2011年10月22日土曜日

花見川河川争奪の成因検討2 oryzasan氏の説と感想6

花見川河川争奪を知る20 花見川河川争奪の成因検討2 oryzasan氏の説と感想6

oryzasan氏論文「花見川の地学」第3章に対する感想を述べます。

感想
①河川争奪の時期はいつか

oryzasan氏のおっしゃる通り、河川争奪の時期は1.7万年前の海進開始期以前だと思います。ここらへんの地史時間概念はこの論文で学習させていただきました。

②「古柏井川」の下流は存在するか
oryzasan氏は以下の点から古柏井川下流の存在に疑念を述べられています。
ア 明瞭な谷地形が確認されない
イ 下流部ほど広いはずの谷幅が狭い。(人工的に広げたなら、なおさら)
ウ 川幅に比べて台地との高度差が大きすぎる
エ (高地に)行く手を遮られた前谷津と後谷津が、合流後あらためてそこを横切るのはおかしい。

以上のoryzasan氏の論点を検討します。

1949年撮影米軍空中写真をディスプレイ上で裸眼実体視して、次の地形分類図を作成しました。

地形分類図

この作業で、これまでの私の地形理解で重大な誤りを犯していたことに気がつきました。

次の図はこれまでこのブログで何度も掲載してきたものです。古柏井川の無能谷になった部分の水系を赤線で示してあります。2支流を考えています。

旧版1万分の1地形図の等高線分布から想定したものです。

これまでの古柏井川の無能谷部分の水系理解

余談になりますが、地団研専報45論文のリストで発見し、最近読んだ戦前の地形学者論文(基礎資料は同じ旧版1万分の1地形図を使っている)でも、同じ2支流が水系に図化されています。この論文を見た時、自分の水系理解も間違っていないと思い、まんざらでもない気分でした。

戦前地形論文の花見川水系認識
花井重次、千葉徳爾(1939):関東平野の凹地地形に就いて 特に下総台地上の凹地地形、地理、VOL2.、NO2

この水系理解が空中写真の実体視をした途端に、疑念なく、間違いであることが判りました。

A-B付近の3D画像は次の断面のようにきわめて明瞭に見ることができます。


断面A-B付近の地形分類図


断面A-Bのイメージ


このデータ、特に台地(下総下位面)を削る斜面(緩斜面、急斜面・小崖)と平坦面の連続性から、次のような地形解釈をすることができると考えました。

古柏井川の復元にかかわる地形解釈

当初考えていた支流は、支流ではなく、堀割普請の盛土で埋め尽くされなかった古柏井川の河道(の河岸段丘部分)と盛土に挟まれた空間であることが判りました。

この区間の下流の右岸(西側)の支流も同じように古柏井川の谷壁と盛土に挟まれた空間であることが判りました。

空中写真実体視恐るべしです。実体視した途端に地形の解釈ができました。

この地形解釈の精緻化による変更は大いにありうると思いますが、根本は変わらないと思います。

次の地図は1960年(昭和35年)測量の千葉市都市図ですが、堀割普請背後の平坦面が千葉第1段丘に連続している有様をよく表現している等高線が描かれています。


千葉市都市図
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」440ページ掲載図を引用

oryzasan氏の古柏井川下流存在に対する次の疑念

ア 明瞭な谷地形が確認されない
イ 下流部ほど広いはずの谷幅が狭い。(人工的に広げたなら、なおさら)
ウ 川幅に比べて台地との高度差が大きすぎる

には、以上のデータで答えることができたと思います。

(つづく)

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