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2019年6月9日日曜日

異なる2遺跡から出土した棒状木製品の意匠近似性

縄文木製品学習 5

異なる時代・空間の縄文低地2遺跡から出土した棒状木製品の意匠が余りにも似ているので驚きを禁じえません。ともに丸木舟も共伴出土しています。

1 意匠が共通する木製品が出土した2遺跡

雷下遺跡と亀田泥炭遺跡

2 棒状木製品の意匠近似性
2-1 意匠が近似する2種の木製品
木製品のうち2種類(ア、イと仮称)の意匠が2遺跡で近似しています。

2遺跡出土木製品で意匠が近似する2つの木製品

2-2 棒状木製品 ア

棒状木製品アの意匠近似性
造形の趣旨は同じであると感じられるような意匠近似性が認められます。

2-3 棒状木製品 イ

棒状木製品イの意匠近似性
造形の趣旨は同じであると感じられるような意匠近似性が認められます。
イは2つの遺跡ともに焦げたものが出土しています。

3 メモ
・現状では発掘調査報告書情報だけの比較です。今後現物閲覧や精細写真利用が可能かどうか関係機関に相談し、可能ならば検討を深めたいと思います。
・西根遺跡出土木製品は現物閲覧、発掘時撮影精細写真利用が実現し、観察検討結果をまとめました。
・西根遺跡出土木製品の検討を踏まえると、雷下遺跡・亀田泥炭遺跡出土木製品の検討では次のような作業仮説をもつことが合理的であると考えます。
棒状木製品ア…アイヌイナウの祖形にたどれる木製祭具
棒状木製品イ…アイヌキケウシパスイの祖形にたどれる木製祭具
・2遺跡ともに丸木舟が出土していますから丸木舟に関わる活動行為(祭祀等)と木製品が関連していたことは十分に考えられます。しかし、木製品がイナウやキケウシパスイのような祭具であるとするならば、それは縄文社会一般で使われていた木製品であり、水辺環境だけに特別関わるとは考えられません。丸木舟が残存したのと同じ堆積環境が存在したがために木製品が残されたと考えます。

4 参考 2遺跡の発掘調査報告書

雷下遺跡発掘調査報告書


亀田泥炭遺跡発掘調査報告書
亀田泥炭遺跡関連ブログ記事 2019.01.28記事「匝瑳市亀田泥炭遺跡出土木製品

2018年8月14日火曜日

縄文後期イナウ似木製品の実見

縄文後期イナウ似木製品の観察と解釈例 1

現在、六通貝塚をはじめ大膳野南貝塚近隣遺跡検討を進めていますが、都合により上記テーマのシリーズ記事を割り込ませます。上記テーマは2017年9月~10月に連載記事で一度検討しましたが、今回そのとりまとめを行う中でより合理的解釈ができましたので再度記事化します。

1 西根遺跡出土木製品(杭状加工品)の実見
2017年6月28日に大多喜町に所在する千葉県教育委員会森宮分室にて西根遺跡出土木製品(杭状加工品)を実見することができました。液体に入れて特別に保存している木製品であり、閲覧申し込み時点では実見が実現できるかどうか確約がとれなかったのですが、当日実見することができました。

西根遺跡出土木製品(杭状加工品)
担当官の方に上面と下面を裏返して見せていもらいました。自分で手に取ることは不可であり、かつビニール袋と液体がなす反射光で手に取れる遺物観察とは大いに違う制限のある観察となりました。しかし、驚きの発見を3点にもわたってすることができました。発掘調査報告書記述には無い明瞭な細工2種と付属物を確認できたのです。

2 発掘調査報告書における木製品(杭状加工品)の記述
木製品(杭状加工品)は縄文時代河川敷から多量の加曽利B式土器とともに出土したもので、発掘調査報告書では次のように記載されています。

木製品(杭状加工品)の計測

発掘調査報告書の記述「2の杭は丸木を利用しており、下端は石斧等の刃の痕跡が明瞭に残る。上面は細かな調整痕がみられる。」

2杭 西根遺跡発掘調査報告書から引用
発掘調査報告書では別に出土した赤漆塗り飾弓については特別な調査検討が行われていますが、「杭状加工品」はこの上に引用した記述が全てになります。表皮がはがされた丸木の上下を石斧で成形したところまでの記述が全てです。スケッチもその記述に沿ったものになっています。

