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2026年3月24日火曜日

五領ヶ台式土器2点(八千代市上谷遺跡)観察記録3Dモデル

 Observation Record 3D Model of Two Goryogadai-style Pottery Pieces (Kamiya Site, Yachiyo City)


I enjoyed creating an observation record 3D model of two Goryogadai-style pottery pieces (Kamiya Site, Yachiyo City) that are on display at the Yachiyo City Local History Museum. They were excavated from the same burial pit, and the contrast between the slender, deep bowl and the plump, rounded bowl is striking.


八千代市郷土博物館に展示されている五領ヶ台式土器2点(八千代市上谷遺跡)の観察記録3Dモデルを作成を楽しみました。同じ墓坑から出土したもので、スリムな深鉢とふくよかな鉢の対比が印象的です。

1 五領ヶ台式土器2点(八千代市上谷遺跡)観察記録3Dモデル

五領ヶ台式土器2点(八千代市上谷遺跡)観察記録3Dモデル

撮影場所:八千代市郷土博物館

撮影月日:2026.03.10


展示の様子

3DF Zephyr v8.038で生成 processing 123 images


3Dモデルの動画


3Dモデルの画像(テクスチャ有り)


3Dモデルの画像(テクスチャ無し)


3Dモデルの画像(テクスチャ有りと無しのハードライトミックス)

2 五領ヶ台式土器2点展示風景の視覚変奏動画


五領ヶ台式土器2点展示風景の視覚変奏動画

6フィルター写真のバリエーションをクロスディゾルブを使って連続表示したスライドシーケンス動画です。

Photoshopで作成しました。

3 3Dモデルの切り抜き


切り抜き前の素3Dモデル


切り抜きした今回3Dモデル

4 土器に関する感想


出土状況写真(展示写真)


展示説明

墓坑と推測される土坑から2点の完形鉢が同時に出土しています。2つの土器の形状がスリムとふくよかでペアになっているような印象をうけます。被葬者と関係があるのでしょうか。

根拠はありませんが、どうしても一緒に出土したペアで大小がある次の異形台付土器と重ね合わせてこの土器を捉えてしまいます。


2つの異形台付土器(加曽利B3式期 加曽利貝塚博物館展示)

五領ヶ台式土器2点は、2つの異形台付土器がそうであったように、祭具として作られ、祭場に完形で残された可能性を考えて不自然なところはありません。

5 3Dモデル技術に関する感想

7年前に同じ展示を14枚写真から3DモデルにしてSketchfabに投稿しています。

https://skfb.ly/6KutQ

7年も経てば鈍い自分でも多少は技術進歩があることを確認しました。撮影枚数を100枚以上にして、一筆書きで周回撮影すれば、展示物の見える範囲の3Dモデルはなんとかできることを知りました。ソフト(3DF Zephyr Lite)のバージョンアップによる結像力の強化も進んでいます。


土器のGigaMesh Software Framework展開と文様鑑賞は次の記事で行います。


2019年5月12日日曜日

五領ヶ台式土器 上谷遺跡

縄文土器学習 117

縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では八千代市立郷土博物館に展示されている縄文中期五領ヶ台式土器2点(上谷遺跡出土)を観察します。

1 五領ヶ台式土器展示の様子

八千代市立郷土博物館における五領ヶ台式土器(上谷遺跡出土)展示の様子

2 無文のような印象を受ける深鉢

無文のような印象を受ける深鉢

無文のような印象を受ける深鉢 拡大
細い沈線による渦巻きを含む模様が見られますが、全体では無文に近いような印象を受けます。

3 Y字状模様を強調した鉢

Y字状模様を強調した鉢

Y字状模様を強調した鉢 上半部拡大

Y字状模様を強調した鉢 下半部拡大
Y字状模様は深い沈線で描かれています。
口唇部に4つの小突起があります。小突起の下に土器内外を貫通する小孔があります。また小突起の下にアーチ状の突起があります。(外面の左右に小孔が貫通しています。)

4 出土状況

出土状況写真(展示写真)

