2016年8月8日月曜日

上谷遺跡 墨書文字「西」の事前検討

上谷遺跡の墨書文字で出土の多いものは「得」「西」「竹」「万」などです。

この記事では文字「西」について、その分布や共伴出土する遺物との関係を検討する前の事前予備検討を行います。

1 東西南北の出土数

最初に、参考までに全国墨書土器データベース(平成10年、明治大学)から文字「東」「西」「南」「北」を検索してカウントしてみました。

墨書・刻書文字「東」「西」「南」「北」出土数

千葉県の出土数のパターンは西が最も多く、自分が予想するパターンと一致しました。

西は次の説明にあるように吉祥感覚を呼び覚ます文字であると考えます。

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参考

にし【西】

日本の民俗にとって,〈西〉といえば,もはや遠い距離にある漠たる方角である以上に,自分のうつしみ(現実存在)と平面感覚的に連続する場所と考えられた。

日本人の他界観念の代表といえる▶極楽〘ごくらく〙は西方の浄土であり,そのゆえに〈西〉は浄土信仰にとって重要な方角となったが,この西方極楽浄土は大阪の▶四天王寺のすぐ先の海であると考えられ,また〈補陀落〘ふだらく〙〉は紀州熊野のすぐ先の海であった。滅びた生命もただちに〈更新〉するはずだった。

『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズから引用
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方角を好みで分けるとすれば古代人も西を最も好んでいたと考えます。

なお、全国の墨書土器文字は東が最多になります。

そのデータの内訳をみると、石川県金沢市の上荒屋遺跡から「東庄」という文字が338出土していて、全体の1/3を占めています。

この特異な遺跡を除いて考えれば、全国的にも方位では西という文字が好まれると考えることができます。

2 「西」出土数が多い遺跡

全国墨書土器データベース(平成10年、明治大学)から「西」を含む墨書土器が10点以上出土する遺跡を把握して、その分布図を作成してみました。

墨書・刻書土器「西」10点以上出土遺跡 表

墨書・刻書土器「西」10点以上出土遺跡 分布図

全国的な分布をみると東国に西の出土が集中しています。

恐らく西方浄土などという西の概念と、西に存在する都のイメージが混在して、東国では西が祈願文字として好まれたのだと思います。

千葉県では西が10点以上出土する遺跡は上谷遺跡だけです。

福島県の矢玉遺跡と上吉田遺跡は「得」も多出しましたから上谷遺跡と共通性があり、何らかの関係性があるのかどうか興味が湧きます。

なお長岡京出土の「西宮」は内裏の西宮を意味しているようなので、方位とか方角ではなく宮城における位置を示しているようです。

また、平城宮跡、平城宮の「西」の中にも位置を示すものが多く含まれているような印象を受けます。

3 発掘調査報告書における「西」解釈

発掘調査報告書(第5分冊)では「西」について次のような解釈を行っています。

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上谷遺跡出土の(3)や(5)は「身召代」を含む文字を薄くした上に、新たに濃く「西」と墨書し、住居跡の南隅の壁際から同様の墨書土器と2枚重ねた状態で出土しており、何らかの祭祀の場であった可能性が推測されているが(13)、「西」の文字は疫神の侵入を防ぐための結界を示すものかも知れない。

古代の建物遺構からは東西中南北の方位を記した墨書土器が銭貨などと一緒に出土する例が各地にみられ、地鎮に関わるものと解釈されているが(14)、上谷遺跡では方位を記した墨書土器は「西」に集中し、権現後遺跡では「南」が4点、井戸向遺跡では「中」が出土しているので、集落を越えた広範囲に及ぶ祭儀が営まれた可能性もある。

「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第5分冊-」(2005、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)から引用


参考 長文土器に「西」が上書きされた例

千葉県墨書土器データベース(明治大学)から引用
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発掘調査報告書の「西」解釈は西側から侵入する疫神を阻止するための結界としての意義を推定しているようです。

しかし、文字「西」は西方極楽浄土を連想させるような、人々が好む文字です。

上谷遺跡では文字「西」が書かれた土器が87点も出土しています。

上谷遺跡だけ多数の民衆が特殊的に「西」の疫神を恐れ、多くの墨書土器に「西」を書いて災厄から逃れようとしていたと考えるのは困難です。

長文土器と「西」の重ね書は、別の機能が重なって表現されていると単純に考えた方がよいと思います。

文字がかすれて役割の終わった長文土器を再利用して、新たな祈願文字「西」を書いて土器が再生したのだと思います。

長文土器は個人の延命を祈願していますが、「西」は生業発展を祈願(生業に関わる集団の発展を祈願)しているものと考えます。

「西」が単純な西方に対する一般好感情を表現しているにすぎないのか、もっと具体的な意味が隠されているのか、これからじっくり検討します。

なお、集落を超えた祭儀の可能性は、地図に西、中、南をプロットすると、空間的にどうしても捉えることが出来ないので、検討の出発点に到達できません。

発掘調査報告書では「西」(上谷遺跡)、「南」(権現後遺跡)、「中」(井戸向遺跡)の空間的位置関係を確認していないと想像します。

「西」、「中」、「南」の位置

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