3 木製品実見での3つの発見
3-1 刻印の発見
2ヵ所に鋭利な石器で木をえぐった刻印の存在が確認できます。

刻印の発見

3-2 削り跡の発見
多数の斜めに丸木を削った跡の直線が多数存在しています。

削り跡の発見

3-3 小型棒状木製品の発見
袋に数点の小型棒状木製品が同封されています。小型棒状木製品のいくつかには黒く焦げた部分があります。小型棒状木製品はその形状から自然の小枝でないことが判ります。

同封小型棒状木製品

4 木製品が杭でないことを確信し写真分析を開始する
発掘調査報告書にはこの木製品の写真も掲載されていますので検討したところ刻印や削り跡が不鮮明に確認できます。木製品に存在する刻印や削り跡が精細写真として世の中に存在するのですから、写真を入手できれば詳しい分析が可能となります。
この木製品が杭ではなくイナウのような祭具ではないだろうかという疑いを強く持ちますから写真分析による詳細検討実施を決断しました。
早速木製品写真と発掘状況写真の閲覧申請を千葉県教育委員会に行い、写真を入手することができました。詳しい写真分析作業をスタートさせることができました。

つづく

2017年10月9日月曜日

西根遺跡出土「杭」はイナウ イナウを使った祭祀プロセス

「西根遺跡出土「杭」はイナウ」連載の最終回です。
発掘された地物の状況等から想定されるイナウをつかった祭祀プロセスをとりあえず空想的にまとめておきます。

1 祭祀プロセス
1-1 獣送り
まず祭場を設定するためにイナウを立てたと考えます。
その祭場でイノシシやシカ(主に幼獣)を送ったと考えます。
送りは飾り弓をつかった「遊び」を行い、最後に絶命させ、頭部は切り取り祭壇の上に掲揚したと考えます。

祭祀行為の空想 1 獣送り

1-2 獣肉調理・共食
送った獣の肉を焚火で調理し、祭祀メンバーで共食したと考えます。

祭祀行為の空想 2 獣肉調理・共食

1-3 獣骨の焼骨と散布
共食で残った骨を焼骨し、その場に散布したと考えます。

祭祀行為の空想 3 獣骨の焼骨と散布

1-4 土器破壊
焼骨散布域で用意しておいた土器を破壊したと考えます。
これで主な祭祀行為は終了したと考えます。

祭祀行為の空想 4 土器破壊

1-5 祭祀跡の埋没
祭祀跡は放置され、祭壇に掲揚された獣頭部は腐って無くなったと考えます。土器片、土器片に覆われた焼骨、イナウはその場が陸化する過程で土に覆われていったと考えます。

祭祀行為の空想 5 祭祀跡の埋没

2 祭祀跡埋没プロセスについて
この祭祀跡は流路に位置していますが、流水の影響を全くうけていません。
その理由についてメモしておきます。
次の図は別の場所の縄文時代流路の断面図です。

流路1の断面図
下流から上流方向を眺めた図

流路が埋まる過程が14→13→12→11と示されています。全て黒色土です。
このような流路埋没過程をみると西側から流路が陸化して土層に埋まっていった様子が判ります。流水の堆積作用が全く無いことはないと思いますが、主に風成堆積物と腐食土に起源を有する堆積物で埋まったもののようです。
これと同じ現象がここで検討した4C09グリッドでもあったと考えると、流路に位置するにも関わらず遺物に流水の影響が全くない様子を説明することができると考えます。

3 検討課題
4C09グリッドで観察できる遺物のセットは1回の祭祀の結果であると考えます。
この1回の祭祀跡が印旛沼圏全体のある年の秋祭りに該当するものかどうかなど、この1回祭祀結果と考える遺物セットの意義について検討する必要があると考えます。
その検討は一端間を置き、後日改めて行うことにします。

2017年10月8日日曜日

西根遺跡出土「杭」はイナウ 木製品利用の立体検討素図作成

1 「杭」はイナウ
西根遺跡出土「杭」の出土状況写真、「杭」の精細写真を千葉県教育委員会から提供していただき、ブログ掲載を許可していただき、検討を進めてきました。

