2011年5月28日土曜日

花見川の語源3

(宇那谷川流域の記事は、花見川語源の情報発信の後、継続して連載する予定です。)

1 過去記事の概要
 花見川の語源については、「花見川の語源1」、「花見川の語源2」で、要旨が次ぎの記事を書いています。

 ハナミのハナは先端の意味であると解釈しました。
 柳田國男著「地名の研究」(昭和10年)の次の説明をそのまま当てはめて考えました。

「ハナはすなわち塙(はなわ)であって、民居の後ろにのぞんだ高地なるゆえに・・・」
「ハナグリのハナはたぶん突出の意味であろう・・・」
「『落葉集』巻一に、「ハナ山、山の差出たる処を謂ふ、塙に同じ。ハナワ、塙と書けり、山の差出たる処也」とあるのは、あるいは『奥儀抄』によったのかも知れぬが、現今常陸稲敷地方で、高い地所をハナワというのは事実である(茨城県方言集覧)。所によっては花輪と書き、または半縄と書くのも多い。あるいは猪鼻または竹鼻などもあって・・・」
「このハナワなどはアイヌ語だといっても、たいてい誤りはあるまい。アイヌ語のPana-waはPena-waに対する語で、ワは「より」、パナは下、ペナは上である。パナワとはすなわち「下から」という意味である。日当たりがよく、遠見がきいて、水害を避けつつ水流水田を手近に利用しうる地勢だから、人が居住に便としたに相違ない。猪鼻台などのイは、すなわちイナカのイであって、民居ある高地と解せられ得る。」

 この柳田の説明から、花見川、花島だけでなく、花見川にかかる亥鼻橋の亥鼻も同源であると考えました。近くの船橋の花輪(花輪インターチェンジなど)も同源の例として示しました。

2 「ハナ」の新素材発見
 最近、上記考えを補強し、場合によってはさらに展開させるかもしれない素材を2つ発見しましたので、紹介します。

ア 天台地先では、花見川を亥鼻川と呼んでいること。字「猪ノ鼻」もあること。
 原著者和田茂右衛門「社寺よりみた千葉の歴史」(千葉市教育委員会発行)209ページの34花見川の項に「天戸地先では亥鼻川と呼ばれています。天戸町の旧坊辺田村地先にかけられた橋は、亥鼻橋と名付けられております。この橋名については、嘉永2年(1849)2月の御鹿狩六手鹿狩絵図には、猪鼻橋と記入してあり、これも亥鼻川から取って名づけられた橋名だと思われます。」と記述されています。

 また、幕張町誌(注)を読むと、第六章行政の土木の項に次の記載があり、天戸地先に字「猪ノ鼻」があり、地名として確認できます。

            幕張町誌の第六章行政の土木の部分
注 幕張町誌 次の添え書きがある原稿コピーを千葉市立中央図書館から帯出閲覧しました。(禁帯出本を帯出本に変更していただいた職員の方の好意に感謝します。)
「『幕張町誌』は、幕張町役場にあったものを、昭和48年に和田茂右衛門氏が借用し、それを千葉市史編纂委員会で増コピー、2001年にそれをさらにコピーして、幕張公民館図書室に備えるものとした。この資料は、千葉市中央図書館が、2008年に幕張公民館より借用し、コピー製本したものである。」

 この知識を得てから、「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」の472ページに収録されている「天戸村字訳絵図 1876(明治9年)3月」(天戸村湯浅正夫家所蔵)を見ると、縮尺の関係で読めなかった文字「字猪の鼻」が読めました。

            「天戸村字訳絵図 1876(明治9年)3月」(天戸村湯浅正夫家所蔵)部分
 「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」(千葉市発行)より転載
 図の左下の小さな四角いくくりの中に「字猪の鼻」と書いてあります。事前の情報がなければ縮尺の関係で読めません。

 地名「猪の鼻」、河川名「亥鼻川」が情報として、現代にまで伝わってきていることを、しっかりと確認できました。

イ 地名「花輪」、自然地形名「花輪台」の確認
 柳田國男の塙、花輪、半縄などの地名について、たまたま思い浮かんだ船橋市の花輪(インターチェンジ)を近傍の例として、これまで説明してきました。
 しかし、これは私の知識不足で、お膝元の検見川に正真正銘の「花輪」地名があることを最近知りました。
 「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」(千葉市発行)376ページの「字掘込周辺の地番割図 1934(昭和9)年4月作製1992年写」に字として「花輪」が確認できます。

            「字掘込周辺の地番割図 1934(昭和9)年4月作製1992年写」部分
            「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」(千葉市発行)より転載

 また、この台地を「花輪台」と呼んでいることを知りました。この情報は、原著者和田茂右衛門「社寺よりみた千葉の歴史」(千葉市教育委員会発行)172ページからのものです。(「この花輪台を横切っている国鉄は、…」

3 「ハナ」の原義が忘れられた後の花見川語源情報
 原著者和田茂右衛門「社寺よりみた千葉の歴史」(千葉市教育委員会発行)170ページ、209ページには、「千葉実録」(治承4年〔1180〕頃)に次のような記述があることが記載されています。
 「源頼朝が治承の昔この地を通行のさい、川の名を問われた時、千葉常胤の六男東六郎太夫胤頼が二首の和歌を差し上げて答えました。
 行く水の色もあやなる花見川 桜波よる岸の夕風
 水上の藻にや咲くらん谷川の花見にけらし峰の春風」

 縄文人が縄文海進の時代につけた地形を示す地名「ハナ」「ハナミ」の意味が忘れ去られ、輸入された外国文化としての漢字「花見」を当てはめ、美化してストーリーを作った例が上記の情報の本質だと思います。
 地名は専ら会話で使われるから、その音(この例では「ハナミ」)がしぶとく残るという、地名の継続性に感動します。

 検見川の花園町、花園1~5丁目、南花園1・2丁目の花園は「新町名設定に際し、当時の宮内三朗助役が『美しい花園のような町』になることを願い命名した」と「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」(千葉市発行)375ページに記述されています。
 実は、現在の花園のその場所に字「花輪」があったのです。
 私から見ると、縄文人の「ハナワ」の「ハナ」の原義は現代人に忘れられたけれども、「花」という漢字の美しさにも支えられて、「ハナ」が「花園」として地名の中に辛くも繋がったことは、良かったと思います。「花園」命名の際に、「花輪」を残したいという土地の人々の気持ちが、当時の命名者にも届いていたのかもしれません。


4 花見川流域における「ハナ」地名、河川名
 花見川流域における「ハナ」地名、河川名を整理すると、次のようになります。
●河川名
花見川
亥鼻川
●地名(字名)
花島
猪の鼻
花輪
●地形名
花輪台

 次に、ハナミ、イノハナ、ハナシマ、ハナワの意味について探りたいと思います。
 文章が長くなりすぎるので、記事を改めます。

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