2018年7月10日火曜日

狩猟方法イメージ

大膳野南貝塚学習中間とりまとめ 8 狩猟方法イメージ

大膳野南貝塚学習中間とりまとめを次の10項目に分けて行っています。
1 漆喰貝層有無2集団の関係
2 諸磯・浮島2集団の関係
3 集落消長の理由
4 貝塚・集落の構造
5 貝殻・獣骨・土器片出土の意義
6 埋葬の様相
7 竪穴住居祭壇の様相
8 狩猟方法イメージ
9 個別テーマ
10 背景学習

この記事では「8 狩猟方法イメージ」の説明素材を集めて、まとめペーパーの材料を作りましたので掲載します。

1 後期旧石器時代の狩猟方法
1-1 後期旧石器時代の遺物
大膳野南貝塚及びその南に位置するバクチ穴遺跡から後期旧石器時代の石器(石鏃)が出土しています。

大膳野南貝塚付近石器ブロック分布図 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
後期旧石器時代に、狩猟用石器を所持していた集団が大膳野南貝塚付近にキャンプをはり、その周辺で狩をしていたことが判ります。

1-2 後期旧石器時代狩猟方法のイメージ
狩猟方法についてイメージ的検討(想像的検討)をしてみました。
後期旧石器時代のうち最終氷期クライマックス期(1万年前頃)を例にとると海面が現在より100m以上低いことに対応して河川浸食が激しく、谷津地形が現在よりはるかに険しいものでした。一方下総台地には広い台地面が存在するので季節移動をするシカなどの動物の格好の移動経路でありすみかであったと考えられます。後期旧石器時代人はこうした自然環境を最大限活用して主に台地上で狩りをしていたと考えます。
狩方法は集団で動物を追いつめて最後に仕留めるという困難を伴う方法ではなく、動物を集団で追って崖から追い落として半ば自滅させ、最後のトドメを槍で刺すとイメージします。動物が逃走する際の習性を知り尽くした上で、その知識を活用しながら動物を追い、最後に地形を最大限活用して自滅あるいは弱らせた上でトドメを刺したと考えます。動物が四方に逃げないような柵・妨害物・陥し穴等仕掛けの設置もあったのではないかと考えます。
大膳野南貝塚の位置する地形は広い台地面から台地狭窄部に至る入口付近であることから、次のような狩猟方法をイメージしました。

後期旧石器時代の狩の様子(想定)

後期旧石器時代ブロックと対応する狩場(想定)

後期旧石器時代狩場の地形イメージを一般化するとつぎのように仮説できると考えます。
旧石器時代狩場の地形イメージ(仮説)

2 縄文時代早期頃の陥し穴罠猟
2-1 陥し穴と炉穴の分布
大膳野南貝塚草創期から前期中葉の遺構として陥し穴と炉穴が検出されています。陥し穴は33基存在していて早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が出土しています。

陥し穴(写真) 赤数字は逆木設置タイプ、青数字はスリットタイプ

陥し穴と炉穴は台地面、台地と斜面の境界、斜面のそれぞれに立地しています。大膳野南貝塚で陥し穴と炉穴が近接して立地している場所がありますが、それらが同時に存在したことは考えにくいので、陥し穴を使っていた時期は別の場所に炉穴(キャンプ地)があり、炉穴(キャンプ地)を使っていた時期は別の場所の陥し穴を使っていたと考えます。

陥し穴と炉穴の地形との対応

2-2 陥し穴罠猟の方法
2-2-1 動物移動路に設置した待ち受け陥し穴
陥し穴の長軸方向をみると北に広がる広い台地面から大膳野南貝塚のある狭い台地面に動物が入ってくる移動路に陥し穴が設置されていたものが多いと考えられます。

陥し穴の長軸方向
陥し穴による狩猟方法は人との関わりの無い状況で動物が餌をもとめて歩いている時にカムフラージュされた陥し穴(罠)に間違って落ちる方法であったと考えます。人が動物を追い、逃げる動物が結果として陥し穴に落ちる狩猟法を想定すると陥し穴の規模が小さすぎると考えられます。また動物が勝手に陥し穴に落ちる罠猟の方がはるかに効率的です。

2-2-2 誘導柵の設置
陥し穴はすべて待ち受けによる罠猟であったと考えますが、その効率をより高めるために動物を誘導する柵や穴に落ちざるを得ない罠仕掛が作られていたと考えます。
13号陥し穴では広域にわたる誘導柵と陥し穴罠仕掛を発掘平面図や発掘状況写真の縄文ピット・黒斑点情報から想定復元しました。

陥し穴誘導柵遺構の存在可能性

13号陥し穴罠猟のイメージ (上が南で地図と反対に表示されています)

2-2-3 陥し穴の連続設置
陥し穴が至近距離に複数設置されている様子が幾つかの地点で観察できます。古い陥し穴の機能が低下して、新しい陥し穴に作り替えたということも考えられますが、恐らく陥し穴を至近距離に連続設置することにより集団で移動する動物の捕捉効率を高めたものと考えます。

至近距離に設置された陥し穴の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
15号陥し穴と16号陥し穴の距離は5.7mです。

3 前期集落と後期集落の狩猟方法
3-1 犬を使った狩猟
前期集落と後期集落ではイヌ骨が出土していて犬を猟犬として使った狩猟が行われていたと考えられます。後期集落では犬が竪穴住居から埋葬された状態で出土していていて、犬と人との関わりの深さが判ります。

2号犬骨 J9竪穴住居貝層直下から出土

3-2 狩猟対象獣種
前期集落と後期集落の獣骨出土主要住居祉の情報を確認しグラフ化しました。

主要住居祉の獣推計最小個体数 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

主要住居祉の獣推計最小個体数
前期集落、後期集落ともに狩猟対象獣種のトップはイノシシで次いでその6割程度の量としてシカが続きます。時期別に大きな変動はありません。
イノシシが最もポピュラーな狩猟対象獣種であった理由としてシカとくらべて人家の近くにも出没する習性があることと、同じくシカとくらべて犬をつかった狩猟がしやすかったことがあるのではないかと考えます。
なお、発掘調査報告書では後期集落でイノシシ幼少獣が飼育されていた可能性について言及しています。
上記データで前期集落(諸磯b)3軒と後期集落ピーク時(堀之内1)6軒のトータル推計最小個体数がほぼ同じ値になります。その理由は後期集落では生業の大きな部分を漁労が占めていて、狩猟に裂くパワー・時間が限られていたのに対して前期集落では狩猟が生業のなかで占める割合が大きかったことによると考えます。

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次の資料を公開しました。(2018.07.12)

pdf資料「狩猟方法イメージ 要旨

pdf資料「狩猟方法イメージ

上記資料を含めて私の作成した主な資料・パワポはサイト「考古と風景を楽しむ」にも掲載しています。

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