この木製品は頂部削平、脚部削出があり上下がはっきりしていますが、「杭」であることは枝が1本残されていることから100%否定できます。なお、掃われた枝が大小3箇所ありますので、残された枝は意図して残したことがわかります。

またこの木製品には削りかけ(裏面に集中)、刻印(2箇所)、斜め方向刻み(2箇所)、面取り(2箇所)、小孔(37箇所)という彫刻がされていて、表面と裏面の確認ができ、表面と裏面の意匠パターンがほぼ同じになっています。

さらに小孔には同一工具(石器)跡が多数見られます。

これらの特性はこの製品が生産等の実用品として使われたものではないこと示しています。そのデザインがアイヌイナウと似ているところがあるので、祭祀用具として使われたことを想定することができます。この木製製品はアイヌイナウの祖形である縄文時代後期原始イナウであるとする仮説の蓋然性が高まります。

この製品が原始イナウであるかどうかの最終判定はこれから専門家にお願いしたいと考えます。

この記事と次の記事では、この木製品が原始イナウであると考えた時、どのように利用されたか、立体検討素図を作って空想してみたいと思います。この空想を持って「西根遺跡出土「杭」はイナウ」シリーズをとりあえず終わりにします。

2 立体検討素図作成
2-1 「杭」と丸木
4C09グリッドからは「杭」以外に丸木が出土しているようです。しかし丸木は自然木として廃棄され、出土物としての記載は当然のことながらされなかったようです。

「杭」と丸木出土状況

この丸木も「杭」と同じ木製品であると仮定して以下の検討を行います。

2-2 「杭」と丸木出土位置イメージ
発掘状況写真等から「杭」と丸木の出土位置、「杭」の上下と裏表は次のように特定できます。

「杭」と丸木出土位置イメージ

丸木の上下関係は「杭」と同じように観察できます。裏表は判りませんが、ここでは「杭」と同じであると想定してみます。

2-3 平面図の立体表現
平面図をGoogle earth proにプロットして立体表現しました。

平面図の立体表現 1

平面図の立体表現 2

2-4 木製品利用の立体検討素図作成
平面図の立体表現2に「杭」と丸木がその場に立っている状況を書き込むと、祭壇(イナウ)正面からみた焼骨・土器片堆積の状況を見ること(意識すること)ができます。またそれらと流路との関係も見ること(意識すること)ができます。

祭壇(イナウ)正面からみた焼骨・土器片堆積 祭祀活動考察のための立体検討素図

この立体素図を利用して次の記事で焼骨・土器片・イナウに関わる祭祀活動を空想してみて、このシリーズを区切ります。

2017年10月7日土曜日

西根遺跡出土「杭」はイナウ 表裏風化の違い

西根遺跡出土「杭」(縄文時代後期)の写真観察プロセスの中でA面が風化がすすみB面は新鮮な製品表面が見られましたので記録しておきます。

A面とB面の風化の違いは次の通りです。

A面とB面の風化の違い

A面とB面の風化の違い 頂部付近

風化の違いはこの木製品が野外に放置された後、A面だけが風雨に短期間晒されたために生じたものであると考えます。
これは、発掘状況写真でこの木製品がA面上B面下で出土していることが確認できるので間違いないと考えます。

A面上B面下で出土した状況

なお、この場所は縄文時代後期の戸神川流路にあたりますが「杭」の風化の様子から、遺物堆積後は、この場所が流水で洗われたことが無かったと結論付けることができます。
土器片や獣骨(焼骨)の出土状況からも流水の影響は全く見られません。

また、この場所の遺物が流水によって上流から運ばれてきて堆積したという想定も完全に否定できます。

2017年10月6日金曜日

西根遺跡出土「杭」はイナウ  小孔模様

西根遺跡出土「杭」(縄文時代後期)の小孔確認結果は次の通りです。

小孔(白丸)の確認作業

この図を見ていると頂部付近の斜め刻みと小孔群を合わせて次のような模様の存在をイメージしてしまいます。

頂部斜め刻みと小孔がつくる曲線(一つの想定)

