上谷遺跡 金属遺物等出土数
金属遺物等では刀子の数が87点と抜きんでて多く、次いで鉄鏃、鉄不明品、鉄釘、紡錘車などが多くなっています。
刀子は万能道具としての意味と、護身用武器としての意味の2側面から検討する必要があると感じています。
鳴神山遺跡の検討では9世紀中葉以降刀子の出土数が格段に増えたことから、単純な生活道具としての意味ではなく、護身用武器としての意味が増大したことを検討しました。
鉄鏃は対人殺傷武器以外の何物でもありませんから、鉄鏃出土数が多いことは、おそらく9世紀頃の治安状況劣悪化を物語っていると考えます。
紡錘車の素材別内訳は次の通りです。
上谷遺跡 紡錘車
紡錘車、鉄鎌は主に養蚕・生糸生産に使われたと考えます。
穂積具や鉄鍬は水田耕作や雑穀栽培に使われたと考えます。
鉄鎌の方が穂積具より多いことから、養蚕・生糸生産が稲作や雑穀栽培より重要な生業であったと想像します。
鉄器馬具出土に注目します。
上谷遺跡が馬生産の牧であったことを物語っていると考えます。
馬具出土は馬に騎乗していたことを物語りますから、馬は騎馬用であったことを証明します。
鉄鎖や鉄輪掛け金具も馬具関連かもしれません。
銙帯は官人の存在を物語っていて、官人が集落の生業活動を指導していたと考えます。
銙帯の内訳は次の通りです。
上谷遺跡 銙帯
鞴羽口と鉄滓が出土していますから、上谷遺跡で鍛冶が行われていたことがわかります。
上谷遺跡 石製遺物等出土数
石製遺物等では軽石42点、砥石28点が多くなっています。
軽石はウキとして使われたと考えると、石錘、土錘の出土と合わせると、この集落に住民が近くに印旛浦で漁業を行っていたことが判ります。
ガラス製小玉出土に興味が深まります。
ガラス製小玉出土の意義がどのようなものであるのか、今後検討します。
また温石出土にも興味が深まります。
温石出土についてもその意義がどのようなもであるのか、今後検討します。
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