出土状況説明(展示)
2つの土器は土坑に埋納されたもので完形で出土したようです。説明では土坑は墓と推測されています。

5 印象(空想)
のっぽで無文に近い土器と幅広で背丈の低い土器が一緒に出土している状況は異形台付土器の出土状況と似ています。

2つの異形台付土器例(加曽利B3式期 加曽利貝塚博物館展示 出土実物)

無文のような印象を受ける深鉢とY字状模様を強調した鉢がそれぞれ男と女を表現している可能性があり、それぞれ実用土器ではなく祭具として作られて、異形台付土器がそうであったように祭場に完形で残されたという可能性も一考の価値ありと考えます。

3Dモデル、較正年代、千葉県域分布等は次の記事で記述します。

……………………………………………………………………

学習チェックリスト


2017年2月11日土曜日

上谷遺跡関係全記事のpdf作成

自分自身の作業用にブログ花見川流域を歩くに掲載した上谷遺跡関連記事の集成版pdfを作成しましたので、参考までに公開します。

記事数は89です。

目次から記事に跳べます。

上谷遺跡関連記事集成 pdf(13M)

上谷遺跡関連記事集成の画面

上谷遺跡関連記事集成の画面
自分の4画面環境で利用する時の画面(サムネイルで読むときの画面)

2016年12月22日木曜日

上谷遺跡学習の格上げ

1 上谷遺跡学習の格上げ

2015年1月に花見川-平戸川筋古代遺跡の発掘調査報告書の悉皆閲覧活動を開始して、2016年7月末に上谷遺跡にたどり着き学習を開始しました。

2015.01.18記事「遺跡文献の悉皆閲覧計画」参照
2016.07.29記事「千葉県八千代市上谷遺跡の学習検討方針」参照

当初、8月中には上谷遺跡の学習を終了して次の遺跡に歩を進めようともくろんでいました、8月も終わると9月一杯で学習を終了しようと想定しました。さらに10月、11月、12月と月日が進みましたが、上谷遺跡に関する学習上の興味は尽きません。

興味が尽きないというよりも、ますます興味対象が広がり、深まっています。

2016.11.18記事「上谷遺跡学習のふりかえり」で学習をふりかえりました。

しかし、その後出土物閲覧などを通じて、上谷遺跡学習の取り組みが、単なる遺跡報告書悉皆閲覧の一環の枠をはるかに超えてしまっていることに気が付きました。

そこで学習を報告書をざっと閲覧して遺跡の概要を知るという活動から思い切って、古代史学習のための専門知識吸収中長期期的プロジェクトに格上げすることにしました。

これまで短期的に、一気呵成に学習することを目指していたのですが、もう少しじっくりモデル的に学習することにします。

発掘調査報告書収録データについても、自分が以前から興味を抱いている技術的分析を適用したいと考えます。

古代史学習のための専門知識吸収プロジェクトに格上げするために、専門機関や専門家のアドバイス等を受けられるように模索したいと考えています。

これまで素人の趣味活動であるからという理由で、大ざっぱで根拠薄弱な思考であってもあまり気にしないで記事を書いてきました。

しかし、分析を深めるに従って趣味活動であるといってもある程度の専門性の裏打ちという基礎(土台)がないと大きな建造物(学習成果)は出来ないことに気が付きだしたという次第です。

上谷遺跡学習を趣味中長期的プロジェクトとして、じっくりとかつ多少の専門性を獲得する方向で取り組むこととします。

上谷遺跡学習活動の新方針は追ってまとめることにします。

なお、趣味活動全体では上谷遺跡学習以外に縄文時代遺跡学習、遺跡・地名GISデータベースを活用した考古歴史学習なども中長期期的ブロジェクトとして同時並行的に取り組みたいと考えています。

2 上谷遺跡学習の興味

2016.11.18記事「上谷遺跡学習のふりかえり」では次のような検討課題を列挙しました。

上谷遺跡 ブログ記事のテーマと検討課題(2016.11.18)

これらの個別課題に加え、次のような活動に強い興味をもっていて、当面実施したいと考えています。

●竪穴住居、掘立柱建物等の大きさ・形状・特徴等の分類・空間分析を行うことでどのような有用情報が得られるか?

●竪穴住居覆土層の詳細層位区分から竪穴住居を分類できるか?詳細層位区分からどのような有用情報を引き出すことができるか?

