2013年8月17日土曜日

杵隈(古代船着場)と古代道路が出土する可能性のある場所

花見川地峡の自然史と交通の記憶 58

1 杵隈(かしわい)=船着場の遺跡が出土する可能性のある場所
これまでの検討から、つぎの場所で発掘をおこなえば、古代船着場の遺跡が出土する可能性があります。

杵隈(かしわい)=船着場の遺跡が出土する可能性のある場所

船溜まりからは杵(かし)=もやい杭や舟が出土する可能性があります。
土塁からは運ばれた荷物の一部が埋もれているかもしれません。貝塚はすでに発見しました。奈良時代の土器が見つかる可能性は高いと思います。

2 古代道路遺跡が出土する可能性のある場所
杵隈と双子塚古墳を結ぶ古代官道の区間は、下図のA区間は古代以降顕著な人工改変は見られないと考えられます。従って古代道路は現在の地表面の下すぐに存在していると考えられます。
B区間は印旛沼堀割普請の捨土土手となっています。捨土土手の下には古代道路遺跡が眠っていると考えられます。この区間の開発地は何れも土地を掘削した形跡はなく、盛土して土地を使っていますから、開発地の下にも古代道路遺跡が眠っていると考えられます。

古代道路遺跡が出土する可能性のある場所

古代道路遺跡が出土すれば、斜面における道路として、その幅員や構造等のデータは貴重な学術情報となります。

また斜面であるため、荷こぼれしたものが遺物として出土するかもしれません。

3 参考 柏井遺跡
2013.08.14記事「杵隈(かしわい)=船着場の遺跡発見」における海老川乱歩さんのコメントで、遅ればせながらこの付近が千葉県によって埋蔵文化財として柏井遺跡(包蔵地、縄文)として指定されていることを確認しました。
その指定状況を次に示します。

柏井遺跡の指定状況

柏井遺跡は台地上(古柏井川谷底、下総下位面(浅い谷)、下総上位面)の畑で縄文土器片が出土することに着目して登録されているようです。

この度、このブログで発見した杵隈(かしわい)遺跡(仮称)は古代(奈良時代)の船着場の遺跡です。
また想定した、杵隈(かしわい)古代道路遺跡はその名の通り古代(奈良時代)の直線官道の遺跡です。

つづく


2013年8月16日金曜日

杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ官道(想定)

花見川地峡の自然史と交通の記憶 57

1 杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ官道ルート
杵隈(かしわい)=船着場と双子塚古墳を結ぶ古代官道ルートの検討選択肢はないと考えてよいと思います。
双子塚古墳と高台南古墳を結ぶ官道が真直線であることから、杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ官道も直線と考えます。

次の図にその直線官道ルートを示しました。

杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ直線(官道ルートの想定)
便宜上、直線に後谷津左岸の土塁部分等も含めている。

このルートの地形断面を示すと次のようになります。

杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ直線の地形断面図

杵隈の土塁(後谷津右岸の土塁)の背後にはもともと印旛沼水系谷津の谷底があり、河岸段丘地形のようになっていたと考えられます。(このブログで古柏井川と呼ぶ河川の谷底が花見川の河岸段丘のようになっていたと考えます。)

土塁をつくるとき、この河岸段丘(古柏井川谷底)を削りその土を利用するとともに、後谷津谷底(杵隈=船着場の場所)から台地トップに向けてスムーズな傾斜の土地をつくり、官道建設にふさわしい地形環境をつくったものと考えます。

次のような地形改変が古代に行われたと考えます。

杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ直線(官道ルートの想定)の地形模式

官道ルートの地形の様子を3Dで表示すると、次のようになります。

杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ直線(官道ルートの想定)の3D表示

2 官道ルートの現況写真

2012年撮影空中写真に想定した官道ルートをプロットし、写真位置を示しました。

2012年撮影空中写真の想定官道ルートをプロットした情報図
基図は国土ポータルの空中写真利用、DMデータ(千葉市提供)をオーバーレイ

写真1
土塁付近を俯瞰した写真です。

写真2
この場所では印旛沼堀割普請の捨土はありません。従って、古代からの地形がほぼそのまま残っていると考えられます。

写真3
写真に写っている道が古代官道の名残であるということになります。古代官道の幅員は10m以上あったものと想定しています。
この場所を掘れば、古代道路の遺構が出てくる可能性が濃厚です。

