2012年8月13日月曜日

双子塚古墳と花見川源流部の聖地化

双子塚古墳の過去・現在・未来 その7
双子塚古墳出土物を閲覧して

3 古墳時代
3-6 双子塚古墳と花見川花見川源流部の聖地化
双子塚古墳が花見川最源流の湧水部(※)(東京湾水系と印旛沼水系の谷中分水界の場所)を見下ろす場所に造られたことから、花見川の谷津で水田経営を営んでいた小豪族が花見川の水を支配しているという統治権力を確実なものにするために双子塚古墳がつくられたと考えます。

※ 印旛沼堀割普請前に、この場所に湧水があったことは、この場所に縄文遺跡があることから証明されます。

花見川源流湧水のすぐ近くに古墳を設けそこで祭祀を行うことにより、古墳及び源流湧水部一帯を小豪族一族の聖地として独占したものと考えます。

花見川源流部一帯を聖地化することで、
ア 小豪族は水管理という実務・実利上の優位性を確実なものにするとともに、
イ 権力の所在を住民に徹底するという社会統治上の効果を得た
のだと思います。

双子塚古墳祭祀イメージ
双子塚古墳を築造した小豪族が聖地化し独占した空間のイメージ
基図はDMデータ(千葉市提供)

このように考えると、双子塚古墳から出土した土器は祭祀に使われ、その中に入れた物は花見川源流部湧泉の水であったと強く感じることができます。

東京湾水系源流部湧水とその場所一帯を統治者(=祭祀者)が押さえた事例には、二宮神社御手洗之泉、滝ノ清水、子和清水などがあり、双子塚古墳と花見川源流の事例も加えて詳細に比較することによって個々の事例では発想できないより高次の知見を得ることが可能になると考えています。

(つづく)

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