●発掘調査報告書のデータから竪穴住居の年代推定が可能か?可能ならどの程度の精度で可能か?可能なら年代推定を実施する。

●竪穴住居覆土層中遺物(廃絶後持ち込まれた遺物)と床面出土遺物(竪穴住居に由来する遺物)を区分して、その情報からどのような有用情報が得られるか。

●遺構・遺物・墨書土器等の多様な指標を総合分析(多変量解析等)することで、
1 生業の種類や生業に関する空間ゾーンが明瞭化するか?
2 遺構空間が祭祀の場となった事実やその背景にある心理が明瞭化するか?








2016年12月19日月曜日

上谷遺跡 土坑出土燈明皿と摩滅土器

1 燈明皿と摩滅土器の閲覧

上谷遺跡 D268土坑出土転用燈明皿と摩滅土器を八千代市教育委員会で閲覧しました。

摩滅土器は「破換面」が摩滅しているという記述であり、燈明皿ではないかと想定してきました。

今回燈明皿と摩滅土器現物を閲覧して、このような想定が合理的であることを確認できました。

摩滅土器の全てが転用燈明皿状の形状であり、中には縁にススと思われる黒色が付いているものもあるからです。

以下閲覧した資料の写真を掲載します。

燈明皿 №01

燈明皿 №01

底から縁に向かって放射状の溝が4本掘ってあります。

火を燃やす芯(穂)をこの溝に這わして、底の油を吸いやすくするための工夫であると推察します。

燈明皿 №04

燈明皿 №07

摩滅土器 №08

割れた面が確かに摩滅していて、この形状で使い込まれたことを示しています。

形状は燈明皿そのものです。

摩滅土器 №09

摩滅土器 №19

縁にススによってついたと考えられる黒色が残っています。

2 燈明皿多出の意味

D268土坑出土遺物は次の通りであり、覆土上層の燈明皿、摩滅土器が集中しています。

D268土坑出土遺物

参考 上谷遺跡 D268土坑の位置

この状況を次のように解釈します。

D268土坑は台地縁南向き斜面に作られた冬季の寒冷から収穫農作物を守って保存する貯蔵庫であると考えます。


この貯蔵庫はその規模の大きさから大きな集団が利用していたものと考えます。

集団が例えば秋に里芋を収穫し、この土坑の縁で収穫祭をして、里芋をカヤ束を敷いた土坑に収納し、冬季の飢えに備えたと空想しても、その空想は十分合理的であると考えます。

さらに、土坑の縁でおこなわれる収穫祭が夜間に燈明皿の明りのもとでおこなわれたと考えても合理性を欠くことにはなりません。

そのように使われていたD268土坑が埋まってきて、最後に廃絶するとき、つまり最後の収穫祭で燈明皿を土坑に奉納して、投げ込んだのではないかと想像します。

あるいは、土坑機能廃絶後、その場所が燈明皿を奉納して(投げ込んで)豊作を祈願する場所になったのかもしれません。

D268土坑は実用的には冬季の寒冷から収穫物を守る貯蔵庫であり、同時に心理面では、その空間に対して人々が特別の感情を持っていたと考えます。

冬季の飢えを予防するという切実さと結びついて、聖域視のような感情を持ってD268土坑空間をみていたのではないかと考えます。

現代人は祈願場所とする神社や寺院の敷地空間を聖域視します。

同じように、古代上谷遺跡住人は集団の飢え防止したいという願いを実現する施設としての収穫物貯蔵庫を聖域視していたと想像します。


2016年12月18日日曜日

上谷遺跡 土坑底面に敷き詰められていたカヤ束画像確認

八千代市教育委員会において上谷遺跡D268土坑の発掘写真ポジを閲覧させていただき、この土坑出土カヤが常緑高木のカヤではなく、草のカヤ束であることを改めて最終確認しましたので記録しておきます。

