2018年7月17日火曜日

住居壁が最初から無い竪穴住居存在の可能性

大膳野南貝塚後期集落で住居壁が最初から無い竪穴住居が多数存在しているのではないかと疑問を持ちましたのでメモしておきます。

1 住居壁が検出されない竪穴住居の分布
覆土層が存在していない竪穴住居は住居壁が検出されない竪穴住居であり、次のように分布します。

竪穴住居 覆土層の有無

2 住居壁未検出の理由としての「後世の削平」に対する疑問
住居壁が検出されない竪穴住居は発掘調査報告書では他の遺構との重複などの理由の他は全て「後世の削平」によるとして説明されています。
しかし次のような疑問が生れます。

2-1 断面図上で確認できる「後世の削平」の不自然さ
台地面にある竪穴住居の多くは住居壁が検出されませんが、J57竪穴住居だけしっかりしている住居壁が検出していて、周辺の竪穴住居との違いが際立っています。そこで隣接するJ71竪穴住居、J100竪穴住居との断面図を比較してみました。

J57竪穴住居の住居壁だけ偶然後世の削平を免れたのか? 大膳野南貝塚発掘調査報告書のデータによる
J71とJ57の柱穴の間の距離は4m、J57とJ100の距離は3mです。そのような至近距離でJ57竪穴住居だけ住居壁がそっくり残り、J71とJ100では「後世の削平」で跡形もなく完全に失われたのは私には大変不自然なできごとのように感じられます。
少なくとも垂直方向の位置が下であるJ100竪穴住居に住居壁の一部が検出されてしかるべきです。J57竪穴住居と3mしかはなれておらず、かつその下方向にあるJ100竪穴住居住居壁を完全に除去するような後世の削平が行われた可能性は限りなくゼロに近いのではないかと考えます。もともとJ100竪穴住居に住居壁がなかったと考えられます。
台地面に広がる住居壁のない竪穴住居は「住居壁が完全に検出されないもの」ばかりであり、「住居壁の一部」「住居壁の極一部」が検出されたものはゼロです。
後世の削平で台地面の竪穴住居が破壊されたならば、住居壁が残るもの、住居壁が一部残るもの、住居壁が完全に残らないものが必ず生まれると思います。ところが大膳野南貝塚では住居壁が一部残るものが完全にゼロであることから、後世の削平により住居壁が失われたという発掘調査報告書の説明に疑問が生れます。もともと台地面では住居壁のない竪穴住居がほとんどであり、それがそのまま出土したのではないかという疑問が生れます。

2-2 貝層下遺構で確認できる「後世の削平」のあり得なさ
J123竪穴住居はその上部が南貝層に覆われた位置にありますが、周辺竪穴住居と違い住居壁が出土しません。

J123竪穴住居の位置

J123竪穴住居 住居壁未検出の様子 大膳野南貝塚発掘調査報告書のデータによる

J123竪穴住居 住居壁未検出の説明 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・加筆
発掘調査報告書では住居壁未検出について、「後世の削平および遺構重複等により住居壁は失われており・・・」と説明しています。
断面図C-C`のC付近にあるべき住居壁がないので、その理由を「後世の削平」として説明しています。
しかし、この付近の遺構はすべて南貝層に覆われていて、それを剥いで遺構を検出したのですから、「後世の削平」で住居壁が失われたという説明はあり得ません。J123竪穴住居の南側には最初から住居壁は無かったと言えます。
なお、周辺の竪穴住居の住居壁をみると北側(台地側)に存在していて、南側(谷底側)に存在しないものが多くなっています。これは斜面を利用して竪穴住居を建設した際の作り方がこうなっていたからです。後世の削平と関係ありません。
J123竪穴住居も遺構重複で失われた北側には住居壁があった可能性があります。

J123竪穴住居近傍における他竪穴住居住居壁の様子 大膳野南貝塚発掘調査報告書図面から作成

3 発掘調査報告書における「後世の削平」について 
発掘調査報告書では、J123竪穴住居に限らず南貝層、北貝層下から出土した竪穴住居のうち住居壁が無いものは全て「後世の削平」により失われたと説明しています。貝層を剥いでその下にある遺構について「後世の削平」で説明することはあり得ないことです。このような説明から発掘調査報告書では次のような前提で記述が行われたと考えられます。
1 全ての竪穴住居は当初住居壁を持っていた
2 理由不明の住居壁未検出は「後世の削平」として全部一括説明する
このような前提で記述した結果、2-1で検討した通り台地平面上で「後世の削平」と考えると遺構出土状況が大変不自然であることが判明しました。全ての竪穴住居は当初住居壁を持っていたという大前提が間違っている可能性が濃厚です。また2-2で検討したとおり「住居壁未検出=後世の削平」という図式を機械的に当てはめた結果、後世の削平があり得ない場所でも「後世の削平」を強引に記述する間違いをしています。
こうした疑問から発掘調査報告書における「後世の削平」記述は、当該遺構における現場観察としての「後世の削平」情報が反映されたものではないと判断できます。
従って、「後世の削平」記述はすべて利用しないことが大切であると考えます。
なお、当然のことながら「後世の削平」という事象は大いに存在していたと考えます。しかし、残念ながらその様子を発掘調査報告書から汲み取ることはできないと考えます。

4 住居壁が最初から無い竪穴住居が存在していた可能性
発掘調査報告書の「後世の削平」記述を利用しないことにすると、俄然、住居壁が最初から無い竪穴住居の存在が浮かびあがります。住居壁が無いとは竪穴ではないのですから言葉としては「竪穴住居」ではなくなりますが、とりあえず住居壁の無い竪穴住居と呼ぶことにします。
台地面上の竪穴住居の多くが住居壁の無い竪穴住居であった可能性が濃厚になりました。
平らな台地面に本当に竪穴を掘ったら雨の時に排水不能になります。そうした側面から考えても平な台地面では竪穴のない住居が一般的であった可能性が濃厚です。
斜面上の竪穴住居は台地側に住居壁があり、谷底側に住居壁がない竪穴住居が一般的であった可能性が濃厚です。
大膳野南貝塚で住居壁の無い竪穴住居が有るならば、それは大膳野南貝塚だけの特殊事例とは考えづらいですから、必ずや近隣遺跡の台地面にあるはずです。今後調査したいと思います。

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