2013年10月6日日曜日

千葉北インター付近の断層崖地形

花見川流域の小崖地形 その33

1 小崖(花島断層崖)検討の経緯
これまで、花島小崖のC地区とD地区の検討をしてきていますが、これからE地区の検討に入ります。

小崖地形検討箇所

ちなみに、C地区とD地区の検討で得た主な知見は次の通りです。
ア 花島小崖(花島断層)の列状(雁行)分布
イ 花島小崖(花島断層)の地層縦ずれ成分は約3m
ウ 花島小崖(花島断層)の地形横づれ成分は約130m
エ 縦ずれ断層と横ずれ断層のラインが異なる部分がある
オ 小崖前面(南側)にテラス状の隆起があるところがある
カ 花島小崖南側の印旛沼水系谷津は化石化した谷津となっている。
キ 東京湾水系谷津は、印旛沼水系谷津の谷筋をなぞる様に侵蝕している。

2 E地区(千葉北インター付近)の花島小崖(花島断層崖)
断層崖を検出するために次の通り地形断面図線を引きました。

地形断面図位置図
基図は地形段彩図(現代地形)と旧版1万分の1地形図(大正6年測量)の重ね合せ図。

位置関係を理解するために基図を現代地図にしたものも掲載します。

地形断面図位置図(2
基図は標準地図(電子国土ポータルによる)
矢印は写真位置

断面図位置1418の地形断面図は次の通りです。

断面図位置1418の地形断面図

断面図位置1923の地形断面図は次の通りです。

断面図位置1923

地形断面図から読み取れる小崖(断層崖)の見かけ上の比高の平均は、1423を対象にすると、最大4.2m、最少0.7m、平均2.0mです。

3 現場の状況
小崖(断層崖)の現場での姿は、地形断面図位置図(2)にその位置を示した、次の写真で代表されます。

写真1

道路の傾斜で表現されている比高2m近くの小崖を検知できますが、これを崖(断層崖)として認識している人は、一般住民や行政職員を含めて、恐らく皆無だと思います。

宅地造成により使いにくい崖が使いやすい緩斜面に変貌してしまっているのです。

写真2
民家の敷地内を小崖が通っているのですが、ここでも崖が緩斜面になっています。


地形断面図では水平成分が圧縮されているので、小崖が緩斜面化されていても、小崖として検出できます。

2013年10月5日土曜日

水系網妄想

花見川流域の小崖地形 その32

小崖地形ではないのですが、水系網をマクロな視点から見ていると次のような妄想が頭から離れませんので、記録しておきます。

次の地図は地形段彩図です。

地形段彩図
5mメッシュを用いて地図太郎PLUSで作成

位置関係が判る様に、同じ範囲の地図を表示します。

標準地図
電子国土ポータルによる。

この地形段彩図に表現されている印旛沼水系網を見ていると、その方向性について、次のように3種類に分類されるように思われてしかたがありません。

河川の方向性に関する3分類

そして、A河川についてよく見ると、次のように結びつくように妄想できます。

河川の方向性に関する3分類(その2

A河川は下総上位面が離水した時の原始地形面の最大傾斜方向を示す必従河川網を示しています。

B河川はA河川網を切っているところから、A河川網形成後に構造運動によって形成された河川です。

C河川はA河川を切っているので、A河川網形成後に形成された新しいものですが、その成因は、この地図の範囲内の情報だけからは分かりません。この地図範囲より北方向の情報が必要です。