写真4
この道でノウサギとばったり出会い、一瞬目が会ったことがあります。この道が古代の大道の存在を伝えているというのですから、驚きです。


つづく

2013年8月15日木曜日

杵隈(かしわい)のイメージ

花見川地峡の自然史と交通の記憶 56

2013.08.14記事「杵隈(かしわい)=船着場の遺跡発見」に海老川乱歩さんのコメントをいただきました。
このコメントに関連して、杵隈(かしわい)について、私が想像しているイメージを書きます。

現在の地形の形状を見てみます。

地形断面図位置図

AB断面図

CD断面図

AB断面図は土塁がある場所の断面図です。この断面図に土塁部分(人工盛土部分)の想定を書き込んでみました。
土塁部分の想定は土塁がないCD断面と比較しておこないました。

土塁を設けた理由は、土塁をつくることによって谷津の幅を狭め、それにより通航可能な水面の場所を特定し、荷揚げや関所機能(監視、徴税等)の効率化を図ったものと考えます。さらに、谷津の幅を狭めることにより、土塁上流側に設けた船溜まりの水面維持効果も持たせたものと考えます。

このイメージを次に示しました。

杵隈(かしわい)の施設イメージ


つづく

2013年8月14日水曜日

杵隈(かしわい)=船着場の遺跡発見

花見川地峡の自然史と交通の記憶 55

千葉市花見川区柏井町の地名「柏井」の由来は杵隈(かしわい)=船着場と考えて、花見川-平戸川筋が古代東海道水運支路であるという仮説を構築してきています。(2013.07.14記事「千葉市柏井の由来は船着場(仮説)」、2013.07.29記事「杵隈(カシワイ)と古代官道基点を結ぶ通路」参照)

この地名由来に基づいて柏井付近の現場調査をしました。

そして、その場に身を置いてすぐに、船着場の遺構と考えられる地物を発見しました。さらにこの場所で船着場に関連する貝塚(※)までも発見しました。

1 船着場の遺構
次の図に示されるように、後谷津の花見川合流部では両岸から土塁が人工的に張りだしています。

この土塁により狭められたところが荷揚場及び関所であり、土塁の背後に船溜まりがあったものと考えます。

後谷津左岸(南岸)の土塁は近世からつづく旧家の屋敷ですが、この場に関所の管理施設があったと考えます。

後谷津右岸(北岸)の土塁は現在畑となっていますが、この場所が荷揚場、乗降場所になっていたものと考えます。この場所から緩斜面を登ると柏井・高津古代官道の起点である双子塚古墳に到達できます。

船着場付近の平面図

船着場付近の拡大説明図

船着場付近の地形3D図

両岸から土塁で谷津を狭めて船着場をつくった様子

2 貝塚
荷揚場として利用されたと考える後谷津右岸(北岸)の土塁の基部に貝塚があります。
畑に白い貝殻が散布している状況です。

この土塁が荷揚場として機能していたころ(古代)、この付近に船着場の人夫や高津までの陸路の荷物運搬に従事した住民の住居があったと考えます。その人々がここを通る東京湾産ハマグリなどを駄賃等として入手し、食し、その場のごみために捨てたものと解釈します。(2013.07.16記事「古代花見川地峡の物流証拠<ハマグリ>」参照)

貝塚(畑に散布する貝殻)

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※ 貝塚
このブログでは、加曾利貝塚のような立派な貝塚だけを貝塚と呼ぶのではなく、「人為によって形成された貝殻の堆積するものを貝塚とする」という園生(そんのう)貝塚研究会の定義を参考に、貝塚という言葉を使います。
従って貝塚の形成年代は縄文時代等に限られると考えるのではなく、古代、中・近世、近・現代も含めて考えます。

