2012年8月19日日曜日

双子塚古墳の未来(シリーズ最終回)

双子塚古墳の過去・現在・未来 その12(最終回)
双子塚古墳出土物を閲覧して

6 未来
6-1 双子塚古墳の歴史イメージの振り返り
この記事シリーズを書いてきてみると、私(クーラー)の双子塚古墳の歴史に対するイメージは次のようにまとめることができることに気がつきました。

双子塚古墳の歴史イメージ

双子塚古墳は大変ドラマティックな歴史を歩んできています。

古墳築造とその古墳が祭祀の場として活用されていた時代があります。

次の時代はこの古墳が横戸村に奪取され、測量杭として活用された時代です。
でも、この時代はまだ花見川源流部の地形と湧泉が残っていて、古墳の立地条件は現場で自明でしたから、古墳の聖性は残存していたものと想像します。

印旛沼堀割普請によって花見川源流部の地形と湧泉が失われると、古墳が拠って立っていた条件が失われ、聖性は漂流し、ついには穢れへと180度の転換があったものと想像します。

戦後経済の高度成長期がはじまり、穢れの場の必要性がなくなると、人々の記憶から急速に双子塚古墳の存在が消されていったものと考えます。

そのような時代に横戸台団地開発が行われ、双子塚古墳は記録はされましたが、存在自体は除去されました。
これにより、人々の記憶からも、存在自体も消去された時代が訪れ、現在にいたります。

穢れの場であったという事実は、散歩人の心情からすると、それを取り扱うことには強い心理的抵抗があり、苦しいものがあります。
しかし、そのような事象も含めて歴史をありのままに認識し、古墳の歴史全体像を認識することこそ、真に地域づくりに役立つ情報を得る近道だと考えるにいたりました。
それで、穢れの場であったという事実を忌避するような態度をとることはやめました。
ドラマには良いこともあれば悪いこともある、山もあれば谷もある、それが通例です。それが歴史というものです。

6-2 双子塚古墳の未来
このブログで双子塚古墳を取り上げなければ、いつまでもその記憶と実在が失われた時代がつづいたものと思います。
しかし、このブログで双子塚古墳のドラマを取り上げたからには、私としては、双子塚古墳の歴史のふりかえりが社会で行われ、地域づくりの視点から双子塚古墳の意義が検討されることを願っています。
そのような活動に取り組みたいと思います。
手始めに、双子塚古墳が存在していたという事実を、人々が現場で認識できる説明看板の設置を行政当局にお願いしたいと考えています。

(おわり)

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