このようなイメージが「杭」が原始イナウであるという証明作業に有効な思考であるのか、スカ思考であるのかわかりませんが、とりあえず記録しておきます。

参考 イナウに見られる縦方向曲線模様

例 1
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(2014、北海道大学出版会)から引用

例 2
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(2014、北海道大学出版会)から引用

いずれの例も西根遺跡出土「杭」の小孔模様とは直接かかわらないようです。しかし、イナウ縦方向の曲線を描くという心性があることは確認できます。

参考 イナウにみられる小孔差し込み

例 3
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(2014、北海道大学出版会)から引用

いずれの例も対で差し込むモノが大きく、西根遺跡出土「杭」の小孔とは直接かかわらないようです。しかし、イナウに孔を開けモノを差し込むという心性があることは確認できます。

2017年10月5日木曜日

西根遺跡出土「杭」はイナウ 小孔を開けた工具

西根遺跡出土「杭」(縄文時代後期)に開けられた小孔の画像を詳しくみると同じ工具(石器)で開けられたと確認できますのでメモしておきます。

同一工具(石器)跡と考えられる小孔

同一工具(石器)跡と考えられる小孔画像

1が典型で約5㎜×5㎜の跡を残しています。四隅が尖っているので四隅に割れ目が伸びるような先端である工具(石器)でが使われたと考えられます。
B面では8カ所の小孔画像がほぼ一致しますが、他の小孔も似ているので恐らく全部が同一工具(石器)で開けられたものと考えます。
A面の小孔の形状はすべてぼんやりしていてB面小孔形状と一致するものはありませんでした。
A面は風化により製品表面1㎜~2㎜程度が失われているという事実が判っていますので、その影響により新鮮な小孔形状は失われたものと考えます。
A面の小孔もB面の小孔と同じ工具(石器)で開けられたものと考えて間違いないと思います。

先の上部が5㎜×5㎜程度で、本当の先端はもっと細い石器で2~3㎜程度から5㎜程度の小孔を開けて何をしたのか、検討する必要があります。

現時点のイメージでは小孔の大きさと深さから植物の葉や茎(花)を押し込んでイナウの飾りにしたと想像しますが、根拠はありません。重量のあるものをぶら下げたということは無いと思います。

2017年10月4日水曜日

西根遺跡出土「杭」はイナウ 表裏両面に共通する意匠セット

千葉県教育委員会提供写真を調整した結果とても観察しやすくなり、これまで見つけられなかった工作事象を見つけることができました。

1 面取り部の追加発見と刻み部位の認識
A面に新たに面取り部を発見しました。
同時にB面のこれまで認識していた上の部分も面取り部であることが判りました。ここは刻みの影響で壊れて凸凹になっていますが、表面は面取りされています。

A面の1本だけ孤立した削りかけ跡が刻みであり、その下に半球状に薄くはがれている部分を発見しました。刻みは面取り部を刻んでいます。

B面の刻みは面取り部が壊れるほどの強さで刻まれていて、削ったものではないことが判りました。これまで刻印として考えてきていますが、刻印のように凹部をつくりだすために削られたものではなく、石器刃部で強く引き掻いたものです。

この結果を示すと次のようになります。

面取り部の確認作業1

この結果に基づいて2017.10.02記事「西根遺跡出土「杭」はイナウ 面取り部存在の確認」は訂正しました。

2 小孔の確認作業
小孔の確認作業を行いました。

小孔(白丸)の確認作業1

小孔(白丸)の確認作業2

小孔(白丸)の確認作業3

A面14、B面23の小孔を抽出しました。枝より上のものの多くは人工の小孔であると考えます。工具の跡が確認できるものもあります。しかし写真では判断しずらいものもあり、自然の小孔(丸い溝)が含まれている可能性もあります。
枝より下の小孔は自然のものの割合が高いかもしれないと推測します。

A面の小孔の様子がぼんやりしてよくわかりません。ぼんやりしている理由はこの面が出土写真では上になっていることから、地面に倒れてから風雨にさらされて風化した時間があり、表面の凹凸が失われたからであると考えます。写真撮影条件はB面と同様であったと考えます。

