2011年9月17日土曜日

子和清水遺跡の出土物閲覧4

11 縄文時代出土物 石鏃(せきぞく)

石鏃(チャート)
長さ2.4×幅2.1×厚さ0.6㎝

石鏃(チャート)
長さ2.7×幅2.1×厚さ0.5㎝

石鏃(黒曜石)
スケッチ(報告書101ページ)
長さ2.7×幅1.2×厚さ0.3㎝
小突起の数

●整形打撃数
この黒曜石鏃の一つの刃にある小突起を数えると30でした。この小突起は他の石で打撃した時にできたものです。スケッチをよく見ると、この刃の見えている部分は20の打撃でできていますから、両面各20回程度の打撃で30の小突起が残る刃ができたと考えました。
2枚の刃を作るために合計80回の打撃をこの長さ3センチに満たない鏃(やじり)に加えています。全体の整形にはもっと多数の打撃を加えていることになります。

●超精密作業のスキル
自分の(平均より華奢な)手の指でこの石鏃をつかんでみて、どのような道具でどのようなスキルでこれを作ったのかリアルに想像できません。自分の指が大きすぎます。

縄文時代人の手の指は、指に力を入れる機会が多く、現代人と比べてはるかに「ゴツイ」ものであったでしょうから、その指で、この小さな鏃を作る超精密作業に感嘆します。

当時この鏃をつくるために用意した台座、抑え器具、打撃器具、飛び散る破片から目や体を守る防具、作業に集中できる作業空間など高度な技術について知りたくなりました。

●鏃作成時間
また、この小さな鏃をどのくらいの時間をかけて作ったのかということも興味がわきます。原石から元となる小塊をつくる工程があり、その後、小塊から鏃をつくる時間だけで、200打撃が必要であるとすると、熟練者で1時間~2時間といったところでしょうか?1日に1人が生産できる鏃はどんなに多くても10個に満たないと想像します。

●兵站活動比
さらに、鏃の他に、矢柄の竹(?)と矢羽を採取加工して装着しなければ矢ができません。

1回の狩猟で捕獲する動物の量とそこで消費する矢の量などの関係から、動物を追う狩猟そのもの時間と、狩猟を行うための兵站活動(消費財としての矢の作成活動、そのほか耐久消費財としての弓、矢筒、捕獲動物運搬具等の作成活動)の時間の関係などにも興味が湧きます。

●縄文人の気持ち
鏃を実際に手に取ってみると、この鏃を作っていた縄文人の心に浮かんでいた気持ちがどのようなものであったのか、興味が湧いてきます。

当時のハイテク素材(黒曜石)を交換等により何とか入手し、ハイテク加工技術(黒曜石の整形技術)で鏃を作ったときの気持ちは、ものづくり技術という点では、現代のハイテク産業起業者と類似していた面があったと想像します。

黒曜石製鏃はおそらくチャートなどの素材の鏃とくらべて高性能であり、狩りでの成績を上げたものと想像します。そうした鏃を備えた矢をつくるためには縄文人は交易や贈与で関係する人々との友好関係を増大させ、黒曜石原石の入手に努めたことと思います。同時にハイテク技術の習得に特段の熱心さをもっていたものと想像します。

●ものづくりの目的
しかし、ものづくりの目的は全く異なります。縄文人にとって狩猟能力は生活していく上で最も重要な能力だと思います。その能力が劣れば生命の維持が困難になります。縄文人は自ら作った矢で自ら動物を狩り、自らの食糧を得、生命を維持し、子孫を残す増殖を可能としました。
現代のハイテク産業起業者は生活のためではありますが、社会の仕組みからして「利潤追求が目的」とすることにならざるをえません。
利潤という概念も実態もゼロの縄文人と、利潤追求が支配している社会の現代人の気持ちのとの落差についても大いに興味が湧きます。

一つの鏃を手にして、とめども尽きない発想が流出してきますが、切りがないので、一旦止めます。

●参考 幸矢・幸弓
さちや【幸矢】幸(獲物)を得る矢。狩猟用の矢。さつや。
さつや【猟矢・幸矢】狩猟に用いる矢。さちや。
さちゆみ【幸弓】幸(獲物)を得る弓。狩猟用の弓。幸矢と合わせて用いる。さつゆみ。
さつゆみ【猟弓・幸弓】狩猟に用いる弓。さちゆみ。
以上「国語大辞典」(小学館)による。

このように「さち(幸)」という日本語と狩猟との間に強い関係があります。

折口信夫は次のように述べています。
未開野蛮の時代に於て、最幸福な、或は、或種の君たるべき資格ともなる筈の、祝福せられた威力の根元は、狩猟の能力であると考へられて居た。私は、此威力の源になって居る外来魂は、さちと言ふ名であった事を主張して居るものである。即、古くから用ゐられた語に、さつ矢・さつ弓・さち夫など言ふのがある。此さちは、只今も残って居る方言、又は其背景をなして居る信仰に於ては、明らかに抽象的な能力、或はその能力の出所となるものを意味して居る様である。普通、山ノ幸・海ノ幸といふ事は、山の猟・海の猟、或はそれに、祝福せられた、といふ形容がついた位に説かれて居るが、実は、山海の漁猟の、能力を意味する威力を表すのが、此語の古義であったと思ふ。だから、その威力を享けた人が、山幸彦・海幸彦であったのだ。」(「原始信仰」)(ただし、中沢新一「モノとの同盟」からの孫引きです。)

縄文時代において、(弓矢による)狩猟で獲物を得た体験から、「さち(幸)」という言葉がうまれたということです。

(つづく)

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