2017年3月20日月曜日

縄文時代狩猟モデル(仮説)

縄文時代狩猟構成要素が追い込み猟と罠猟であることを理解しました。
2017.03.19記事「縄文時代狩猟構成要素としての追い込み猟と罠猟」参照

この理解に基づいて縄文時代狩猟モデル(仮説)を作成してみました。
狩猟モデル(仮説)を作成することにより大膳野南貝塚の遺構の理解を促進できると考えます。
遺構の理解や解釈とモデルが著しく齟齬をきたすようならば、モデル(仮説)は変更修正します。
モデル(仮説)はあくまでも発掘調査報告書の理解促進のための道具として利用します。
モデル(仮説)は旧石器時代の検討をベースに作成しました。

1 大膳野南貝塚における旧石器時代狩猟イメージ

大膳野南貝塚付近に旧石器時代遺跡分布は次の通りです。

大膳野南貝塚付近の旧石器時代遺跡分布
2017.01.16記事「大膳野南貝塚 旧石器時代ブロック出土の意義」参照

この遺跡分布と近隣草刈遺跡の旧石器時代検討から次のような旧石器時代狩猟イメージを導きました。

旧石器時代狩場の地形イメージ(仮説)
2017.01.16記事「大膳野南貝塚 旧石器時代ブロック出土の意義」参照

より具体的には次のように狩をイメージしました。

大膳野南貝塚付近の後期旧石器時代の狩の様子(想定)
2017.01.19記事「大膳野南貝塚 旧石器時代狩の様子」参照

後期旧石器時代ブロックと対応する狩場(想定)
2017.01.20記事「大膳野南貝塚 旧石器時代ブロックと狩場の対応」参照

2 縄文時代狩猟モデル(仮説)

旧石器時代の狩猟モデルは、上記の通り台地末端の狭窄谷地形を利用した追い込み猟であると考えました。
縄文時代の狩猟モデルは、旧石器時代から引き続き行われた追い込み猟に加えて、陥し穴罠猟が追加されたと考えます。

追い込み猟と陥し穴罠猟は集団猟(主要な猟)と個人猟(落ち穂拾い的罠猟)として連携していたと考えます。
また、動物の季節移動主要ルート上に列状陥し穴を設置した罠猟も千葉市内野第一遺跡の例のように存在していたと考えました。

縄文時代狩猟モデル(仮説)

この仮説の有効性が担保されるためには、誘導柵設置遺構と動物捕獲遺構の発見が必要です。

誘導柵設置遺構は発掘者がその遺構の存在を意識すれば発見できる可能性があると考えます。
2017.03.15記事「大膳野南貝塚 発掘面の黒斑点列は陥し穴誘導柵か」参照

動物捕獲遺構は谷底に位置するので、流水によって破壊されるので発見が困難ですが、そのような遺構があるかもしれないという発掘担当者の意識があれば、いつか発見されるに違いないと想像します。




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