2012年12月7日金曜日

天保期印旛沼堀割普請の土木遺構の詳細検討 最終回

2012年8月24日にスタートしたシリーズ「天保期印旛沼堀割普請の土木遺構(捨土土手)の詳細検討」を今回で区切りたいと思います。

前回の掲載は11月6日で、その時はすぐにでも最終回を掲載しようとしていたのですが、軽便鉄道橋台とトーチカの発見があってそちらに興味が向かい、ついついサボってきてしまいました。
足かけ5ヶ月に及んでしまいました。

8月24日記事「天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の詳細検討 その1」ではこのシリーズにおける検討目的として次の4つを掲げました。
1)土木遺構としての天保期堀割普請跡の範囲把握
2)天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の土量の把握
3)天保期印旛沼堀割普請前の谷津地形の把握
4)捨土土手以前のもともとの台地地形の把握

以下この目的が達成されたかどうか検討して、このシリーズを終えたいと思います。

1)土木遺構としての天保期印旛沼堀割普請跡の範囲把握
地図太郎PLUS v.3に装備された地形断面図作成機能を利用して、花見川の横断面図を多数作成することにより、土木遺構としての天保期印旛沼堀割普請捨土土手の現状における範囲を平面図上で特定することができました。
このような情報は歴史関係、土木関係等の分野では、これまでにないものです。

土木遺構の捨土土手の範囲を特定した図面

この情報は、土木遺構としての天保期印旛沼堀割普請跡(堀割と捨土土手)を文化財として指定するため、文化財としての価値を検討するためなどに活用することができます。

2)天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の土量の把握
25mピッチ横断面図(垂直方向の単位:0.1m)を作成したことにより捨土土手土量の計算が可能となりました。
(このシリーズの成果は「捨土土手土量の計算が可能となりました」というところまでです。)
土量計算はこれから(仕切り直して)行います。
土量計算を行えば、普請の土木活動量全体のイメージを得ることができます。

土量計算の基礎となる断面図

断面図というイメージだけでなく、次のようなCSV情報を得ていますので、デジタルな土量計算ができます。

断面図のCSV情報(例)

3)天保期印旛沼堀割普請前の谷津地形の把握
捨土土手の土量分を、戦後印旛沼開発前の谷地形(戦前までの谷地形)に対して埋め戻せば、普請前の谷地形を想定することが可能になります。
つまり、もともとの自然地形としての谷地形復元の手がかりが得られます。
この付近は花見川河川争奪により東京湾水系谷津と印旛沼水系谷津の谷中分水界があった場所であり、地形学的に有用な情報入手の期待が高まります。
捨土土手土量計算が可能になったので、この作業が定量的に行える段階に到達できました。

なお、戦後印旛沼開発前の谷地形(戦前までの谷地形)の復元は水資源開発公団資料(および明治期資料)等から可能であり、その作業も今後行います。

4)捨土土手以前のもともとの台地地形の把握
5mメッシュのデータレベルで、捨土土手形成以前の台地縁の地形を復元することにより(つまり、5mメッシュデータ上で捨土土手を除去することにより)、そのデータを使って、花見川谷津付近の縄文遺跡や古墳から見えた土地の範囲を復元することができます。(景観復元図や可視領域復元図の作成)
それにより、縄文時代住居や古墳の立地環境としての景観環境や、近世における古墳の測量杭利用に関して検討を深めることが出来ます。 このような検討も今後チャレンジしたいと思っています。


振り返ってみると、結局1)のみ実行して、2)~4)は手つかずでした。
しかし、1)を実行したことにより、2)~4)の作業を可能とする基礎が出来たので、よかったと思います。


なお、GIS上で100近くの断面図を作成して検討するという作業は、まとまった時間とそれなりの途切れない集中心が必要であり、日々のブログ記事作成というテンポとは合わず苦労しました。


たかが格安GISソフトのバージョンアップがきっかけで、この20回のシリーズ記事を書き、まだ作業したいことが沢山あるという状況がここに(=私に)あります。 それは、花見川流域というフィールドが、特段に濃密な歴史が刻まれた土地であるということが、世の中に表出してきたものだと考えます。

(シリーズ おわり)

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