園生貝塚研究会編「貝塚研究 第4号」(1999年)は花見川流域の貝塚を特集し、大変興味深い貝塚調査結果が掲載されています。

この柏井の貝塚が私が発見した貝塚第1号です。
………………………………………………

3 杵隈遺跡発見の最初の感想
杵隈(かしわい)=船着場の遺跡発見が、既成事実であるようなデジャブ的心理状況の中で、実際にその遺跡を発見しました。

高津、杵隈と遺跡発見が相次ぎました。また、柏井・高津古代官道の存在を暗示する資料(馬防土手やソイルマークの画像情報)も発見しました。

私の見立て(「古代東海道水運支路」仮説)が大局では正しいことを示していると考えます。
「古代東海道水運支路」仮説に対する自信が深まりました。

また、地名由来を仮説実証のトリガーとして活用するという方法論についても、その有効性を高津に引き続き柏井でも実体験することができました。

つづく

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2013年8月13日火曜日

柏井・高津古代官道遺跡の存在予測

花見川地峡の自然史と交通の記憶 54

柏井・高津古代官道の遺跡がほぼ確実に存在していると考えられる場所を見つけましたので、報告します。

1 古代官道ルート
次の図はGIS上に背景として最新空中写真(2012年撮影)を開き(※)、柏井・高津古代官道ルート及び他の情報をプロットしたものです。

電子国土空中写真上にプロットした柏井・高津古代官道ルート
基図は電子国土最新空中写真(2012年撮影)にDMデータ(千葉市及び八千代市提供)をオーバーレイしている

官道ルートは米軍空中写真で判読したソイルマーク、馬防土手、土地利用界をつないだもので、真直線といえる線分です。

官道ルートと地図表記の町丁界線が異なります。本来、原理的にこの二つの線分は一致するはずです。そこで、地籍図(千葉市土地調査図)との対照及び現場調査をしました。

その結果、官道ルートとした線分を柏井高校付近の現場で確認し、正確なものであることを実感しました。

地図表記の町丁界線は誤りといっていい精度の線分であることを現場で確認しました。恐らく旧柏井村地籍図だけを頼りにつじつま合わせを図面上で作図したものだと思います。

地籍図(千葉市土地調査図)は、ここでは紹介しませんが、つじつま合わせの図面であることにかわりがありません。(地籍図は旧柏井村と旧横戸村の資料を調整してつじつま合わせをしたような印象を受ける。)

2 土地開発からみた官道遺跡存在予測
官道ルートの土地利用を見ると、花見川西岸では大部分がゴルフ場となっています。ゴルフ場域では官道の遺跡が存在している可能性は低いと考えます。

ゴルフ場と花見川にはさまれた所が印旛沼堀割普請の捨土土手となっています。
この捨土土手の下には古代官道がそのまま眠っている可能性が濃厚です。いわば捨土土手によって遺跡が守られていることになります。

花見川東岸では横戸台団地建設の際の開発(消防用地建設等)と昨年の小規模開発によって古代官道の遺跡は壊されたと考えられます。

以上の検討から、古代官道遺跡は花見川西岸の捨土土手の下に現在でも存在している可能性を確認できます。

古代官道遺跡が存在していると考えられる場所
基図は電子国土最新空中写真(2012年撮影)にDMデータ(千葉市及び八千代市提供)をオーバーレイしている

将来、捨土土手の構造等の把握も含めて、古代官道遺跡を発掘調査することが望まれます。

ここで古代官道遺跡が見つかれば、古代道路研究、古代水運研究、古代千葉の植民研究の発展に大いに資することになると思います。

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※ 手持ちGIS(地図太郎PLUS)では、電子国土(国土地理院)の次の地図及び空中写真を背景として自動的に開くことが出来ます。

●標準地図
●刊行地図
●空中写真 2007年以降撮影
●空中写真 1988~90年撮影
●空中写真 1984~86年撮影
●空中写真 1979~83年撮影
●空中写真 1974~83年撮影

花見川流域付近ではこれらすべての資料を利用できます。
GIS上で空中写真と各種地図・情報を自由にオーバーレイできるので、本ブログでは各種作業を極めて効率的かつ正確に行うことができます。
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つづく

