この記事は2018.03.05記事「土坑(体積類型)の時期別分布 大膳野南貝塚後期集落」のつづきです。
3-4 堀之内1式期の土坑と竪穴住居
堀之内1式期の土坑と竪穴住居
この図を分解して土坑体積類型別抜き書き図を作成して、より直観的に分布を把握して検討します。
特大土坑の機能は貯蔵用であると想定できますが、その場所が称名寺~堀之内1古式期(漆喰貝層有竪穴住居対応)の貯蔵庫ゾーンではなく、加曽利E4~称名寺古式期(漆喰貝層無竪穴住居対応)の貯蔵庫ゾーンの近くになっています。位置が変化していることに大いに着目します。また5か所の特大土坑のうち3箇所は竪穴住居から離れ、2箇所は竪穴住居直近のように観察できます。
集落南西部にある土坑は1つだけで、特大土坑の分布と似ています。
集落南西部に土坑は1つだけありますが、他はいずれも竪穴住居に近くなっています。
堀之内1式期の土坑と竪穴住居 小土坑のみ表示
竪穴住居直近のものだけでなく、集落中央部のいずれの竪穴住居からも離れた場所に分布しているものがあります。
竪穴住居直近のものは住居生活における身近な送り場(廃物の送り場)、竪穴住居から離れたものは非日常的な送り場(土坑墓など?)と仮に考えておきます。
●考察
集落における貯蔵庫ゾーンが称名寺~堀之内1古式期における遺跡南西部から、堀之内1式期には遺跡中北部に移動したと考えます。
遺跡中北部には漆喰貝層無竪穴住居の分布が多く、また漆喰貝層無竪穴住居だけの加曽利E4~称名寺古式期の貯蔵庫ゾーンが遺跡北部であったことから、貯蔵庫ゾーンの移動は漆喰貝層無竪穴住居の影響が強かったからだと想像します。
つまり堅果類の貯蔵では漆喰貝層無竪穴住居家族が大きな役割を果たしていたと想像します。
つづく
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