2013年5月11日土曜日

天戸、横戸、平戸が一連の地名であると見立てる


花見川地峡の自然史と船越の記憶 2

1 戸地名仮説の設定
2013.05.09記事「花見川地峡と印旛沼筋の「戸(と、ど)」地名」で次の仮説を設定しました。

【仮説】「印旛沼堀割普請の前に、花見川地峡が東京湾と香取の海を結ぶ重要な交通路であり、古代において地峡は船越であった。」

この仮説を展開して、次の2つのより具体仮説を設定します。

戸地名仮説1 天戸、横戸地名は海、舟を起源とする
戸地名仮説2 天戸、横戸地名と印旛沼筋の戸地名は相互関連地名である

これら2仮説の確からしさ検証活動は相互補完関係にあります。仮説1の確からしさが向上すれば、仮説2の確からしさも向上します。反対に仮説2の確からしさが向上すれば、仮説1の確からしさも向上します。

2 戸地名仮説の見当
2つの仮説に関して現時点で見当をつけている状況をメモしておきます。

1) 「戸地名仮説1 天戸、横戸地名は海、舟を起源とする」の見当
地名「天戸」、「横戸」は花見川堀割部の両端に位置しています。また堀割部中央には「柏井」という地名が存在しています。

地名「天戸」、「横戸」が存在している様子
この「天戸」、「横戸」、「柏井」と地形との関連から次のような仮説を考えています。

天戸、横戸の地名起源の仮説

これまで「天戸」、「横戸」を海や舟との関連でとらえる発想は皆無でしたので、この仮説設定は100%新機軸と言えるものです。

2) 「戸地名仮説2 天戸、横戸地名と印旛沼筋の戸地名は相互関連地名である」の見当
印旛沼筋には多数の戸(と、ど)地名があります。これらの地名は印旛沼筋(香取の海)の舟運に関係していることは明らかです。(追って印旛沼筋の戸地名について詳しく検討します。印旛沼筋における戸地名が海や舟と関連していること自体は仮説ではなく、自明と考えます。)

(追って掲載)
印旛沼筋の戸地名

これら印旛沼筋の戸(と、ど)地名と花見川地峡の「天戸」、「横戸」が相互関連地名であるという意味は、単に双方とも海や舟と関連を持つというだけでなく、一連の社会活動(直接的には舟運)でつながっていたという意味です。
この仮説も当然のことながら、かつてだれも言ったことがないものです。

3 戸地名仮説の確からしさ向上方法
上記2つの仮説についてその確からしさを次の3方面から立証したいと思っています。
その1 戸地名分布の特殊性(成算あり)
その2 戸地名分布と民俗・歴史資料・遺跡との関連(暗中模索状態)
その3 戸地名分布と地形地質との関連(成算あり)

当面次のような作業を行って情報を得たいと思っています。
その1 戸地名分布の特殊性
ア 戸地名の一般論的検討
イ 戸地名の既存資料(各市史、地名辞典等)説明の整理
ウ 戸地名分布図作成(小字レベル、対象地域…千葉市、八千代市、印西市、佐倉市、酒々井町、成田市、栄町全)と検討

以上の検討で、戸地名分布の特殊性自体から、2仮説の確からしさを向上させます。

その2 戸地名分布と民俗・歴史資料・遺跡との関連
ア 宗像神社分布と戸地名との間に関連があるか?
イ 横戸弁天勧請からヒントを得られるか?
ウ 花島観音からヒントを得られるか?
エ 祭などの形式から海、舟や戸地名分布に関連するヒントを得られるか?
オ 船越の一般論的検討(ブログ「ジオパークを学ぶ」で展開中)
カ 古代遺跡分布と戸地名との関連

以上の検討で、これまで関連付けられていなかった民俗・歴史資料・遺跡と戸地名を関連付け、2仮説の確からしさを向上させます。

その3 戸地名分布と地形地質との関連
ア 花見川地峡の地形詳細検討(このブログで既に相当突っ込んで検討している。印旛沼堀割普請前の自然地形の復元イメージは基本的に得られている。)
イ 縄文海進の海面分布
ウ ア、イを踏まえた古代地形と戸地名との関連

以上の検討で、古代地形と戸地名との関連から、2仮説の確からしさを向上させます。

つづく

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