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2013年8月12日月曜日

高津土塁(仮称)の発掘調査と行政措置の必要性

花見川地峡の自然史と交通の記憶 53

高津土塁(仮称、以下仮称略)は現在住宅地と千葉市立柏井小学校敷地になっていますが、ここが古代の土塁であったという物的証拠を集めてその実体を明らかにし、なおかつ埋蔵文化財として登録するなどの行政措置が必要だと思います。

1 発掘調査の必要性
高津土塁の存在は米軍空中写真やボーリングデータ等から、人工地形としての特質を認識することができます。しかし、高津土塁という遺跡存在を初めて意識した現時点にあって、あらためてその存在を確認する物的証拠を得ておくことが大切です。

現時点における高津土塁の確認方法は次のようなものがあると考えられます。

1-1 柏井小学校敷地における表採及び関連住宅地ヒアリング
柏井小学校および周辺住宅地はこれまで遺跡があるということは知られていないので、遺物が地表に存在している可能性があります。
小学校敷地の周辺部分や掘り返しをしたところなどを対象に遺物の表採をすることが考えられます。
また、周辺住宅地(特に旧家)において、遺物等を見つけたことがあるか、ヒアリングを行うことが考えられます。
これらの調査は、いつでも実行可能です。

遺物表採及びヒアリング範囲
基図は千葉市及び八千代市提供DMデータ

1-2 土塁北端部の発掘調査
土塁北端部は基部から人工盛土(石垣を含む?)で造られた可能性がありますので、この部分で発掘調査をすることが考えられます。

現在の土留めコンクリート壁と背後の地層との関係を地上で観察し、軽微な試掘をおこなえば、発掘調査規模や実施価値がどの程度あるか判明します。

発掘調査の目的は、土留めコンクリート壁背後の地層が古代の盛土であることの確認と土塁に関連する遺物の収集です。

発掘調査は学校運営に大きな影響を与えないように、学校当局との調整が必要です。

なお、学校建設事業が遺跡を破壊したという経緯及び、その事業者(千葉市教育委員会)が埋蔵文化財を保護保全する行政指導主体でもあるということを踏まえて、千葉市教育委員会が当事者意識を強化して、責任感を持って発掘調査をおこなうことが大切です。

発掘等の調査を学校教育に取り込んで行うことも意義の大きなことであると思います。

土塁発掘調査区域イメージ
基図は千葉市及び八千代市提供DMデータ

1-3 ボーリング調査
学校敷地のうち、土塁の天端があった区域でボーリング調査を実施することが考えられます。
目的は、学校敷地造成時の造成土の下に古代の盛土の存在を確認することにより、土塁全体が盛土であったことを確認することです。(2013.07.31記事「高津土塁(砦跡)の地質」参照)

土塁ボーリング調査区域イメージ
基図は千葉市及び八千代市提供DMデータ
(2013.08.18 図面修正差し替え)

2 遺跡登録等の行政措置の登録
破壊されたとはいえ、土塁平面形状等は残っています。また土塁の古代史における意義は大きなものがあります。
土塁を埋蔵文化財として登録するなどして土塁が存在した事実を市民や研究者に周知することが大切です。
そのことにより、古代の東海道水運支路や高津馬牧の専門研究に資するとともに、今後の千葉市における文化財保護を確実にするための教訓材料とすることが出来ます。


つづく

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2013年8月10日土曜日

縄文土器を拾う

今朝の散歩で、2ケ所で縄文土器を拾いました。

1 宮附遺跡
この遺跡は2012.05.13記事「下総下位面(浅い谷)にある宮附遺跡」で紹介しています。
遺跡といっても、送電線鉄塔立替工事のために、鉄塔敷地70m2を調査したもので、土壙1(時期不明9、溝1(時期不明)の遺構が見つかり、縄文土器(加曾利E、堀之内、加曾利B)、土師器(古墳)、陶器、磁器(中・近世)が出土しています。

