2012年9月22日土曜日

鷹之台カンツリー倶楽部付近の捨土土手

天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の詳細検討 その8

11 鷹之台カンツリー倶楽部付近の捨土土手
私が第3区間と作業区分した区域(鉄道連隊架橋跡から弁天橋までの区間、西岸に鷹之台カンツリー倶楽部が拡がる)の捨土土手を25mおき地形断面図から抽出しました。

捨土土手の分布

東岸は弁天橋付近が人工改変のため捨土土手が撤去され、一部はその後盛土により畑がつくられています。(過去の空中写真等からその経緯確認済み)
西岸は64番断面付近を除き捨土土手が連続して分布します。64番断面付近は大正6年測量旧版1万分の1地形図では土手が連続しているので、戦後の印旛沼開発工事等で通路等を確保するために、土手が一部撤去されたのではないかと考えます。

捨土土手分布と地形との関係を見るために、捨土土手分布を地形段彩図にプロットしてみました。

捨土土手と地形との関係

東岸の捨土土手の背後(東側)に窪地(谷地形)があることがわかります。
(DMデータの等高線表現では必ずしもこの窪地は十分に表現されていません。)
実はこの窪地(谷地形)は見かけ上そうなっているだけで、台地を刻む谷津谷底の上に捨土土手がつくられたために形成されたものです。

57番断面で説明すると次のようになります。

57番断面

古柏井川谷底に捨土土手をつくり、捨土土手は古柏井川の谷津を全部埋め尽くすことが無かったので、見かけ上の窪地(谷状地形)が形成されたのです。

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この窪地(谷地形)の部分は殆どが雑木林に覆われています。そして、戦後抜開されたことがなく、そのため1回として地表面がそのまま空中写真に撮られたことがありません。
そのため、地図作成(人による空中写真判読による地図作成)では測量技術者が樹林下の地形を想像して等高線を引くしかなく、これまでこの部分では不正確な等高線しか描かれてきませんでした。
このような事情から、現場を見ない限り、古柏井川谷津の存在とか、その谷底に捨土土手がつくられたなどの事実は誰も気がつくことがありませんでした。
私は、現場でわかった事実をこのブログで、平面図や断面図で表現しようとしたのですが、それが出来ない日々が続きました。
同じ5mメッシュでも人が空中写真判読した結果によるデータでは、不正確な情報で、現場の事実を表現することが出来なかったからです。
ところが、最近、航空レーザ測量による5mメッシュが公開され、上記のような人の要素による誤謬(測量技術者が空中写真判読を行う際の判断ミス)が入る余地がなくなり、GISを活用することにより、上記のように平面図や断面図で正しい地形の姿を知ることができるようになりました。
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64番断面

東岸の捨土土手は古柏井川谷底上に積上げられ、その高さは少なくとも6.5mになります。西岸は、この付近では戦後通路確保のために、土手が削られたようです。

73番断面

東岸は人工改変で捨土土手は失われています。 西岸では台地上に捨土土手が積み上げられていて、土手の巾が110m以上になり、全区間を通じて最も巾のある土手となっています。

つづく

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