると、出土石器数規模が大きいものは臨時キャンプ施設に、中程度のものは狩施設や獲物加工処理施設に、単独出土は狩そのものの活動に対応していると想定できました。

石器数出土規模中程度ブロック分布から想定した草刈遺跡における狩の様子は次の通りです。

参考 草刈遺跡の狩の様子
2014.11.06記事「規模別に見た遺跡分布

3 大膳野南貝塚後期旧石器時代ブロックの意味

大膳野南貝塚の後期旧石器時代調査はテストピット調査とはいえ貴重な情報ですから、この情報を草刈遺跡学習結果と対応させることにより、最大限思考に活かしてみることが大切であると考えます。

草刈遺跡学習における想定を踏まえると、大膳野南貝塚のブロックは石器数が中程度ですから、狩施設や獲物加工処理施設に対応すると考えることができる可能性が生まれます。

この可能性から大膳野南貝塚付近が狩の現場そのものであり、狩終了後獲物を加工処理した跡がブロックとして出土したと考えることができます。

4 参考 旧石器時代の狩方法

「千葉県の歴史」(千葉県発行)では旧石器時代の狩方法として次のようなイメージ図を掲載しています。

旧石器時代の狩方法
「千葉県の歴史 資料編 考古4」(千葉県発行)から引用

台地面を徘徊する動物(シカ)を台地末端部に追い込み、さらに崖から追い落とし、谷底で仕留める様子が描かれています。

海外の例になりますが、カナダアルバータ州ではHead-Smashed-In Buffalo Jampという遺跡があり、原始時代からバッファローを追い立て、崖から落として狩猟しています。

Head-Smashed-In Buffalo Jampの例

いずれも動物の習性と地形を巧みに利用して動物を自滅させて狩っていたと考えられます。

アフリカでメスライオンの群れが協力して草食獣を仕留めるような力ずくの狩は、動物の敏捷性に人がついていけないため、槍などの武器があっても人には無理であると考えられます。

旧石器時代人の狩のほとんどは広義の意味での罠戦術であったと考えます。

その代表的な狩方法が台地縁から動物を落とす狩であったと考えます。

武器は瀕死の動物の息の根を止める時に使う程度であったと想像します。

5 大膳野南貝塚付近の後期旧石器時代の狩の様子

大膳野南貝塚のブロックの規模、旧石器時代狩方法の想定、周辺の地形から、大膳野南貝塚付近の狩の様子を次のように想定します。

大膳野南貝塚付近の後期旧石器時代の狩の様子

大膳野南貝塚とバクチ穴遺跡付近は両側が谷、終端が狭窄部尾根になっている袋小路の台地面となっています。

この袋小路に動物を追い込み、特定の崖に動物を追い落としたと考えます。

谷底で仕留めた動物はすぐ上の台地面で小分け解体、皮なめしや干し肉づくりなどを行ったと考えます。

その加工処理作業場の跡が出土したブロックであると考えます。

袋小路台地面は誘いこまれた動物が特定の崖に落ちざるをえないような、高度に整備された狩施設、罠施設であったと考えます。

ここで大切な点は大膳野南貝塚の縄文時代中期末葉~後期中葉(貝塚が作られた頃)は、同じ空間が狩施設、罠施設であったことはあり得ないということです。

つまり、後期旧石器時代と縄文時代の貝塚形成期では狩の場所が全く異なっていたことが、後期旧石器時代ブロックの存在から明確になります。

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