2016.10.26記事「上谷遺跡 土坑底から壁にへばりついていたのは草のカヤ」参照

カヤ出土画像が度坑底面であることを画像で確認できました。

またカヤ材が底面全面を覆うように配置されている様子を推察できました。

上谷遺跡 D268土坑底面にカヤ束が敷き詰められていた様子

カヤ束出土画像

カヤ束出土画像 拡大

底にカヤ材が敷き詰められているこの土坑の役割は収穫物、例えば里芋、の冬季における貯蔵庫であった可能性が濃厚であると考えます。

現代でも里芋は穴を掘ってカヤ材を敷きつめて冬季貯蔵する方法が行われています。

ちなみに、WEBで調べると現代における里芋生産量全国一は千葉県であり、里芋にこだわりたくなります。

次の記事で、この土坑から出土した燈明皿、摩滅土器の閲覧について記録します。


2016年12月17日土曜日

上谷遺跡 漆筆しごき跡土器3点閲覧

上谷遺跡の出土物等閲覧の中に付着物土器3点が入っていますので、閲覧を記録します。

1 閲覧した付着物土器

A144竪穴住居出土付着物土器

A145竪穴住居出土付着物土器

A157竪穴住居出土付着物土器

閲覧した付着物土器が出土した竪穴住居の位置

閲覧した3点の付着物土器はいずれも土器縁の一部に付着物が付いています。

発掘調査報告書の記載はタール状付着物あるいはタールとなっています。

この近くに漆風呂(*)と想定される特異な円形形状の掘立柱建物があり、一帯が漆業務ゾーンであったことを既に検討しています。

漆風呂…漆を塗った製品を湿度の高い状態で乾かす施設。

2016.10.03記事「上谷遺跡 漆風呂(漆乾燥施設)としての掘立柱建物の可能性」参照

2 付着物土器の筆跡

A157竪穴住居出土付着物土器(遺物番号3)について子細に観察して次にまとめました。

A157竪穴住居出土付着物土器(遺物番号3)観察結果

液体の付いた大筆(あるいは刷毛)と小筆を土器縁両側を利用してしごいた跡を観察することができます。

この様子から、漆液体を製品に塗っている最中に大筆(あるいは刷毛)及び小筆の漆液付着状況を調整するために、この土器縁で筆をしごいたと想定できます。

付着物土器の現物を閲覧して、それが漆工芸の現場で使われていた道具であったことを確認できました。

A144竪穴住居、A145竪穴住居出土付着物土器も同じであり、漆塗り用筆のしごき跡であると観察しました。

(A145竪穴住居出土付着物土器は出土後付着物を削っている様子が観察できますから、その成分の分析が行われているのかもしれません。)



2016年12月16日金曜日

上谷遺跡 出土物等閲覧 墨書文字「囚」(?)について

上谷遺跡の学習で気になった出土遺物等について八千代市教育委員会に閲覧を申し込み、実現しました。

1 閲覧した上谷遺跡出土遺物等

次の3点について学習過程で気になり、関係出土遺物等の閲覧を申し込み、閲覧が実現しました。

・墨書文字「囚」土器
・付着物土器
・D268土坑出土土器等

次に閲覧した土器等を示します。

上谷遺跡 出土物閲覧(八千代市教育委員会所蔵)

発掘調査報告書の分析学習だけでは知りたい最後のポイントが判らないことが多くなりますが、今回出物現物を手に取って観察できましたので、多くの学習上の収穫がありました。

出土遺物の閲覧の機会をつくっていただいた八千代市教育委員会の感謝申し上げます。

この記事では墨書文字「囚」(?)土器について、土器閲覧結果にもとづいて検討します。

付着物土器、D268土坑出土土器等については次以降の記事で検討します。

2 墨書文字「囚」(?)土器について

千葉県墨書土器データベース(明治大学)では上谷遺跡からヘラ書文字「囚」土器が報告されています。

釈文囚の墨書土器

発掘調査報告書でそのようになっているので、データベースでそのようになるのは当然であると考えました。

囚は俘囚の囚であり、大いに気になる文字です。

しかし、発掘調査報告書のスケッチをみると囚ではなく、人のように見えます。

その後検討し、発掘調査報告書では「人かどうかわからないので、その疑義があるということを記号□で表し、□+人として表現している」、つまり囚に似た記号であると解釈しました。

