その仮説蓋然性の向上に資する可能性のある情報をみつけましたのでメモしておきます。
古代東海道研究において延喜式駅家リストの順番情報が駅路コースを復元するために有効活用されています。
延喜式のリストは必ず一定の決め事をした上でその順番が決まっていると考えて間違いありません。
延喜式の兵部省、諸国馬牛牧リストの順番も必ず一定の決め事により配列されていると考えてよいと思います。
その決め事(基準)はつぎのようになっていると推察できます。
●延喜式諸国馬牛牧リストの各国内順番の基準
馬牧→牛牧の順
馬牧は南→北の順
馬牧→牛牧の順は全ての国で確認できます。
南→北の順は手持ち情報の範囲では安房国、肥後国で確認できます。
この基準が正しいと考えると、下総国の馬牧は南から北へ高津馬牧,大結馬牧,木嶋馬牧,長洲馬牧の順に配列していたことになります。
大結馬牧を船橋に比定すると高津馬牧より南になりますから、延喜式リストの順番と合わなくなります。
このような間接情報から大結馬牧を船橋に比定する考えが否定されます。
大結馬牧の場所が船橋ではないとすると、大結仮説(大結馬牧の場所は印西)の存在感が増します。
参考 「千葉県の歴史 通史編 古代2」の牧分布推定図
「千葉県の歴史 通史編 古代2」から引用
大結馬牧の場所は船橋にプロットされている。
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延喜式 諸国馬牛牧
諸國馬牛牧。
駿河國。【岡野馬牧,蘇彌奈馬牧。】
相摸國。【高野馬牛牧。】
武藏國。【檜前馬牧,神埼牛牧。】
安房國。【白濱馬牧,鈖師馬牧。】
上總國。【大野馬牧,負野牛牧。】
下總國。【高津馬牧,大結馬牧,木嶋馬牧,長洲馬牧,浮嶋牛牧。】
常陸國。【信太馬牧。】
下野國。【朱門馬牧。】
伯耆國。【古布馬牧。】
備前國。【長嶋馬牛牧。】
周防國。【竈合馬牧,垣嶋牛牧。】
長門國。【宇養馬牧,角嶋牛牧。】
伊豫國。【忽那嶋馬牛牧。】
土佐國。【沼山村馬牧。】
筑前國。【能臣嶋牛牧。】
肥前國。【鹿嶋馬牧,庇羅馬牧,生屬馬牧,柏嶋牛牧,櫏野□牧,早埼牛牧。】
肥後國。【二重馬牧,波良馬牧。】
日向國。【野波野馬牧,堤野馬牧,都濃野馬牧,野波野牛牧,長野牛牧,三野原牛牧。】
WEBページ「延喜式」から引用
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