2017年3月17日金曜日

陥し穴は罠猟か追い込み猟か

2017.03.13記事「大膳野南貝塚 陥し穴猟は待伏猟か追込猟か」で大膳野南貝塚の縄文時代早期後半頃と考えられる陥し穴が追込み猟で使われてきたという推測を書きました。

一方入手した良書佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)では「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という設問を立て、罠猟と追い込み猟の違いを説明して、縄文時代の陥し穴は全て罠猟でつかわれたと結論付けています。

自分の想定と真っ向から異なる専門家所見に宗旨替えすべきかどうか、検討してみました。

1 陥し穴の罠施設としての認識

陥し穴は動物をだまして穴に落とす施設であることが基本であると考えます。

追ってきた動物を誘導柵等で陥し穴に落とすということを考えると、陥し穴をカムフラージュしていても、跳ねて逃げている動物が陥し穴を飛び越してしまう確率があります。

つまり追ってきた動物を確実に捉える施設としては大きな弱点があります。

一方、罠施設としてカムフラージュした陥し穴を利用すれば動物を捕捉できる確率が高まります。

図書でいうように縄文時代の陥し穴は、それに誘導柵を併設して罠施設として利用したと考えることに納得します。

これまでの考え…陥し穴の追込み猟利用…から図書の考え…陥し穴の罠猟利用…に宗旨替えすることにします。

2 民族誌情報の尊重

民族誌情報で陥し穴を利用した追込み猟で陥し穴を利用した例がほとんど無いという情報を尊重することにします。

陥し穴に誘導柵を併設して構える世界の罠猟について学習を深めることにします。

ノルウェーの誘導石垣を伴う陥し穴猟(シカ猟)

この図書のルーデワ猟の記述に着目します。
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さらに興味深い例としては、極東地域の探検家として著名なアルセーニエフによって報告された、シホテ=アリニ山地で20世紀初頭(1906年)に行われていたルーデワ猟である。
ルーデワは、長大な誘導柵と罠として陥し穴を組み合わせた罠猟で、長いものでは24キロメートルの間に74の陥し穴が設置されていたと報告されている。
さらに重要な点は、筆者等によって1995~6年に調査されたジャコウジカのフカ猟と全く同じと思われる誘導柵猟をもアルセーニエフがルーデワと呼んでいる点である。
ルーデワとは、長大な誘導柵を伴う罠猟を指したらしく、使われた罠が括り罠か陥し穴かは関係ないと認識されていたのであろう。
実はこのルーデワの陥し穴は、筆者等の聞き取り調査によれば、土地の人間によって新しい時期に中国方面から導入された新式の罠である可能性が高いと思われる。
筆者等の調査によれば、もともとこの地域には陥し穴の存在は伝承されておらず、新しくもたらされた陥し穴というのは長軸2メートル程度の方形で坑底面に何本もの槍を突き刺したものであったり、または土坑上面に×字状の切れ目をいれた板で覆ったものであったらしい。
以上のことからわかるのは、誘導柵と罠を組み合わせた罠猟では、罠の部分は効率性等によってかなりたやすく変換可能な構造的特徴を有することである。
誘導柵と罠の組み合わせた使用が肝要なのであって、罠の種類に拘泥することが問題なのではない。
従ってこうした狩猟の技術構造研究では、システムの内実の把握と変換可能な要素の識別が重要となる。
そしてこの罠猟の技術構造のうち仕掛け弓やくくり罠等を陥し穴に置換すれば、縄紋時代の陥し穴猟の技術構造を解釈するモデルとなりうるのではないかというのが筆者の仮説である。
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
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この図書によれば、次のカリブーの誘導柵を伴う罠猟の罠をくくり罠から陥し穴に置換すれば、縄文時代の陥し穴猟を解釈できることになります。

カリブーの誘導柵を伴う罠猟
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用

3 大膳野南貝塚の陥し穴の再解釈

これまで大膳野南貝塚の陥し穴は追い込み猟として利用されていたとイメージしてきましたが、罠猟であるとイメージしなおして、主な過去記事について順次検討し直して新たな記事とします。(煩雑になるので、過去記事そのものの訂正は行いません。)

4 千葉市内野第1遺跡陥し穴列の再解釈
ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」等で検討した縄文時代陥し穴列についても、追い込み猟解釈から罠猟解釈に解釈変更して記事を書きなおします。(煩雑になるので、過去記事そのものの訂正は行いません。)

参考 ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」掲載図版

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自分としてはかなり大きな宗旨替えとなりました。
以前鳴神山遺跡(奈良平安時代遺跡)の直線道路について、その解釈について宗旨替えしましたが、今回はそれ以上の解釈変更です。
2015.12.25記事「鳴神山遺跡道路遺構に対する疑問 4」参照


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