2016.10.08記事「墨書文字釈文の不確かさの表記方法」参照

実際はどうなのか、今回土器現物を手に取って観察できました。

釈文「囚」土器

釈文「囚」土器

先ず□が存在しないことが確認できました。

ですから囚ではなことが100%確認できました。

次に人であるかどうか観察すると、2つの線分はほぼ完全なる直線であって、曲線的要素は皆無であることが判りました。

もしこのヘラ書をした土器職人が頭の中で漢字「人」を思い浮かべ、それを表記しようとしたのなら、完全な直線を2本組み合わせたことと結びつきにくいと思います。

漢字「人」を描こうとするのなら完全なる直線ではなく、曲線的要素が入り込むに違いないと考えます。

このヘラ書はT字形あるいは×の崩れのように感じます。

土器底面裏に×がヘラ書されたものは沢山ありますから、それに類似した記号であり、漢字「人」ではないと考えました。

土器現物を見て、囚あるいは人ではないことを確信をもって直観できました。


2016年12月13日火曜日

上谷遺跡 覆土層タイプと焼却跡のクロス集計

上谷遺跡竪穴住居について覆土層タイプと焼却跡について把握してきましたので、そのクロス集計を行ってみました。

結果は次の通りです。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ別焼土・炭化材観察状況

この結果を%で示すと次のようになります。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層別焼土・炭化材観察の割合

これらのグラフから、あくまでも統計的な意味ですが、次のことが把握できます。

●自然堆積タイプ、自然堆積後人為堆積タイプの竪穴住居には焼土・炭化材が観察されるものが少ない。

自然堆積タイプとは「穴」として放置され、自然の成り行きで埋まっていった竪穴住居のことです。

そして、自然堆積タイプの数が竪穴住居のなかでは最も多くなっています。

この結果から、大半の竪穴住居は廃絶後木材の焼却行為はなく、「穴」のまま放置されたということがいえそうです。

●人為堆積タイプ、人為堆積後自然堆積タイプには焼土・炭化材が観察されるものが多い。

人為堆積タイプとは廃絶直後に「穴」を埋め立てたものです。

このタイプでは覆土層中から焼土や炭化材がしばしば観察されるということです。

竪穴住居廃絶後の「穴」を埋めるという積極的土木行為と、木材を焼却するという象徴的行為(おそらく祭祀)が結びついているということがよみ取れます。

人為堆積後自然堆積タイプとは「穴」を全て埋めつくすのではなく、半分程度埋め、その後は自然堆積に任せるタイプです。

このタイプでは床上に焼土や炭化材が観察されるものが多くなっています。

このタイプも竪穴住居廃絶後の「穴」を埋めるという積極的土木行為と、木材を焼却するという象徴的行為(おそらく祭祀)が結びついています。

覆土層タイプと焼却跡有無との間には統計的な相関があることがわかりました。

次以降の記事では竪穴住居を次のように類型区分して、それぞれの特性(遺物出土状況等)について検討をすすめたいと考えています。

竪穴住居の類型区分案
●自然堆積タイプ-焼却無し
●自然堆積タイプ-焼却有り
●人為堆積タイプ-焼却無し
●人為堆積タイプ-焼却有り
●人為堆積後自然堆積-焼却無し
●人為堆積後自然堆積-焼却有り
●自然堆積後人為堆積-焼却無し
●自然堆積後人為堆積-焼却有り
●覆土層記述欠

