2011年10月31日月曜日

4期地形の把握とわかったこと

花見川河川争奪を知る30 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説5

2-3 4期地形の把握とわかったこと
5期(印旛沼総合開発以降現代まで)における地形改変の把握結果を前記事までに報告しました。
この作業により4期地形の復元把握は1949年撮影米軍空中写真によれば確実にできることが判りました。
大正6年測量の旧版1万分の1地形図や明治前期測量の迅速2万図も有力な資料となりますので、補助資料として使うこととしました。
次に示すのは米軍撮影空中写真を実体視して作成した地形分類図です。以前の記事に掲載した図を少し訂正してあります。
地形分類図

この図から、古柏井川復元に関連すると思われる事項で、わかったことを列挙します。

A
A地点東岸で盛土の背後に埋め残されたと考えられる細長い平坦面とその背後の崖が確認できました。
残念ながら現在は埋め立てられて観察できませんが、DMデータをみると、凹地に台状に盛土した様子が表現されています。この平坦面は勝田川の河岸段丘に連続することが確認できます。
DMデータと地形分類図のオーバーレイ(A、B地点付近)
(ただし、空中写真はオルソ化していません)

B 
B地点の断面図をDMデータから作成しました。
B地点断面図
(左が東岸、右が西岸)

この断面図に示される西岸背後の窪地は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)にも迅速図(明治15年測量)にも出てくるもので、谷の斜面の一部(自然地形)であることは確実です。
注目すべきは、その斜面の最も低い場所が17m以下であることです。
つまり盛土をはがせば、この付近に17m以下の高さの何らかの谷が存在していたことを証明しています。

C
C地点の西岸には盛土に出口を塞がれた、北方向に向かう、明瞭な流入支谷が確認できます。
最も低い場所の高さは18.4mです。
盛土前に、これより低い場所に、この流入支谷が合流する本川谷津があったことが証明されます。
DMデータと地形分類図のオーバーレイ(C、D地点付近)
(ただし、空中写真はオルソ化していません)

C地点地形断面図
(左が東岸、右が西岸)

この流入支谷は迅速図に次のように描かれています。
迅速図

D
D地点の地形断面を次に示します。
D地点地形断面
(左が東岸、右が西岸)

北柏井の集落の乗る平坦面の平面形状は、前谷津(東から流入する谷津)が北に向かって流れて形成されたことを強く示唆します。
後谷津(西から流入する谷津)の合流部北側の平坦面(盛土がされていて緩斜面になっている)も同じく北に後谷津が流れたことによって形成されたことを示唆しています。

なお、A、B、C、Dの谷断片や平坦面と背後の崖は、空中写真実体視で、いずれも意外なほど「新鮮」な感じであり、古柏井川の時代を考える際のヒントになるような気がしています。

柏井から南にも平坦面(河岸段丘)が分布します。それらを含めて、平坦面の対比を今後検討したいとおもいます。
確かな対比のためには、oryzasan氏や団体研究グループが専門とするような火山灰をキーとする現場検証が必須だと思います。

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