2011年7月23日土曜日

長作城山貝塚

長作川流域紀行3 長作城山貝塚

            縄文海進と貝塚の分布
 青系統の色は縄文海進の海(想定)の範囲です。

            貝塚の現代地図プロット

 長作城山貝塚(城山遺跡)は縄文早期の貝塚です。
 「千葉市史 原始古代中世編」(千葉市発行、昭和49年)に、「印旛・手賀沼周辺地域埋蔵文化財調査」の一環として、昭和35年2月に、早稲田大学考古学研究室の金子浩昌によって行われた発掘調査を引用した記述がありますので、紹介します。

 「貝層の堆積は小規模であり、かつ、撹乱もあってあまり良好とは言えなかったようであるが、『小型ハイガイを主含とし、これにカキ・オキシジミ・ハマグリ・カガミ貝などがやや多く包含されていた。』このほか、イタボガキ・サルボウ・マテガイ・アカニシ・イボニシ・ツメタガイ・ウミニナなどが検出されたことから、『すべて遠浅の泥底質あるいは砂底質に棲息する種類であって、ハイガイの棲息など、当時陸水の影響が強くなく、暖流系支流のより直接的影響下にあった水域環境の状況を理解することができる。』とされている。
 人工遺物としては、玄武岩製品と軽石製品各一個であるが用途は判然としておらず、土器はすべて破片で表裏両面に条痕文を有する土器片がほとんどを占め、『これ以外に文様を殆んどもたないと考えられる一群の土器、つまり茅山上層式に比定されるものであろう。』とされている。

 東金街道(御成街道)が横切るこの小さな谷津が縄文時代には干潟の海であったことを考えると、その当時のこの付近のリアルな風景の様子を目の当たりにしたくなります。

 今ある各種情報をインプットして、当時のリアルな情景画像をつくるパソコンソフトを見つけて、あるいはいくつかのソフトの組み合わせによるシステムを開発して、往時の情景に没入したくなります。そのようなパソコンソフトは既にある、あるいは十分に開発可能に違いないと思います。

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