鉄道連隊の花見川架橋作業の紹介 6
1 米軍撮影空中写真
裸眼実体視資料
米軍撮影空中写真(1949年4月26日撮影、USR-R2769-105、106)
2列の桁が明瞭に見えます。橋脚の上面も白い長方形として確認できます。橋脚と盛土の間の桁も確認できます。
2列の桁の間に影がほとんど見えません。また、盛土の上も純白ですから、おそらく枕木とレールは全て撤去されている状況だと思われます。
2 旧版1万分の1地形図
旧版1万分の1地形図(大久保図幅、右端は三角原図幅)
この地形図(「大久保」図幅)は大正6年(1917年)測図同年製版、大正6年10月25日印刷です。
演習線路習志野線が橋梁を含めて完成されて描かれています。軌道(1軌)の両側に盛土(及び切土)がありますが、その右側(東側)に空中架設の電線(おそらく電信ケーブル)の印が描かれています。(花見川の谷津以外では電線の印はないので、おそらく一般部は鉄道敷地上に架設したものと想像します。)
2013.05.06記事「1917年頃の軽便鉄道の花見川架橋写真紹介」で紹介した花島架橋写真の撮影年は1917年頃となっていますが、1917年に測量された地図に橋梁が完成形で描かれているので、2枚の架橋写真は1916年以前の撮影かもしれません。写真の背後に電線が写っていないこともより古い時代を感じさせます。
(陸地測量部が鉄道連隊からまだ完成していない演習線路の図面を資料として受領し、それを図化したということも、可能性としては考えられます。)
つづく
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