また、C河川とB河川の年代の前後も明瞭ではありません。


2013年10月4日金曜日

小崖微地形の検討 化石谷津地形の現姿

花見川流域の小崖地形 その31

化石谷津地形(4谷津)の現場での姿を写真で紹介します。

写真位置図

写真1
花島小崖(断層崖)によって出口を塞がれている付近の谷津を横断方向に見た写真です。

写真2
同上の反対方向から見た写真です。

写真3
花島小崖の姿です。

写真4
谷津の横断方向の姿です。写真12と比べて浅くなっています。

写真5
普通の台地のように感じられ、ここが谷津であると気がつく人は少ないと思われます。

上記写真の水平方向を1/10に縮小して、トリミングして示すと次の写真のようになります。

写真5の水平方向圧縮写真
谷津であることが浮かび上がります。


つづく

2013年10月3日木曜日

小崖微地形の検討 化石谷津地形モデル

花見川流域の小崖地形 その30

花島断層の運動に対して、流量の豊富な谷津は抵抗してある時点までは断層を乗越えて水を印旛沼方面に流していたと考えられますが、結局は断層崖でダムアップしてしまい、化石谷津になっていったものと考えます。

この化石谷津地形が出来るまでのモデルを4´谷津と4谷津で検討しました。

1 地形縦断図
4´谷津の地形縦断面(A-B断面)と4谷津の地形縦断面(C-D断面)の位置を示します。

4´谷津と4谷津の地形縦断面線位置図

それぞれの地形縦断面図をしめします。

4´谷津の地形縦断面図

4谷津の地形縦断面図

2 化石谷津地形モデル
二つの谷津の発達の様子を、これまでに得た花島断層の知見に基づいて、次のように模式的に考えました。

ステージ1 断層運動前

ステージ2 テラスの小隆起

4´谷津は水量が少なく、テラスの小隆起を乗越えて流下できなかったのですが、4谷津は水量が多く、テラスの小隆起を乗越えて流下できたものと考えます。

4´谷津は小隆起の崖に沿って出口をもとめ、4谷津につながったものと考えます。

ステージ3 花島断層の横ずれ移動

4谷津が花島断層の横ずれに対応して流路を曲げているので、4谷津は断層の横ずれ移動が生起している期間にその断層を乗越えて流下していたことがわかります。

ステージ23は同時に生じたと考えてもよいと思います。

ステージ4 花島断層の縦ずれ移動

ステージ4の断層の縦づれ移動は、4谷津がそれを乗越えていないので、最終段階に生じた事象であると考えます。

4谷津が断層の縦ずれ移動を乗越えられなくなると、水がダムアップし、谷津は湖沼化します。
一旦湖沼化すると、谷津の岸部は粘土や火山灰で構成されているため、波浪等による侵蝕作用が発生し、谷津の形状は幅広く拡大します。

その後、湖沼が消失し、また火山灰の降灰も続き、浅い皿のような谷津の化石地形が形成され、現在に至っています。


つづく

2013年10月2日水曜日

小崖微地形の検討 谷津縦断形など

花見川流域の小崖地形 その29

D地区の小崖の微地形について検討してみました。

1 重ね合せ図の作成
現代の地形を表す地形段彩図に大正6年測量の旧版1万分の1地形図を重ね合せた地図をつくり、小崖地形(断層地形)の微地形について検討してみました。
この地図は現代の地形のうち、どの部分が人工改変されているのか判断がしやすいので、微地形の検討にはもってこいの材料です。

微地形の検討に用いる重ね合せ図
地形段彩図(基盤地図情報5mメッシュ(標高)を用いて、地図太郎PLUSにより作成。陰影レベル、高さの倍率を強調している。)と旧版1万分の1地形図(「三角原」、「大久保」、ともに大正6年測量)

この重ね合せ図の範囲を現代地図で示して、位置関係をわかるようにしました。

微地形検討した範囲の現代地図
標準地図(電子国土ポータルによる)

2 印旛沼水系谷津の小崖を挟んだ対応関係の情報追補
2013.09.15記事「花島断層の水平移動成分は130mもある」で印旛沼水系谷津について、小崖を挟んだ対応関係を検討し、次の図を掲載しました。

花島断層の水平移動成分の検討
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

この検討内容に加え、図中4の谷津の支谷のように見えていた谷津(4´とする)について、新たに対応関係を加えます。

今回再検討した谷津の対応

谷津4´は谷津4に小崖の南側で合流している形状ですが、この形状は断層運動によって2次的に形成されたもので、元来は断層運動前には4´と4は並行して流れ、小崖の北側で合流していたと考えました。

