2011年12月24日土曜日

春日神社と「開有富」開墾碑

滝ノ清水跡のすぐ近くに春日神社と「開有富」開墾碑があります。

春日神社と「開有富」開墾碑

神社前の説明板の内容を紹介します。

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春日神社と「開有富」開墾碑 この神社は、健佐賀足智命、伊波比主命、天子八根命、比売命、健御名方命、下照姫命を祀り、開墾の守護神社として信仰されています。
神社の創建は不詳ですが、江戸時代に長作村農民が、作新台東側(字「享保」)を新田開発し、享保15年(1730)石宮を建立、明治初期には同西側(字「開有富」)を開墾して、明治7年(1874)に社殿を替造りました。
大正元年(1912)に、長作の諏訪神社に合祀され、昭和60年(1985)に作新台氏子中により現在の社殿に改築奉納されました。
開墾碑は、明治2年(1869)の「勧農殖産の令」のもとに、耕地が不足していた長作農民が請願して作新台北部を開墾した時の記念碑です。
この開墾事業は、江戸幕府の牧場「小金牧」であった野馬の放牧地を解放しての開墾でしたので、牧から追われた野馬やアラビア馬などが、明治6年に「習志野原」演習場となった地域に集められました。
そのため、この請願は容易に許可されず、農民は生活に窮しました。
そして、長作村名主・中台武左衛門を中心とする6か村(花島、天戸、長作、三山、田喜野井、高津新田)による野馬引払い嘆願運動に発展しました。
死を覚悟のうえの武左衛門の強訴は、明治4年秋に許され、開墾がなし遂げられました。
その業績をたたえ、明治12年に碑を建立しました。
なお、野馬は明治8年、佐倉牧の三里塚に移されました。
(協力:長作町・諏訪神社氏子中、房総牧研究会   千葉市教育委員会文化課)
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私は、滝ノ清水が縄文時代以前から干天でも飲料水が得られる特別の場所であり、一種の信仰対象であったと想像します。その原始信仰が春日神社の起源であると空想しています。

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