2012年10月13日土曜日

「天保13年試掘時の北柏井村堀割筋略図」の1万分の1地形図投影

天保期印旛沼堀割普請の土木遺構の詳細検討 その16

19 「天保13年試掘時の北柏井村堀割筋略図」の1万分の1地形図投影

ア 略図の村境界イメージの正確性
次に「天保13年試掘時の北柏井村堀割筋略図」の影印を再掲します。

「天保13年試掘時の北柏井村堀割筋略図」の影印
天保期の印旛沼堀割普請(千葉市発行)より引用

次に北柏井村と隣村との境界を示した資料を掲載します。

北柏井村の境界
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)掲載資料を引用編集し注記等を追記
ベースマップは迅速2万地図(明治15年測量)

上記の略図と村境界線を比べると、略図の堀割に対する境界線の角度のイメージがありのままに投影されていることがわかります。
略図ではありますがそこに村の地形(地理)を正確に表現していることに、天保期村役人の土木図書(略地図)作成技術のレベルの高さに感心します。

イ 略図の旧版1万分の1地形図への投影
略地図の土置場ゾーン(筋)の形状を決めている私領屋敷等の注記の場所を旧版1万分の1地形図と対応させてみました。

私領屋敷等の対応

略図における5箇所の注記の場所は、旧版1万分の1地形図(「三角原」図幅、大正6年測量)上の地物と間違いなく対応させることができます。
この対応関係がとれたので略図の堀割ゾーン(筋)と土置場ゾーン(筋)を旧版1万分の1地形図に投影することが可能となります。

次の図は私領泉蔵寺の場所における花見川谷底の水田と笹地(微高地)の境から16m(=凡そ8間)の距離をGIS上で計測し、そこが丁度泉蔵寺敷地の端付近になっている画面です。

GISにおける距離計測画面

略図には私領泉蔵寺の前の土置場ゾーン(筋)の巾は「右同断凡横八間」〔右と同じで(=現在ある堀の形より)おおよそ横8間(=約16m)〕と書いてありました。
「右同断」とは「当時有形之堀ゟ」ということでその意味する「当時(=現在)有る形の堀より」の堀の形の東端が旧版1万分の1地形図における水田と笹地(微高地)の境であることが、証明されました。
距離注記のある私領屋敷Bと私領屋敷Dでも同じ作業をして、同様の結果を得ました。
この作業結果から、天保13年試掘時の堀割平面形状(つまり天明期堀割普請の跡)は大正6年においても同じ場所であり、大正6年測量地図で水田として利用されていた場所であることが判ります。
そこで、旧版地形図の谷底水田を堀割ゾーン(筋)と見立て、土置場ゾーン(筋)を距離に関する注記に従って、旧版地形図上に投影することが可能となります。 次がその結果です。

「天保13年試掘時の北柏井村堀割筋略図」の1万分の1地形図投影

次に、この略図(本格工事前の工事ゾーン区分図)と現在観察できる天保期普請捨土土手分布との関係を考察します。

つづく

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