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2019年8月10日土曜日

印西市立印旛歴史民俗資料館訪問

縄文土器学習 227

印西市立印旛歴史民俗資料館を訪問して縄文土器6点を観察させていただきました。

印西市立印旛歴史民俗資料館展示縄文土器
戸ノ内貝塚出土土器1点、石神台貝塚出土土器5点です。いずれも縄文後期の土器のようです。

ショーケースには石神台貝塚出土人面形土製品、土偶、ミニチュア土器を始め石器や貝製品も展示されいます。

ショーケース展示
加曽利B式期ごろの印旛沼周辺の様子は西根遺跡学習を通じて特段に興味がありますから観察土器を通じて発掘調査報告書などの情報を芋づる式に入手して興味を深めたいと思います。
6点の縄文土器は全て3Dモデル作成用写真を撮影しました。
また印旛村史等の資料も入手できました。

2019年1月5日土曜日

千葉県遺跡分布地図帳 加曽利B式土器

私家版千葉県遺跡DB地図帳 23 加曽利B式土器

私家版千葉県遺跡DBの全レコード(20130)を分布図を通じて概観する活動を行っています。2019.01.04記事「千葉県遺跡分布地図帳 諸磯式土器と浮島式土器」でDBから土器形式別分布図の作成が容易であり、その情報が思いのほか高い価値を有していると直観できました。この記事では土器形式の次の例として縄文時代後期の代表的土器形式である加曽利B式土器の分布図を作成してみました。

1 加曽利B式土器の分布

私家版千葉県遺跡DB地図帳 加曽利B式土器分布 110

私家版千葉県遺跡DB地図帳 加曽利B式土器(貝塚)分布 111
加曽利B式土器出土遺跡で遺跡種別が貝塚(貝塚・集落を含む)であるものです。

私家版千葉県遺跡DB地図帳 加曽利B式土器(集落)分布 112
加曽利B式土器出土遺跡で遺跡種別が集落(貝塚であるものを除く)であるものです。

私家版千葉県遺跡DB地図帳 加曽利B式土器(包蔵地)分布 113
加曽利B式土器出土遺跡で遺跡種別が包蔵地等(貝塚、集落を除く)であるものです。

私家版千葉県遺跡DB地図帳 加曽利B式土器(種別)分布 114
青丸…貝塚、赤丸…集落、灰丸…包蔵地

私家版千葉県遺跡DB地図帳 加曽利B式土器分布ヒートマップ 115
加曽利B式土器出土遺跡が密集する空間ほど黒く表現されています。

私家版千葉県遺跡DB地図帳 加曽利B式土器分布(背景ヒートマップ) 116
青丸…貝塚、赤丸…集落、灰丸…包蔵地

私家版千葉県遺跡DB地図帳 加曽利B式土器分布(種別・背景ヒートマップ) 117
青丸…貝塚、赤丸…集落、灰丸…包蔵地

私家版千葉県遺跡DB地図帳 千葉県中北部 加曽利B式土器分布(種別・背景ヒートマップ) 118
青丸…貝塚、赤丸…集落、灰丸…包蔵地

私家版千葉県遺跡DB地図帳 千葉県中央部 加曽利B式土器分布(種別・背景ヒートマップ) 119
青丸…貝塚、赤丸…集落、灰丸…包蔵地

2 メモ
・加曽利B式土器の分布をみると塊状になっているように観察できます。
・加曽利B式土器は遺跡種別貝塚(貝塚・集落を含む)・集落(貝塚を除く)・包蔵地のセットで存在しているように観察できます。
・ヒートマップを背景に分布図を見ると、塊状分布がよくわかります。塊状の部分がまとまった地域社会(広域行政連合?)を表現していると考えて間違いないと思います。
・ヒートマップを背景にして種別分布をみると貝塚・集落・包蔵地がセットで存在していてそのセットが生活空間の基本構造になっているように空想(仮説)できます。この地図は縄文後期社会の空間構造検討の有力な情報素材になると考えます。
・その図を拡大すると、貝塚・集落・包蔵地のセット構造があからさまになるように感じることができます。塊状部分(黒い部分)に沢山の貝塚・集落・包蔵地セット単位が存在するように見られ、それらが単位地域社会(村?)の生活跡であると空想したくなります。
・DBから土器形式別遺跡情報を汲みだすと極めて有用な基礎情報を得ることができるとこの作業でわかりました。作業を改めて千葉県の縄文時代全土器形式の情報を体系的に汲みだすことにします。
・参考 西根遺跡(低地遺跡)から大量の加曽利B式土器が出土していて、それは近隣集落の合同収穫祭跡であると見立てていますが、その近隣集落の場所が上記地図ヒートマップ黒の一つの塊状に対応する可能性が濃厚になりました。