B面の小孔の様子は子細に観察でき、同じ工具(石器)が使われたことが確認できる小孔がありますので、その結果は次の記事で報告します。

また小孔の意味についても別記事で検討します。

この記事では上記「小孔(白丸)の確認作業1」からわかる意匠セットについてメモします。

3 A面B面に共通する意匠セット
「小孔(白丸)の確認作業1」図からA面B面ともに「杭」頂部付近に次のような共通意匠セットが存在します。

西根遺跡出土「杭」(縄文時代後期)A面B面に共通する意匠セット

面取り部、斜め刻み、小孔群のそれぞれの意味は現時点で不明ですが、それらの位置関係が共通する意匠セットが存在することは確実です。

従ってこの共通意匠セットはこの製品を縄文人が使う上で重要な意味を有していたと考えることができます。

また面取り部の大きさ、斜め刻みの深さ、小孔群の一つ一つの小孔の大きさがすべてB面が勝っています。このことから、B面が表でA面が裏であることが判明しました。

A面とB面の区別は、枝の位置を左にしたとき正面が表になるようになっているということです。

2017年10月3日火曜日

西根遺跡出土「杭」はイナウ 写真調整

西根遺跡出土縄文時代後期「杭」について千葉県教育委員会提供写真を使って分析作業をすすめていますが、写真原本を調整してより見やすくして分析することにしました。
写真を隅々まで拡大して眺めていると、これまで見落としていていた多数の人工的な線や小孔などが見つかり、それらが意味することが自分で考えていた以上に大きなものであると気が付きました。そのため、写真判読の精度を上げる必要が生じ、写真を見やすくする工夫をしました。

1 写真調整
原本写真をトーンカーブ補正により明るくしたものが調整1です。この写真を基本にして今後判読分析活動を行います。
調整1写真を「描画モード彩度」でペイントしたものが調整2です。結果としてカラー写真もどきとなりました。この写真は参考として利用します。

西根遺跡出土「杭」(縄文時代後期)写真の調整

西根遺跡出土「杭」(縄文時代後期)写真の調整(部分)

参考 調整2写真について
元来彩度ゼロ(白、黒、グレー)写真を「描画モード彩度」でペイントすることはできません。しかし、千葉県教育委員会提供写真は「スライド」(彩度ゼロ)をスキャン(撮影)したもので、スキャン(撮影)がカラーモードであったため完全な彩度ゼロにはならなかったと考えます。そのためカラー写真もどき写真が偶然生まれ、参考資料として使うことが可能となったと考えます。

2 写真調整の効果
調整1写真を利用することにより、判読の精度が向上し、早速ですが新たな「面取り部」を発見しました。追って記事で報告します。
それ以外にも多くの新たな事象が観察できて、ぼんやりとしか見えなかったメガネを目にあった新しいメガネにかえたような印象を持ちます。

3 感想
「杭」が実は石器でつくられた原始「イナウ」であるという仮説の蓋然性を高めるために、これまで「杭」の諸特徴がアイヌのイナウの特徴と共通するものがあるかどうかという視点から検討をすすめてきました。
これまでの作業から、この検討は大いに発展できて、縄文時代のイナウ、石器でつくられたイナウが発見されたということになり、学術的に大きな意味を有するものになると考えています。
さて、そのような大きな意味とは別に、調整1写真を観察しているとき、突然ですが製品特徴の中に具体的「意味」が表現されていると直観できる部分が2箇所出現しました。
このイナウを作った縄文人がある具象を表現していて、そのうち2つが判ったということです。
このイナウには現代人も知っている具象が表現されているのです。
検討を深め順次記事として報告します。

2017年10月2日月曜日

西根遺跡出土「杭」はイナウ 面取り部存在の確認

西根遺跡出土「杭」(縄文時代後期)写真を観察すると面取り部の存在を確認しましたので記録しておきます。

1 面取り部の確認作業

面取り部の確認作業1(訂正後 2017.10.04)
面取り部の確認作業1(訂正前)

面取り部の確認作業2

面取り部の確認作業3

A面、B面をくまなく観察して面取り部(つくりだされた平面)はA面、B面各1箇所確認できます。
B面下の枝を掃っている部分(空洞になっている部分)も結果として平面になりますが、意味のある平面とは考える必要はないと思います。

A面B面における面取り部の存在は、今後の検討において、この製品用途がイナウであることの証明に使える重要要素の一つになると考えます。

なお、面取り部に小孔が4つあります。
小孔はこれ以外にも存在していて、この製品の重要構成要素であると考えますので、次の記事で検討します。

2 参考 面取り部のあるイナウ

樺太の面取り部があるイナウ
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(2014、北海道大学出版会)から引用