今朝拾った土器は鉄塔下の敷地表面に露出していたものです。

土器を拾った場所の様子

発掘調査(昭和59年)時に埋め戻した土(実態は砂)に混じっていたものだと思います。

宮附遺跡の地表で拾った土器

2 双子塚古墳近く
双子塚古墳近くは昨年小規模開発があり、天保期印旛沼堀割普請の捨土土手が影響を受けたので、開発業者に罪滅ぼしに土木遺構説明板を立ててもらいました。(2012.11.19記事「「印旛沼堀割普請の土木遺構」説明板の設置経緯と設置場所」参照)
その説明看板のある緑地で縄文土器等を拾いました。

土器を拾った場所の様子(拾った土器を集めている)

拾ったポイントは捨土土手の上ですが、昨年の開発工事で掘り返されていて、捨土土手の下にうずもれていた土器片が地上まで登ってきたものだと思います。

土木遺構説明板近くの地表で拾った縄文土器等、牡蠣殻

土器片の他に牡蠣殻も拾いました。地層に含まれていたものが天保期印旛沼堀割普請で捨土土手としてこの場所に移動したものであるか、古代人が東京湾方面から入手してこの場(住居の場)で捨てた物かは不明です。

3 散歩のレパートリーが広がる
縄文土器等を拾ってみて、厚手のもの薄手のもや、表面が黒いものなど時代の違いや用途の違いを示唆すると思われるような顕著な特徴があります。しかし、その特徴についての知識が全くありません。土器の細かな形式は全くわかりません。
しかし、自分が拾った土器の形式が分かるようになることは、適切な判別資料を入手できればおそらく自分にもある程度できるようになると思いますので、チャレンジしてみようと思いました。
風景や動植物、地形等だけでなく、土器や遺物や貝塚を見つけることも散歩の新たなレパートリーに加えたいと思います。今朝の散歩はその第一歩となりました。

4 酒詰仲男著「貝塚に学ぶ」を読んで貝塚探しを思い立つ
2013.07.16記事「古代花見川地峡の物流証拠<ハマグリ>」を書くために、八千代市立郷土博物館を訪れ、研究員の方に八千代市内の貝塚についていろいろと教えていただきました。その際、次の図書を紹介していただきました。
ア 園生貝塚研究会「貝塚研究 第4号 特集:花見川流域の貝塚」
イ 酒詰仲男著「貝塚に学ぶ」

アの園生貝塚研究会「貝塚研究 第4号 特集:花見川流域の貝塚」を図書館で借りて読んだところ、マニアックな貝塚調査を花見川流域を対象に仔細に行っていて、感動しました。花見川流域という場所を、貝塚という1局面ですが、これほど丹念に調査されている方が世の中にいるということに驚き、そのような調査の詳細性のレベルが大変参考になりました。また、現場調査のイメージが良く伝わってきて、この研究会の調査結果を現場で追認して歩きたくなりました。要するに私の趣味の心を強く刺激する図書でした。

イの酒詰仲男著「貝塚に学ぶ」はWEB通販で入手しました。読み始めると、私が知っている人(※)も登場し、引きずられるように読み切りました。最初は全くの素人であった著者が現場調査の大家になっていく様子がよくわかります。アの図書で貝塚に興味を持ち出した自分にとって、貝塚の現場に誘い出すようなメッセージをこの本から強く受けました。

この本を全部読み終わったのが、今朝の5時です。

読み終わった時、脳裏に、宮附遺跡付近の畑に白い物が散らばっていたような印象を思い出したので、ダメモトで、早速早朝散歩でそこまで出かけました。
結果としては、貝塚は見つからなかったのですが、近くで土器を拾った次第です。
帰りがけの道すがら、双子塚古墳付近でも縄文土器等を拾いました。

………………………………………………
※酒詰仲男著「貝塚に学ぶ」に同僚として何回も出てきて、本の解説も書いている和島誠一先生の「考古学」を大学時代に受講して単位をもらったことを思い出しました。
自分の学部と異なる学部の専門講座であったため、自分の専門の単位の足しにならなかったのですが、大変面白かったことをおぼえています。そのような学生時代の体験を、今、自分の趣味で数十年ぶりに思い出すのも、また面白いことです。
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