2022年4月14日木曜日

北白川C式系土器(No.48、No.54)(千葉市餅ヶ崎遺跡) 観察記録3Dモデル

 Kitashirakawa C type pottery  (Mochigasaki site,Chiba City) Observation record 3D model


Kasori Shellmound Museum Reiwa 3rd year special exhibition "That is also E Kasori E type pottery Chiba City 2 -Kasori EIV type pottery and its descendants-" Kitashirakawa C type pottery  (Mochigasaki site,Chiba City) was observed with a 3D model. 

I was interested in the meaning of the pottery pieces from the Kinki region brought to the Kanto region, and fantasized about the possibility that they were communication tools.


加曽利貝塚博物館令和3年度企画展「あれもE これもE 加曽利E式土器 千葉市編2 -加曽利EⅣ式土器とその末裔たち-」に展示された北白川C式系土器(No.48、No.54)(千葉市餅ヶ崎遺跡)を3Dモデルで観察しました。

1 北白川C式系土器(No.48、No.54)(千葉市餅ヶ崎遺跡) 観察記録3Dモデル Kitashirakawa C type pottery

北白川C式系土器(No.48、No.54)(千葉市餅ヶ崎遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文中期末~後期初頭

撮影場所:加曽利貝塚博物館令和3年度企画展「あれもE これもE 加曽利E式土器 千葉市編2 -加曽利EⅣ式土器とその末裔たち-」

撮影月日:2022.03.02


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.502 processing 88 images

Kitashirakawa C type pottery  (Mochigasaki site,Chiba City) Observation record 3D model

From the end of the middle stage to the beginning of the late stage of the Jomon period

Location: Kasori Shellmound Museum Reiwa 3rd year exhibition "That is also E Kasori E type pottery Chiba city edition 2 -Kasori E IV type pottery and its descendants-"

Shooting date: 2022.03.02

Shooting through a glass showcase

Generated with 3D model photogrammetry software 3DF Zephyr v6.505 processing 88 images


3Dモデルの動画

2 3Dモデルの画像


3Dモデルの画像

Photoshopを使って土器表面の凹凸や文様を見やすくした画像です。


赤色立体画像(上から)


赤色立体画像(斜めから)

赤色立体原理(千葉達朗先生発明)により3Dモデルから作成した赤色立体画像です。土器表面の様子を地形のように判りやすく把握することができます。

3 メモ

3-1 展示説明について


展示説明

展示説明では日本地図に倉敷市中津貝塚、京都市北白川追分町遺跡、千葉市餅ヶ崎遺跡に印を付けてその関連性を示した上で、次の説明をしています。

「北白川C式土器とは?

京都市北白川追分町遺跡から出土した土器の特徴を研究した結果、加曽利E式後半期と同時期に流行したスタイルの土器であることがわかったことで、出土した遺跡の名前を冠して命名された土器です。

縄文時代中期末頃の近畿地方を中心とする地域に広く分布する土器群で、西日本の縄文時代を通じてもっとも器面装飾が豊かになり、文様意匠や器形の種類が豊富なことで知られています。

基本的な特徴が東日本からの強い影響を受けてできあがったと考えられており、餅ヶ崎遺跡で出土した例は、逆輸入的な資料なのかもしれません。」

「中津貝塚出土土器の研究から「中津式土器」が設定。中津式土器は、関東の称名寺式土器の成立に強く影響しているようです。」

この説明を読むと、中期末頃の近畿地方の土器(北白川C式土器、中津式土器)が後期初頭に関東にもたらされ、称名寺式土器に影響を与えたということを理解します。その間の社会の大変動がどのようなものであったのか、今後の重要な学習課題です。

3-2 展示土器について

北白川C式土器の展示はいずれも小片です。復元土器の展示はありません。土器器形を復元できるような資料が出土していないようです。このような事情から、次の空想をメモします。

●空想

「称名寺式期頃列島社会に大変動があり、近畿地方と関東地方の交流が盛んであった。近畿地方から関東地方にやってくる人々は、近畿地方特有土器(北白川C式土器)の破片を所持して、その破片をパスポートとか通行手形のようにつかって、行く先々で地元縄文人とのコミュニケーションを深めるとともに、近畿縄文人の互助的ネットワークを形成した。」No.54土器には大きな丸い孔が2つ開いていますが、もしかしたらこの孔は補修用孔跡ではなく、この土器片を身に着装するための孔だったかもしれません。

この空想は2021年度山梨県考古学協会研究集会「曽利式土器とその周辺」での戸田哲也先生コメント(土器片がパスポート的に利用された痕跡がある)のアナロジー(というか受け売り)によるものです。

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参考

北白川C式系土器(17点)(千葉市餅ヶ崎遺跡) 観察記録3Dモデル Kitashirakawa C type pottery


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