2017年6月2日金曜日

西根遺跡 加曽利B式土器平面配置による祭祀造景空間の検討

1 発掘調査報告書による土器分布図
西根遺跡の土器集中は獣骨を伴い、特定の意義を有する祭祀空間であると考えています。
土器はほとんど全て加曽利B式土器であり、それが正立平面配置されていたと考えられています。
加曽利B式土器の配置は集中地点別に小ブロック図に分布図として発掘調査報告書に掲載されています。

土器分布図

土器分布図凡例

この土器分布図を読み解くと加曽利B式土器平面配置による祭祀造景空間をある程度よみがえらすことが可能であると考え、出来るところまでチャレンジしてみることにします。

この記事では土器分布図をGISにプロットして、集中地点の精細分布図および土器重量分級図とオーバーレイして眺めてみて、感想(見立て)をメモします。

2 土器分布図と土器重量分級図等とのオーバーレイ図

第1集中地点
小グリッド色分けは土器重量で凡例は2017.06.01記事「西根遺跡 水辺祭祀濃密さの空間評価」参照

第2集中地点

第3集中地点

第4集中地点

第5集中地点
なお、第6、第7集中地点の分布図は作成されていません。

3 感想(加曽利B式土器平面配置による祭祀造景空間の見立て)
・不用な土器を端から置いていったようなものではなく、意識的に土器配置風景を創出した造景空間であったと考えます。
・土器集中部(「土器集中地点」に複数存在)の分布から期間限定の大小造景空間プロジェクト(祭祀プロジェクト)が存在していたと考えます。

・大口径土器(45㎝以上)により祭祀造景空間のおおよその骨格を作っていた可能性が感じられます。(大口径土器を集中域中心部と集中域外側線に配置)
・中口径土器をメイン素材にして集中区域造景を行ったと考えられます。(造景の量的実質素材は中口径土器44㎝~25㎝)
・精製土器を集中域に満遍なく配置していることから精製土器が造景上(祈願上)特定の意味を有していたと感じられます。(造景の質的レベルを高めるための優良素材のように感じられます。)

・大口径土器出土頻度は土器集中域の大きい第1、第3、第5にほぼ限られることから(ただし第2からも1器出土)、手に入れにくい造景素材であり、苦労して(大きな集団を背景にして)それを手にした様子が感得されます。(このような事情から、土器集中配置が意識的組織活動であり、プロジェクトであることが判ります。)
・大口径土器は西岸(右岸)のみから出土していて、西岸の土器集中に関わる母地域(母集落群)が東岸のそれより裕福であったことを物語っています。

・今後このような感想の的確性をGIS空間分析や統計分析で検証してみることにします。

2017年5月9日火曜日

西根遺跡の母体となる周辺遺跡

西根遺跡から大量出土(102100片、想定土器個体数1150個体~1200個体)する土器は全て加曽利B式期のものです。

発掘調査報告書では西根遺跡周辺の縄文時代後期加曽利B式期遺跡情報が掲載されているので学習します。

1 発掘調査報告書の記述
発掘調査報告書の図及び文章から西根遺跡付近の加曽利B式期の遺跡を図示してみました。

縄文時代後期加曽利B式期の遺跡
「印西市西根遺跡」(2005)から引用追記

発掘調査報告書では次のような説明を行っています。
……………………………………………………………………
(1)縄文時代後期加曽利B式期の遺跡
この時期の遺跡については、まとまった資料がみられる遺跡としては、昭和49年に発掘調査、昭和58年に分布調査が行われた佐山貝塚(62)が挙げられる。
縄文時代後期称名寺式~晩期前浦式にわたる土器がみられ、その中でも加曽利B式土器の散布が多い遺跡である。
貝塚は東西約140m、南北200mの範囲にわたって形成されており、加曽利B式期の拠点的な遺跡と考えられ、注目される。

