天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の詳細検討 その5
7 第1区間右岸(東岸)の捨土土手の下にある宮附遺跡
宮附遺跡(みやづけいせき)については何度か記事にしました。(2012.5.13記事「下総下位面(浅い谷)にある宮附遺跡」など)
この宮附遺跡が天保期印旛沼堀割普請の捨土土手下にあり、遺跡発掘調査時の土層観察記録がありますので紹介します。
7-1 宮附遺跡の位置
宮附遺跡の位置
「宮附遺跡発掘調査報告」(1985年、東京電力千葉支店 千葉市遺跡調査会)(以下報告書と呼びます)による
この位置を、このブログで作成した捨土土手分布図にプロットすると、次の図になります。
宮附遺跡は捨土土手の東の端に位置し、19番断面線の近くです。
捨土土手分布図における宮附遺跡の位置
7-2 宮附遺跡現場の状況
次の写真は報告書に掲載されている発掘調査時点の写真です。
宮附遺跡発掘現場
「宮附遺跡発掘調査報告」より引用
引用者注・・・下写真「北から」は誤記、「南から」が正しい。
この遺跡付近の状況は現在でもあまり変化していません。
宮附遺跡付近の現在の状況(東から)
鉄塔の下が宮附遺跡、背後は花見川東岸の崖の林
7-3 宮附遺跡の土層観察結果
報告書に掲載されている発掘調査時(昭和59年11月)の土層観察結果を掲載します。
宮附遺跡土層観察図
「宮附遺跡発掘調査報告」(1985年、東京電力千葉支店 千葉市遺跡調査会)掲載図に引用者が着色
灰色…砂層
褐色…ローム漸移層
報告書には観察結果が次のように記載されています。
「調査時川砂等を盛土してあったが標高はおおよそ23.00mである。川砂による盛土は、
西から東にかけて30㎝~50㎝の巾でなされその下層に粘性の少ない暗褐色土層(ソフトローム漸移層)が、20㎝~30㎝巾で堆積している。」(引用者注…巾は層厚の意味で使ってる。)
ここで川砂と記載された層が天保期印旛沼堀割普請の捨土土手であり、その層が西に厚く、東に薄いという観察が、この遺跡ポイントが捨土土手の西端付近に位置している状況とよく一致しています。
また、逆に、この土層観察結果から、19番断面における捨土土手断面を推定することができます。
19番断面における捨土土手断面の推定
7-4 まとめ
宮附遺跡発掘時の土層観察結果から、花見川の横断面図により検討している捨土土手形状把握作業の的確性(正確性)を自分なりに確認することができました。
つづく
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