2011年7月17日日曜日

千葉市花見川区に在った旧軍毒ガス演習場 4

7 下志津特殊演習場の使われ方について
7-1はじめに
 下志津特殊演習場の区域は、「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)掲載地図(近衛師団管轄演習場規程付図第六其ノ一)を、趣味のGIS分析している最中に偶然発見しました。
 特殊演習場の意味を知るために、近衛師団管轄演習場規程の本文を閲覧して、間違いなく毒ガス演習場であることを確認しました。

 この特殊演習場から約1.8km南東の千葉市稲毛区内では平成19年以降合計175発以上の毒ガス弾(95式90mmきい弾)が地中から発見されており、この特殊演習場がどのように利用されていたのか、区内近傍生活者の一人として気になります。

 一方、千葉市花見川区に毒ガス演習場が存在していたという事実は市民はもとより、千葉市も初耳であるということでした。このことから下志津特殊演習場に関する情報は世の中の表には出ていないことが判りました。

 そこで下志津特殊演習場の利用内容に関する情報を集めてみました。
 結論から言うと、下志津特殊演習場の利用内容を直接示す資料は見つけることができませんでした。

 しかし、下志津特殊演習場が置かれた状況に関連する情報を幾つか得ることができましたので、紹介します。

7-2 陸軍習志野学校における毒ガス演習
 「陸軍習志野学校」(昭和62年1月、陸軍習志野学校史編纂委員会発行)によれば、陸軍習志野学校は昭和12年からは動員予定の迫撃大隊、野戦瓦斯隊に対する教育を実施しました。迫撃大隊は迫撃砲でガス弾を発射するガス兵であり、野戦瓦斯隊は撒毒、制毒、除毒を行うガス兵です。

 実毒演習は2段階あり基本(各個)訓練と練成(部隊)訓練がありました。

 基本(各個)訓練は習志野原で行いました。
○実物演習場は習志野原のほぼ中央、射撃場北側の平坦な松林の中にある。東西500m、南北300mで周囲は土堤に囲まれており、僅かに中央部分が緩やかな凹地状をなし、この区画内のほぼ中央部分の東西200m、南北150mの地域に通常100~200kg程度の「きい剤」を撒布した撒毒地を構成し、捜索、検知、除毒、通過など各種の基本動作の訓練を行った。

「○実物演習場を利用して行われた教育課目の一例は次のとおりである(甲種学生の例)。
(1)撒毒…手撒又は車撒
(2)捜索…撒毒地前後縁の捜索(各種風向、夜間)
(3)通過…通過準備、戦闘通過、応急消毒、馬匹の通過
(4)工事…撒毒地内の工事、作業と消毒の関連
(5)制毒…晒粉、草刈、掩覆の効力
(6)対雨下行動…雨下準備、雨下体験、応急消毒

            習志野実物演習場の説明図
「陸軍習志野学校」(昭和62年1月、陸軍習志野学校史編纂委員会発行)347ページ掲載図
習志野特殊演習場の利用説明図であると考えられます。

○野営綜合演習または習志野原の実物演習終了後、次の段階として行われた。場所は実物使用演習場に指定された赤城、相馬ヶ原、王城寺原、富士裾野等である。この演習は教導連隊の支援を受けて行われた。学生に対する野営綜合演習の教育課目の一例は次のとおりである。
(1)演習計画立案(宿題)…資材準備、演習地域の選定、標示、消毒設備、勤務員の配慮・任務
(2)対ガス放射…初動の発見、警報伝達、防護
(3)捜索…捜索計画、斥候長の指揮、気状瓦斯滞留地域の判定と処置
(4)防御…陣地の防護設備、警戒、捜索、対雨下、対瓦斯弾動作、陣地の制毒
(5)攻撃…撒毒地帯を有する敵陣地に対する攻撃準備位置の選定、防護施設、警戒部署、標示、装面指揮、長時間の装面、工事と戦闘と防護の調和、夜間の消毒路の構成

 習志野実物演習場(習志野特殊演習場そのものであると考えられます)の大きさが東西500m、南北300mとなっていますが、下志津特殊演習場の大きさは東西460m、南北360mであり、大きさが近似しています。これから、下志津特殊演習場も習志野実物演習場(習志野特殊演習場)と同様の働きをしていたのかもしれません。

7-3実弾演習の場としての下志津演習場
 規程では下志津演習場と習志野演習場の射撃に関し、次のように定めています。

下志津演習場…一般の演習、歩砲其ノ他ノ射撃
習志野演習場…実弾ヲ使用セザル各種演習但シ習志野演習場ニ限リ歩兵一小隊以下ノ戦闘射撃ヲ行フコトヲ得

 規程ではさらに詳細に射撃に関して規定しており、下志津演習場では歩兵重火器、戦車、砲兵(山砲、十榴、十五榴、十加)の射撃方法について記述しています。習志野演習場では火砲(歩兵重火器を含む)を禁止して、歩兵の戦闘射撃(軽機を含む)は1小隊(80人)以下までとしています。

 こうした演習場全体の運用の違いは、下志津特殊演習場と習志野特殊演習場の運用の違いに反映していた可能性を排除できないと思います。

 ただし、「陸軍習志野学校」(昭和62年1月、陸軍習志野学校史編纂委員会発行)の幹部候補生の回想録には習志野演習場および下志津演習場双方における迫撃砲実射の思い出がでています。習志野演習場でも迫撃砲の実射が行われていたのは事実のようです。

(つづく)

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