oryzasan氏から2011年11月21日に河川争奪に関してコメント4をいただきました。
これは、このブログのページ「oryzasan氏コメント」に掲載させていただきました。
コメント4ではoryzasan氏が現場調査を実施されて、その結果も踏まえて考えを述べられています。
このコメント4をいただいてから、当方も現場である程度納得のいく情報を得てから、感想を述べさせていただきたいと思い、4日間ほど現場を歩きました。
この現場調査の結果は次の記事で既に詳しく報告してあります。
横戸付近の地形地質 (2011.11.28)
横戸付近の今後の地形地質調査について (2011.11.29)
柏井付近の地形地質 上 (2011.11.30)
柏井付近の地形地質 中 (2011.12.3)
柏井付近の地形地質 下 (2011.12.4)
花島は河川争奪の生き証人 (2011.12.5)
この調査結果を次にまとめました。
1 古柏井川に関連する現場観察結果
次のように説明便宜上の区間を設定して、現場観察結果について述べます。
説明のための区間
区間1
ここには勝田川の河岸段丘(千葉第Ⅰ面)があります。
この河岸段丘の現在の姿は次のようになっています。
鷹の台弁天緑地の地形
ここが河岸段丘であることはoryzasan氏資料にも出いています。
この河岸段丘のボーリング資料をoryzasan氏から示していただきました。「oryzasan氏コメント(2011.11.8)」収録の12180番です。
地形(河岸段丘)と地質資料を対応させて考えることができるワンセット(仮に基礎情報1とします)の存在が確認できたことになります。
区間2
勝田川の河岸段丘(千葉第Ⅰ段丘、千葉第Ⅱ段丘)が拡がっています。
区間3
台地が拡がっていて、道路脇の露頭は全て普請盛土の断面です。
ここに河岸段丘存在の証拠はありません。
ボーリング資料もそのことを物語っていると思います。(この区間の地形と地質資料[ボーリング資料12175番、12176番]のセットを仮に基礎資料2とします。)
区間4
千葉第Ⅰ段丘に連続する古柏井川の河岸段丘が帯上に分布し、段丘上の川側には普請盛土が乗っています。
この段丘面を構成する地層は露頭で観察できる可能性が濃厚ですが、残念ながら今回の調査では主に露頭観察スキル未熟のため十分な観察にいたりませんでした。
区間5
ゴルフ場内に河岸段丘状地形が拡がっています。
ここでも、この河岸段丘状地形とそれに対応する地質資料(ボーリング12177番)のセット(仮に基礎情報3とします)の存在を確認できます。
基礎情報1と3、基礎情報2と3を対比させると、層序の類似性、非類似性から、この場所(区間5)が台地面ではなく、河岸段丘であると考える妥当性が増します。
oryzasan氏提供ボーリング資料に地形情報添加
区間6
台地が拡がっていて、河岸段丘存在の証拠はありません。
区間7
台地上の普請盛土は柏井高校敷地内で観察できますが、それ以上の地形や地質の観察は出来ない区間です。私にとって未踏査といえる区間です。
柏井高校敷地内の普請盛土
区間8
台地に特徴的な凹地が存在します。
この凹地から区間9の河岸段丘までの土質が褐色ローム質細砂か灰色中砂で普請盛土起源であることの示唆を受けました。
また近傍住民ヒアリングで、この一帯が普請盛土地帯であるとの証言を得ました。
さらに、区間9の河岸段丘背後の崖が、その平面形状が直角に変わるなど不自然さが目立ちます。
これらの情報から、凹地から区間9までの間は河岸段丘上に普請盛土が乗っているものとの仮説を持ちました。
(もしこの仮説が正しければ、天保普請の資料から、この普請盛土は天明普請の時のものだと考えます。)
区間9
前谷津(西からの流入谷津)の河岸段丘が分布しています。この河岸段丘の構成地層を確認できる露頭を発見できませんでした。
この河岸段丘の平面形状をよく見ると、古柏井川が北流していたことを確認できます。
区間10
後谷津(東からの流入谷津)の河岸段丘が分布しています。
この河岸段丘の構成地層を確認できる可能性のある露頭を発見しました。今回の調査ではその露頭で細砂やシルトを観察していますが、詳細な層の状況は未調査です。露頭観察スキル未熟に加え私有地であるためです。
この河岸段丘の近辺にも区間8と同じく普請盛土で覆われ一見台地状にみえる段丘面の存在を露頭観察から、仮説として持つにいたりました。
区間11
古柏井川の河岸段丘が断片的に分布しています。地形図の誤りに現場で気づいて、発見した河岸段丘もあります。河岸段丘の構成地層を観察できる露頭は発見できませんでした。
区間12
段丘面が連続的に広がっています。低位と高位に分けることができます。河岸段丘の構成地層を明瞭に観察できる場所は見つかりませんでした。断片的な露頭では細砂やシルトを観察しています。
区間13
花島を含む特徴的な河岸段丘が発達しています。地層を観察できる露頭は発見できませんでした。
河岸段丘の詳細な形状から、花島のできた経緯に関する仮説を、河川争奪とのかかわりで考えました。
2 oryzasan氏コメント4の感想
oryzasan氏はコメントの中で、「花見川開削部の入り口(横戸側)と出口(柏井側)の東西両岸壁面上部にはローム層が分布し、この部分が地山であることを確認しました。従って「古柏井川」の谷は存在しないか、あったとしても、その幅は開削部の内側にとどまっており、Coolerさんの言われるように、外側へ「はみ出る」ことはありません。この問題は結局、振り出しに戻ったことになります。」と述べられました。
しかし、上述(1 古柏井川に関連する現場観察結果)した通り、普請盛土のある場所だけでも区間4、5、8で河岸段丘の存在が確認あるいは仮説されます。
また区間1、2、9、10、11、12、13には現物の河岸段丘が確認できます。
こうした調査結果から、正直にいって「振り出しに戻った」と実感することができませんでした。
oryzasan氏のコメントを学習させていただき、錆びついたギアに油を入れていただいたようになり、知識面で相当ステップアップできたと思います。感謝申し上げます。
自分としては花見川河川争奪について解明したいので、引き続き調査を深めていきたいと思っています。oryzasan氏のアドバイスがまた得られれば、うれしいです。
追伸
⑤谷幅について
「広い谷底と崖錐発達」の崖錐は、西から流入する谷津が本流出口で形成している円錐体の地形を指したものです。
米軍撮影空中写真で立体視すると、教科書にモデルとして出てくるような円錐体に見えます。
扇状地と呼ぶにはあまりにも小さく、段丘と呼ぶにはあまりにも円錐形であるので、崖錐と呼びました。
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