そのデータが出来るまでの時間を利用して主な墨書土器文字の事前検討を行います。
この記事では上谷遺跡で最も多く出土する文字「得」について検討します。
全国墨書土器データベース(平成10年、明治大学)を検索すると文字「得」を含む墨書土器・刻書土器が185遺跡から704点出土しています。
そのうち、千葉県は63遺跡、369点出土になります。
文字「得」についてはその半分が千葉県から出土していることになります。
次に「得」が10点以上出土する全国遺跡の表とその分布をまとめてみました。
墨書・刻書土器「得」10点以上出土遺跡 表
墨書・刻書土器「得」10点以上出土遺跡 分布図 全国
1 「得」出土数は、上谷遺跡が全国でダントツのトップであること。
2 房総に「得」が多数出土数する遺跡が集中すること。
3 房総の上谷遺跡と庄作遺跡及び福島県・群馬県・静岡県の遺跡では「得」1文字の出土がほとんどであるのに対して、房総の上谷遺跡・庄作遺跡以外の遺跡では「得」+別1文字=2文字の出土がほとんどであること
考察
以上の事前検討結果を踏まえて、今後「得」について次の諸点について検討することとします。
1 上谷遺跡で墨書文字「得」を共有した集団の生業や特性を明らかにする。
2 上谷遺跡の文字「得」は読み「トク」で意味は「福徳の祈願」という一般的な把握でよいのか、検討する。
3 房総の遺跡相互で「得」を祈願文字に使う場合、全く同じ使い方にならないように遺跡(集落)毎に、別の文字を加えるなどして遺跡(集落)のオリジナル性を浮き彫りにしようとする力学が働いていたという仮説を立てることができるかどうか、検討する
上谷遺跡で「得」が大いに使われていることが知られていたので、福徳の祈願に「得」を使いたい別遺跡(別集落)の集団はそれぞれ「私得」、「得万」、「万得」、「得合・甲得」を意識して使い、上谷遺跡とだぶらないようにしたという仮説です。
上谷遺跡の「得」使用は遠方まで伝わらないので、静岡県、群馬県、福島県の遺跡(集落)では単純で使いやすい「得」がそれぞれ独立して使われたという仮説です。
逆に考えると、上谷遺跡と庄作遺跡は同じ「得」を使っているので、人的つながりの存在を推察できるかもしれないとする仮説です。
なお、「得」に限らず、これまでこのブログでは遺跡毎の代表的墨書土器文字はあまりダブっていないように観察してきています。(白幡前遺跡…生、鳴神山遺跡…大、船尾白幡遺跡…帀(天の則天文字)など)
その観察から、遺跡を代表するような墨書文字は近隣遺跡では重複を避けていたと考えます。
もしそれが事実なら、どの遺跡ではどのような墨書文字が使われているか、相互に情報を交換していたことになります。
墨書文字に関する遺跡間(集落間)コミュニケーションが存在していたことになります。
官人が配置されて、その指導下で行われる各地地域開発において、その一環として墨書土器活動があるのですから、国家あるいは地方行政による墨書土器文字の調整があったのかもしれません。
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