その詳細は追って別記事で説明します。

3 小崖下の凹地地形の意味
花島小崖の崖下に列状に凹地が見つかります。
同様の列状凹地は道路沿いにもみつかります。

崖下や道路沿いの凹地

この凹地は、周辺の宅地の盛土による嵩上げが進み、もともとの地形面がここだけ残り、見かけ上凹地のようになったことが現場観察から判りました。

花島小崖の下(南側)の土地は、巨視的に見れば下総上位面に属するれっきとした台地地形上なのですが、断層崖下のため湿潤な環境となっていて、都市的土地利用をする際には盛土が盛んに行われました。

土地開発は戦後開拓で道路をつくって農地開発を行い、ついでその農地がスプロール的に宅地に変更になったため、当初の道路の敷高は地形面とあまり変わらず、幹線道路を除くと、狭い道路ほどあたかも過去の地表面の高さの指標のような役割をはたしています。

幹線道路は改築の度に十分に盛土され、建造物敷地はその道路面に対応して盛土されます。

4 印旛沼水系谷津の縦断形
 印旛沼水系谷津13の縦断形について検討します。

印旛沼水系谷津13の縦断形線の位置

印旛沼水系谷津1A-B)の縦断形

A-ア間は東京湾水系谷津の侵蝕範囲です。
-イ間は印旛沼水系谷津の本来の縦断勾配に近い姿を表現しているものと考えます。
-ウで標高が2m程高まり、小崖の崖下まで続きます。このテラス状の土地の高まりは次のC-D断面の結果とも合わせて考えると、全て盛土によるものではなく、基本は地殻運動による結果であると考えます。
-イ間と比べて、イから小崖の下までの区間が隆起していると考えます。

印旛沼水系谷津2C-D)の縦断形

C-オ間は東京湾水系谷津の侵蝕範囲です。
直線オ--キは印旛沼水系谷津の縦断形状を表現しているデータであると考えます。
直線オ-カは印旛沼水系谷津の本来の縦断形状に近いものであり、直線カ-キは地殻ブロックの傾動の影響を受け、谷津勾配が本来あるべき北北東に向かって下がるというものと逆転している状況を表現しています。

印旛沼水系谷津3E-F)の縦断形
E-コ間が東京湾水系谷津の侵蝕範囲です。大規模な盛土が行われ、谷津の形状が判りづらくなっています。
コから小崖下までの印旛沼水系谷津の縦断面形状は盛土の影響で判然としません。

5 縦断形状の検討から判ったこと
5-1 小崖全面のテラス状隆起地形
花島小崖の前面(南側)に花島小崖につられて隆起したテラス状の地形があることがわかりました。
このテラス状の地形は南方向に落ちるような傾動をしています。

テラス状隆起地形のイメージ

5-2 印旛沼水系谷津を加速浸食する様子がわかる
A-B断面、C-D断面では東京湾水系谷津は印旛沼水系谷津の侵蝕をまだはじめていませんが、E-F断面では印旛沼水系谷津をなぞる様に東京湾水系谷津が侵蝕しています。

その侵蝕の様子は縦断面形状から明らかなように、えぐり取るように加速侵蝕しています。

ここで示されているのはミニチュアのような河川争奪現象です。

私は河川争奪の胚と呼んでいます。

この現象の大規模なものが、花見川で生じ、花見川は印旛沼水系谷津の流域に楔のように食い込むことになりました。

つづく

2013年10月1日火曜日

東京湾水系谷津の侵蝕様式

花見川流域の小崖地形 その28

小崖地形(断層)とは直接関係ありませんが、寄り道として、東京湾水系谷津の侵蝕様式を検討します。

1 印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の分布
次の地図は旧版1万分の1地形図に印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津及び花島小崖(断層崖)をプロットしたものです。

印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の分布
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

位置関係と地形イメージとの関係を示すために、同じ範囲について、基図を現代標準地図にしたものと、地形段彩図を次に示します。

印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の分布
基図は標準地図(電子国土ポータルによる)