2016年12月12日月曜日

上谷遺跡 焼却跡の分布

上谷遺跡の発掘調査報告書では竪穴住居の覆土層記述に焼土や炭化木材の観察が含まれています。

この記述を基に床面直上における「不用材の焼却」とされる竪穴住居と、覆土層途中における焼却跡のある竪穴住居の2種を抽出し、その分布図を作成しました。

上谷遺跡 竪穴住居 床面における木材焼却跡の分布

この分布図から確実性のある情報を直接引き出すことは困難ですが、次のような感想をもちました。

感想 1

床面木材焼却跡は、「不用材の焼却」などではなく、竪穴住居廃絶時における家屋一部を利用して燃やす祭祀と考えます。

従って、床面木材焼却跡は廃絶家屋住人(故人、家族)が丁寧に扱われたのであり、社会階層が上位にあったと考えます。

床面木材焼却跡のある竪穴住居は、掘立柱建物密集域付近でその分布が粗であり、掘立柱建物密集域から離れた場所で密です。

掘立柱建物は養蚕小屋などであり、その密集域は仕事場ゾーンであったと考えます。

一方、掘立柱建物密集域から離れた場所はいわば住宅ゾーンであったと考えます。

仕事場ゾーンと住宅ゾーンにおける竪穴住居タイプの構成が違うと考えれば、上記床面木材焼却跡の粗密が説明できるかもしれません。

例えば、仕事場ゾーンには最上位クラスの少数の住人が住んでいて、住宅ゾーンには上位クラスの多数が住んでいるなど。

この感想がどの程度的確性があるかわかりませんが、床面木材焼却跡の情報からこれまで知られていない集落生活の様子を知ることができる可能性があります。

「不用材の焼却」で一件落着させるわけにはいきません。

感想 2

台地崖付近の竪穴住居はこれまでの検討で漆小屋など生業に直接かかわる施設であったと考えてきています。

その竪穴住居が完全なる仕事場であったのか、家族も住む住宅兼用であったのかはわかりません。

そのような仕事場機能を持つ竪穴住居には床面木材焼却跡はみられないようです。

床面木材焼却跡のある竪穴住居は、住宅機能が優越し、かつ社会階層上位の家族が住んでいて、そこが廃絶したことを示しているように感じます。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土途中における木材焼却の分布

覆土途中に木材焼却の跡がある竪穴住居は、廃絶後覆土層自然堆積があるという時間が存在し、その後焼却があったものです。

自然堆積層を掘って焼却したものもあります。

感想としては、床面における木材焼却と同じ意味(祭祀として物を燃やす)があると考えますが、なぜ廃絶直後に焼却がないのか気にかかります。

今後検討を深めたいと思います。

2016年12月10日土曜日

上谷遺跡 覆土層タイプの分布

2016.12.09記事「上谷遺跡 竪穴住居覆土層タイプの分類」で竪穴住居の覆土層タイプを分類しました。

覆土層タイプを軸に遺物、墨書土器、遺構の諸情報を分析すれば集落の特性が浮き彫りにできるのではないかと思案しています。

その第1歩として、各覆土層タイプの分布を把握してみました。

分布だけから結論的な情報が得られるわけではありませんが、まず分布を知ることが、今後の分析方法を決めていく上で重要であると考えます。

まず覆土層タイプの分布を考える土台としての情報として竪穴住居と掘立柱建物の分布を示します。

上谷遺跡 竪穴住居と掘立柱建物の分布

この分布図の上に自然堆積タイプをプロットしてみました。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ 自然堆積の分布

覆土層タイプの中では、自然堆積タイプの数が最も多く、基本となるタイプです。

現時点の見立てでは竪穴住居廃絶後祭祀がある時間(数十年?)行われた可能性が高い遺構です。

この分布概況を見ると、大局的に北端部で数が少なく、南西部で数が多くなる傾向を感じます。

竪穴住居全部を母数とした密度も同じように北端部で小さく、南西部で大きくのっているように感じます。

遺跡区域の中において、廃絶後祭祀が行われた(つまり故人に敬意を払った)竪穴住居跡が多い場所と少ない場所では、居住している家族の社会階層が違ってくる可能性があります。

このような思考がどの程度的確であるか、まだ判断できませんが、覆土層タイプの違いから、有益な情報を得られそうな予想をもつことは出来ます。

人為堆積タイプをプロットすると次のようになります。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ 人為堆積の分布

上に書いたように、現時点では人為堆積タイプ竪穴住居に、廃絶前に居住していた家族は集落の中での社会階層がワンランク低かったと想定しています。

この分布図と他の情報を重ね合わせて分析すると、有益な情報が得られると直観します。

自然堆積後人為堆積タイプと人為堆積後自然堆積タイプの分布を次に示します。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ 自然堆積後人為堆積の分布

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ 人為堆積後自然堆積の分布

それぞれ事情があって単純な自然堆積あるいは人為堆積にならなかったのだと思います。

なぜこのようなタイプが生まれるのか、検討を深めたいと思います。

同時に、分析を進める中で、覆土層4タイプ区分自体の的確性や、個別竪穴住居の区分当否についても検討することになるかもしれません。