2022年4月4日月曜日

NHKEテレ「今こそ縄文に学べ!持続可能な社会を作るには」視聴感想

 NHK E-Tele "Learn from Jomon now! How to create a sustainable society" Viewing impressions


2022.04.03 I watched the rebroadcast TV program "Learn from Jomon now! How to create a sustainable society" and wrote down my impressions. The Jomon period was very helpful for my learning. There was a difficult point in terms of wisdom to create a sustainable society.


NHKEテレ「今こそ縄文に学べ!持続可能な社会を作るには」2022.04.03再放送の視聴感想をメモしました。

1 番組の要旨

番組は次の2つのテーマで構成されていました。


縄文人の知恵その1 大きな「円」を意識せよ!


縄文人の知恵その2 死は“終わり”ではない

1-1 縄文人の知恵その1 大きな「円」を意識せよ!

縄文人の四季の産物を利用する生活が紹介されました。また、縄文人のハマグリ採集、クリ栽培、ブタ飼育などの研究事例を紹介して、長期的視点(クリ栽培の場合は20年以上)から計画的に資源管理していた様子を紹介しました。こうした事例から縄文人は資源を管理することによって資源を循環させ、持続可能な社会を維持していたと説明しました。

1-2 縄文人の知恵その2 死は“終わり”ではない

縄文の屈葬は「再生を願い、胎児の体勢をとらせた」と仮説されていることが紹介され、縄文人は動植物が四季とともに循環しているように、死を現世から来世に移行する通過儀礼と考えていたという考えが説明されました。

また、村の中央部に墓がつくられ、村空間に人々と先祖が一緒に住んでいることなどが紹介されました。このことから、輪廻のような考えがあり、死が終わりではなかったという説明がありました。

さらに貝塚に人が埋葬されている事例が紹介されました。この事例から、縄文人にはアイヌと同じように「モノ送り」の考えがあったと説明がありました。用済みにして終わりではなく、「ありがとう、あの世に行って生きてください」、お眠りくださいと貝やイヌや人が共通にあの世に送られたと説明されました。

これらの諸事例から、縄文人は死を忌むべきものと捉えず、身近なものと捉えていたと説明がありました。

最後に「彼らの死は終わりではないとする精神性こそが次の時代を思う気持ちになり持続可能な社会をつくり上げることにつながったのかもしれません。」、「死は終わりではないという観念が持続可能な社会につながった。」とまとめられました。

2 感想

現代社会の課題である「持続可能な社会をつくる」ために縄文社会から学べる知恵があるのではないかという趣旨の番組でした。

2-1 縄文人の知恵その1 大きな「円」を意識せよ!

前半の「縄文人の知恵その1 大きな「円」を意識せよ!」は良く理解できました。

狩猟採集社会である縄文時代でも長期的視点から計画的に資源管理して資源循環を確保することによって社会の持続性を担保していたという事実は大変興味深いものです。技術のレベルや人口密度が全く異なる縄文社会でも、生活の向上や安定のために資源管理していたという事実は、現代社会における資源管理重要性とその適切な実行を警告的に知らせているように感じます。

2-2 縄文人の知恵その2 死は“終わり”ではない

後半の「縄文人の知恵その2 死は“終わり”ではない」はその論理(原理)を理解するのに時間を有しました。

縄文人の死生感は理解できました。屈葬の意味と死が通過儀礼であること、環状集落中央に墓があり人と先祖が共生していること、貝塚が送りの場であることなどはこれまで幾度となく学習してきています。縄文人にとって死は忌むべきものではなく、身近なものだったと推察します。

しかし、番組結論「彼らの死は終わりではないとする精神性こそが次の時代を思う気持ちになり持続可能な社会をつくり上げることにつながったのかもしれません。」、「死は終わりではないという観念が持続可能な社会につながった。」がなぜ導き出されるのか、私には論理のつながりが最初よくわかりませんでした。

しかし、「死は終わりではない」という縄文人死生感が、資源管理とか持続可能社会構築との間にどのような関係があるのか分析的な研究があるわけでもないことに気が付きました。このテレビ番組のストーリーを次のように推察しました。

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縄文時代に次のA事象とB事象が存在した。

A事象

縄文人は四季の循環する産物を利用し、ハマグリ採取、クリ栽培、ブタ飼育などで計画的に資源管理し、資源を循環させ、持続可能な社会を維持していた。

B事象

縄文人は死を現世から来世に移行する通過儀礼と考えていた。村空間に人々と先祖が一緒に住んでいて死が終わりではなかった。貝塚は「モノ送り」の場であった。縄文人は死を忌むべきものと捉えず、身近なものと捉えていた。


A事象とB事象が共存しているのだから、A事象とB事象は親和的であり、相関的であるに違いない。従って、B事象こそがA事象の原動力であると行っても過言ではない。→番組結論「彼らの死は終わりではないとする精神性こそが次の時代を思う気持ちになり持続可能な社会をつくり上げることにつながったのかもしれません。」

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肉体のみならず頭脳も高齢化・硬直化した自分にとっては、少し難解な番組でした。


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余談

番組ディレクターは次のように考えたのかもしれません。

●現代人は「死は終わり」だと考える死生感を持っているから、自分だけが利己的刹那的に資源を浪費している。ところが縄文人は「死は終わりだと考えていない」死生感を持っている。そしてその時代に資源管理していたことが判明した。従って「死は終わりではない」死生感は縄文時代資源管理に役立ったに違いない。よって縄文時代死生感は現代社会資源管理にも役立つとても優れた知恵であると結論づけられる。


私は次のように考えます。

●現代人も縄文人も「死は自分の肉体の終わりだと考えている」そして「自分の命は子や孫につながっていく」と考えている。現代人と縄文人の死生感は異なる面もあるが、命のつながりという点では共通するものがある。

縄文人の死生感は初歩的資源管理をした縄文社会と対応していた。しかし、だからと言って、現代人の死生感が資源管理失敗に帰結するという予定調和が証明されているとはとても思えない。現代資源管理の成否は死生感とはあまり関係ないように感じる。


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