14 住宅団地造成による捨土土手の改変
20120920記事「柏井高校及び横戸台団地付近の捨土土手」で、地形断面図から捨土土手(土台部)を検出しました。
次にその記事の平面図と断面図説明を再掲します。
39番断面
この記事で自分にとって新発見であった捨土土手(土台部)の素性について考えてみました。
当初、次のような可能性について検討項目をピックアップしました。
1 最初に土台部分を作って、その上に土手を作った。
2 団地開発で土手の中腹が削られ、土台があるような形状になった。
3 雨水の浸食でこのような形状になった。
4 天明期の普請で土台部分が作られ、天保期普請でその上に土手が乗った。
また、20120925記事「捨土を担ぐイラスト(続保定記絵図)」から次のような可能性も考えられなくはありません。
5 庄内藩郷人夫の捨土の仕方が人足引受人の捨土の仕方と違っていた。
4番などの結論になるととても面白いので、密かに期待したのですが、結論は2番に落ち着きました。(内心少しがっかりです。)
まず、住宅団地開発主体である千葉県住宅供給公社に問い合わせた、工事前の測量成果や土工事の計画図などの資料の閲覧を申し込んだのですが、結果それらの資料は10年間保存し、その後すべて焼却処分しているとのことで、団地開発の資料は得られませんでした。
しかし次のようなことが判ります。
1 断面図における捨土土手(グレー塗色部)形状が東西非対称性であり、東側〔左側〕が削られているように見えること。
2 捨土土手の東裾の境が石積擁壁を伴う直線道路であること。
3 捨土土手(土台部)(グリーン塗色部)の東端の平面分布線が住宅団地街区線をなぞるような関係にあること。
4 捨土土手(土台部)の分布が横戸台団地の区域と一致すること。
これらの条件に加え、なによりも現場で得られる観察から、捨土土手(土台部)の素性は、本来あった規模の大きな捨土土手が、団地開発でその中腹が削られ、その土が付近に運ばれ盛土となり、現在の土台のような形状に見かけ上出来あがったと、考えました。
この説明を絵にして次に掲載します。
横戸台団地造成工事における捨土土手改変の様子(想定)
現場写真で示すと次のよになります。
断面写真
正面写真
今後歴史的土木遺構としての捨土土手平面分布は、人工改変により強い影響を受けた土台部分は含めないことにします。
しかし、捨土土手の土量を考えるときには土台部分を捨土土手に含めて考えることにします。
つづく
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