分布図の中で発掘調査報告書が刊行され、加曽利B式土器の出土が報じられている遺跡を列記すると、船尾白幡遺跡(31)では竪穴住居跡1軒と土坑1基、加曽利B式土器Ⅰ~Ⅱ式の土器が検出され、注口土器と考えられる小破片が出土している。
鳴神山遺跡(30)は遺構はみられず、加曽利B式土器は5片の報告であり、極めて微弱な散布傾向である。
印西市松崎Ⅱ遺跡(38)からは18個体分、91片の土器がグリッドからややまとまった形で検出されている。
印西市松崎Ⅰ遺跡(37)では26片の出土報告がなされ、八千代市島田込の内遺跡(72)からは4片の粗製土器片の報告例、八千代市向境遺跡(82)からは数片、八千代市真木野向山遺跡(59)では小破片、八千代市間見穴遺跡(67)では18個体分、印西市船尾町田遺跡(32)から11個体分、印西市向新田遺跡(28)では1片の出土が報告されている。

本遺跡に関連する集落については、上流域の船尾白幡遺跡周辺に求められる可能性がある。
土器については、上記のように周辺には当該期の遺跡が数多く点在するが、本遺跡の土器群と対比できるような遺物を有する遺跡は見当たらないのが現状である。
「印西市西根遺跡」(2005)から引用
…………………………………………………………………

加曽利B式土器出土状況等を分布図に記入すると次のようになります。

縄文時代後期加曽利B式期の遺跡と加曽利B式期遺構・遺物
「印西市西根遺跡」(2005)から引用追記

2 西根遺跡と周辺遺跡との関係考察
発掘調査報告書では「本遺跡に関連する集落については、上流域の船尾白幡遺跡周辺に求められる可能性がある。」と見立てています。

その見立ての根拠が薄弱である理由をメモしておきます。
2-1 船尾白幡遺跡周辺に加曽利B式期集落が見当たらない。
船尾白幡遺跡から出土した竪穴住居祉は1軒だけです。調査面積が拡大すれば加曽利B式期の竪穴住居祉は増える可能性はありますが、その増大分の数が飛躍的なものになる可能性は望み薄であると考えます。
鳴神山遺跡では遺構が見つかっていません。
船尾白幡遺跡付近で今後拠点的な縄文時代遺跡が見つかる可能性は無いと考えられます。

2-2 船尾白幡遺跡の少数竪穴住居が300年間に土器を少しずつ貯めた可能性はない
発掘調査報告書では少数の竪穴住居から毎年少しずつ土器を出せば、300年間の間にはこれだけの土器が貯まるという思考を文章にしています。
しかしそのような事象は土器送りに次のような強い社会規制が働いていることからあり得ないと考えます。
・祭祀用土器が全く出土しない。
・土製品がほとんど出土しない。
・石器がほとんど出土しない。
河川沿岸という特殊な土器送り場に強い特殊な社会規制が300年間にわたって働いているのですが、このような社会規制を数軒とか多くて10軒とかの縄文集落が300年間保持し続け、毎年4個の使用済み土器を並べたということは到底考えられません。
拠点的集落とか拠点的集落の連合である地域そのものでないとこれだけの社会規制を300年間保持し続けることは不可能であると考えます。

船尾白幡遺跡に存在する加曽利B式期竪穴住居は、西根遺跡という広域土器送り場の管理人居住地であったとイメージします。
河川水際に存在する加曽利B式期イベント会場(西根遺跡)の管理人集落が、直ぐ近くの台地に(船尾白幡遺跡に)存在していたと考えます。

2-3 西根遺跡という土器送り場の主催者は佐山貝塚や神野遺跡・神野貝塚
西根遺跡という巨大な土器送り場に対応する主催者は佐山貝塚や神野遺跡・神野貝塚など印旛沼対岸社会であると考えます。
佐山貝塚は拠点であるし、神野遺跡は玉製作遺跡であり、これらの拠点集落連合社会(印旛沼西部圏)が西根遺跡の巨大土器送り場を主催していたと考えます。
それ以外の集落なり拠点なり社会なりが西根遺跡を作ったと考える材料がどこにも見当たりません。

3 今後の周辺遺跡学習
西根遺跡発掘調査報告書における周辺遺跡整理以降に新たな情報が生まれている可能性が大です。
そこで発掘調査報告書が刊行されている遺跡については悉皆的に、加曽利B式期を中心にして縄文時代の記述を詳しく閲覧して情報を整理することにします。
特に佐山貝塚、神野遺跡・神野貝塚などに着目します。
佐山貝塚、神野遺跡・神野貝塚などと西根遺跡を直接結びつける何かを何としてでも見つけたいと考えます。