大膳野南貝塚の炉穴学習で、炉穴が狩場に直接設けられたキャンプ施設であるという印象を持ちました。
狩のあと動物を仕留めたその場所で、あるいは狩期間中において動物から見えにくい場所という違いはありますが、大きくみると、動物を仕留めるゾーン内に炉穴が設置されたと想定しました。
旧石器時代と同じような狩が炉穴設置時代には行われていたと考えます。
このように想定すると、炉穴分布が炉穴設置時代の狩場を示すことになります。
炉穴分布が狩場想定の重要な指標になります。
ふさの国文化財ナビゲーション(千葉県教育委員会)からダウンロードしたデータを炉穴で検索すると320以上の遺跡でヒットします。
この炉穴が発見された遺跡分布図を作成して、縄文時代早期の狩の様子を想定してみました。
手持ち資料では炉穴の時代区分は次のようになります。
炉穴の時代区分
このブログでは、炉穴設置は縄文時代早期特有の事象であると、とりあえず割り切って思考を進めます。
千葉県の炉穴分布図を作成すると次のようになります。
炉穴分布図
縄文時代早期の人の活動領域がこの分布図でわかることになります。
分布図をよく見ると、炉穴が密集している場所が存在します。
その場所が縄文時代早期の狩場であったと考えます。
次の図は拡大して、大膳野南貝塚付近の炉穴分布をみたものです。
大膳野南貝塚付近の炉穴分布と狩様子の想定
大膳野南貝塚付近は千葉県でも有数の炉穴密集地帯です。
また土気付近とその北(大網白里市の西端付近)にも炉穴密集地帯があります。
これらの炉穴密集地帯は縄文時代早期の千葉県における有数の狩場であったと考えます。
狩の対象となる動物は下総台地中央部に広く生活していて、狩の時にそれらの動物を集めて追い立て、狩施設に追い込み、効率的な狩を行っていたと想定します。
狩場(狩施設)は動物を追い詰めやすい特有の地形があり、同時に陥穴を設置していました。
この時代は縄文海進がピークに達した時代であり、海面が台地谷津に最も深く入り込んだ時代ですが、炉穴分布は海とはあまり関係しないで、もっぱら動物の狩との関わりで存在していると考えます。
なお、大膳野南貝塚炉穴出土土器の1つが貝殻で模様をつけているので、炉穴を設置利用した縄文人が貝を食していたことは間違いありません。
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