地形段彩図(現在の地形)
基盤地図情報5mメッシュ(標高)を用いて、地図太郎PLUSにより作成。陰影レベル、高さの倍率を強調している。

印旛沼水系谷津は下総上位面が離水した後(下末吉海進が海退に転じ海底が陸地になった後)、雨水の侵蝕作用によりつくられた浅い谷津です。
海底が陸地になった時、その地形は平坦であり、最大傾斜の方向に平行して幾つもの浅い谷津が発達したと考えられています。

その後、印旛沼水系谷津は花島小崖(花島断層)により分断され、花島小崖より南側の谷津に流れ込んだ水は印旛沼方面に流れなくなったと考えられます。(谷津毎に湖沼化したと考えます。別記事で検討します。)

一方東京湾水系谷津は最終氷期以降に発達した深い谷津です。
印旛沼水系起源の浅い谷津が刻む台地を、東京湾水系谷津が深く刻んでいます。

2 印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の横断形状
 次に、断面線に対応する地形断面図を掲載します。

断面線
基図は標準地図(電子国土ポータルによる)

地形断面図(現在の地形)
情報は基盤地図情報5mメッシュ(標高)、作図は地図太郎PLUSによる。作図の標示単位は10㎝。

同じ谷津と言っても東京湾水系谷津の深さは印旛沼水系谷津の4倍以上あります。

印旛沼水系谷津は侵蝕営力の働いていない谷津の化石ですが、東京湾水系谷津は浸食営力の働いている生きている谷津です。

3 印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の方向の相似性とその理由
印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の方向を図に書き込んでみると次のようになります。

印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の方向性

印旛沼水系谷津の方向性がほぼ揃っているのは、谷津の起原が下総上位面離水後の必従谷であることから首肯できます。

一方、その方向に東京湾水系谷津も揃うものがあることは、注目すべきことであると考えます。

東京湾水系谷津の形成が既存の印旛沼水系谷津の方向性に影響を受けていると考えます。
つまり、東京湾水系谷津は印旛沼水系谷津の地形を利用して谷頭侵蝕の方向を定めていると考えます。

具体的には東京湾水系谷津の侵蝕モデルを次のように考えます。

東京湾水系谷津の侵蝕様式

東京湾水系谷津は、印旛沼水系谷津に遭遇すると、そこがすでに谷形状をなしていて侵蝕しやすいために、選択的にその谷津沿いに谷頭侵蝕を進めたものと考えます。

4 この付近の東京湾水系谷津の発達と花見川の起原
この付近の東京湾水系谷津の発達は次のような順番で行われたと考えています。(上図「印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の方向性」参照)

まず、犢橋川谷津が断層線に沿って形成されたと考えます。

次に犢橋川谷津から花見川谷津を含め、北北東方向に延びる谷津が形成されたと考えます。

つまり、犢橋川が本流であり、花見川(犢橋川に合流する地点より上流の花見川)は支流になります。これは谷底平野の広さの違いにも表現されています。

また、花見川(犢橋川に合流する地点より上流の花見川)の方向性が(東側の)他の東京湾水系谷津と同じ北北東を向いているので、花見川の起原も同じくかつて存在していた印旛沼水系谷津の地形を利用して形成されたと推察できます。

花見川(犢橋川に合流する地点より上流の花見川)はかつて存在した印旛沼水系谷津の地形を利用して発達を開始し、その後その活動を加速し河川争奪に到ったと考えます。

花見川だけなぜ河川争奪(河道逆行争奪)に到ったのか、その説明はこのブログで何回かしていきましたが、一言でいえば、花見川が侵蝕したかつて存在した印旛沼水系谷津がこの付近の印旛沼水系谷津のなかでは大きい(深い)谷津であったため、花見川の谷頭侵蝕が特段に加速したからだと考えます。

花見川以外の東京湾水系谷津は、遭遇した印旛沼水系谷津が小さい(浅い)谷津であったため、花見川のように河道逆行争奪と表現するような大規模な現象には到らなかったのだと考えています。