2012年8月27日月曜日

天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の詳細検討 その1

捨土土手検討プロジェクトの企画

1 検討の目的
地形断面図を5mメッシュ標高データの最少表示単位である10㎝単位で作成できるツールを思いがけなく入手しました。(2012.8.23記事「地形断面図作成の強力ツール入手(報告)」)
そこで、早速このツールを使って、手始めに天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の詳細検討を行います。

天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の現在の分布状況
5mメッシュを地図太郎PLUSとカシミール3Dで運用
図上のメッシュは2秒間隔経緯線(横方向=東西方向の間隔が約50m、縦方向=南北方向の間隔が約61m)

天保期印旛沼堀割普請の捨土土手付近の地形3D表現
5mメッシュを地図太郎PLUSとカシミール3Dで運用

天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の分布状況は上図に示す如く、5mメッシュにより分布図として、感覚的には詳細に把握することができます。

しかし、私の使えるツールでは、これまで詳細検討に耐えうる精度の地形断面図をつくることが出来ませんでした。
そのため、次に示す興味をさらに一歩進めることが出来ない状況にあり、それらはいつか取り組めることが出来るようになる日のために、温めておくしかありませんでした。

●分析ツールを所持しないために、これまで詳細検討できなかった天保期印旛沼堀割普請捨土土手に関する興味
1)土木遺構としての天保期堀割普請跡の範囲把握
2)天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の土量の把握
3)天保期印旛沼堀割普請前の谷津地形の把握
4)捨土土手以前のもともとの台地地形の把握

このたび、新たに入手したツールにより、これらの興味に取り組むことが可能になりました。

そこで、これらの興味を深めることを目的に、天保期印旛沼堀割普請捨土土手に関する詳細検討をスタートさせることとしました。

詳細検討の4つの目的について説明します。

目的1 土木遺構としての天保期印旛沼堀割普請跡の範囲把握
花見川両岸の台地等の上に分布する天保期天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の詳細断面図を必要に応じていくらでも作れますので、捨土土手の範囲を明確に特定することが可能になります。
これにより、天保期印旛沼堀割普請の土木遺構としての範囲を特定することができます。
以前、千葉市教育委員会に問い合わせたところ、この土木遺構を千葉市が文化財として扱わない理由の一つが、「その範囲が明確でない」ということでした。
土木遺構としての範囲が特定できれば、天保期印旛沼堀割普請跡を文化財として扱おうとしない消極思考の一端を除去することができます。

目的2 天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の土量の把握
天保期印旛沼堀割普請では、捨土土手がある範囲では、掘り下げた土は全て両岸の台地上に捨土したものであると考えられます。
従って、昭和・平成期などの人工改変の影響を既知のものとすることができれば、普請当初の捨土土手の土量を把握できます。
そうすれば、普請の時の土工量を正確に把握できます。
それは、普請の土木活動量を知る上で貴重な情報となります。

目的3 天保期印旛沼堀割普請前の谷津地形の把握
捨土土手の土量分を、戦後印旛沼開発前の谷地形に対して埋め戻せば、普請前の谷地形を想定することが可能になります。
つまり、もともとの自然地形としての谷地形復元の手がかりが得られます。
この付近は花見川河川争奪により東京湾水系谷津と印旛沼水系谷津の谷中分水界があった場所であり、地形学的に有用な情報入手の期待が高まります。

目的4 捨土土手以前のもともとの台地地形の把握
5mメッシュのデータレベルで、捨土土手以前の台地縁の地形を復元することにより(つまり、5mメッシュデータ上で捨土土手を除去することにより)、そのデータを使って、花見川谷津付近の縄文遺跡や古墳から見えた土地の範囲を復元することができます。(景観復元図や可視領域復元図の作成)
それにより、縄文時代住居や古墳の立地環境としての景観環境や、近世における古墳の測量杭利用に関して検討を深めることが出来ます。

2 検討内容
次のような検討を予定します。

1)現状の捨土土手の範囲の把握
2)現状の捨土土手の土量の把握
3)昭和・平成期に除去等された捨土土手の範囲、土量の推定
4)土木遺構としての天保期印旛沼堀割普請跡の範囲確定
5)天保期印旛沼堀割普請の土工量検討
6)戦後印旛沼開発前の花見川地形の把握
7)普請前の谷津地形の復元
8)普請前の台地縁からの景観や可視領域の検討

(つづく)

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