3 参考 消印
イナウ構成要素として「消印」という概念があります。

イナウ構成要素
「消印⑫:イナウの胴を削って、平面を作り出し、その上下に水平に刻印を数条つけたもの。名取武光によれば、平面部を「イナウコトル」、上下の刻印を合わせて「コトルイトクパ」と呼ぶ。消印が刻まれた面がイナウの正面とされる[名取 1987(1959):84]。樺太の全域で確認されている。」
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(2014、北海道大学出版会)から引用

……………………………………………………………………
追記
2017.10.04記事内容を一部訂正しました。

2017年10月1日日曜日

西根遺跡出土「杭」はイナウ 縛り跡表皮の意味

「杭」写真を拡大してつぶさに観察すると思いがけない事柄が次々に発見できましたので、順次記事として記録します。

この記事では縛り跡に表皮を発見しましたので記録します。

1 縛り跡
縛り跡は次に示す通り、上下2巻が観察できました。

縛り跡の観察(A面)
写真は千葉県教育委員会所蔵

上下ともに木肌(表皮を剥いだ製品の木肌)に圧迫痕として縛り跡が観察できます。

縛り跡の観察(B面)
写真は千葉県教育委員会所蔵

上下ともに残存する表皮の上に圧迫痕が観察できます。下巻の写真左は木肌のえぐれとして観察できます。

表皮の存在は「杭」全体でここ2箇所だけで、特異な残存です。

次に表皮の状態を写真拡大により精密に観察しました。

2 縛り跡に残存する表皮の精密観察

縛り跡(下部巻)に残存している表皮

表皮と観察した対象は、全体が木肌から盛り上がっていること、木肌と異なる肌理(キメ)であること、木肌割れ目と一致する割れ目が存在することから表皮であることが確実です。
その表皮の中央部分に「杭」を水平に巻く方向で圧迫痕がついています。圧迫痕の様子は光線の関係で明瞭に観察できません。

縛り跡(上部巻)に残存している表皮

下部巻と同じく表皮と観察した対象は、全体が木肌から盛り上がっていること、木肌と異なる肌理(キメ)であること、木肌割れ目と一致する割れ目が存在することから表皮であることが確実です。
その表皮の中央部分に「杭」を水平に巻く方向で圧迫痕がついていますが、この写真は下部巻と異なり、光線の角度、対象物とカメラ光軸の角度等の関係から圧迫痕の様子が子細に判ります。
表皮がえぐられたように凹んでいます。

表皮をまるでえぐったように凹ませた強い締め力の様子とA面に見られる木肌の縛り跡様子との間に整合があるのかどうか疑問が生れます。

また、そもそもなぜこの2カ所に小さな表皮が残されたのか疑問が生れます。

3 表皮が残存する理由
表皮が残存してその場所が縛り跡になった状況として次の例が考えられます。
1 製品を作る時に全体の表皮を削ったが、その時たまたま削り残しが生れてしまい、その場所がたまたまヒモを縛る場所になった。
2 製品を作る時、ヒモを縛る場所2箇所の位置に表皮を意図的に削り残し、ヒモを巻く場所の特定のため、またヒモがずれないように製品に圧着できるように抵抗として利用した。
3 木が地面から生えていた時に、その木にヒモを巻いていた。木は成長するので表皮にヒモが食い込み表皮にえぐられたような凹みができた。
その木を使って製品を作った。ヒモ食い込みの残る表皮を残し、その部分を使って再びヒモを巻いた。

1は偶然が2回重なるので考えずらいです。
2は表皮にヒモが食い込む様子が激しく、A面との整合が取れないのでこれも考えずらいことになります。
3を仮説として採用するならば、木が地面から生えている時から注連縄をかけた「御神木」を決めて置き、ある時期が到来したとき、その「御神木」でイナウをつくったことが想定できます。
「御神木」につけていた注連縄を、その木をイナウにしたとき同じ位置にまた付け直したと考えます。
注連縄の起源とか、注連縄とイナウの関係など興味深い事象・概念を含む仮説となります。