迅速図(明治前期測量2万分1フランス式彩色地図-第一軍管地方二万分一迅速測図原図-)は首都防衛のために陸軍が明治15年ごろ作成した地図です。この地図に視図(しず)と呼ばれるスケッチが描かれています。「千葉県下総国千葉郡大和田村」図幅には視図として馬防土手が4点掲載されていますので紹介します。
このスケッチは行軍時の作戦上重要な地物を描いています。馬防土手は軍馬運用上の軍事情報として掲載されたものと考えられます。しかし、小金牧の野馬土手がほとんど失われた現在、このスケッチは貴重な文化財情報になったと言ってよいと思います。
次の地図範囲はほぼ迅速図「千葉県下総国千葉郡大和田村」図幅を表しており、迅速図に掲載されてる馬防土手を抽出しています。また、視図位置を示しています。
迅速図の馬防土手分布と視図位置
次に馬防土手の視図を示します。
ニ 実籾村馬防土手
3.8mと2.5mの高さが示されています。
ホ柏井村馬防土手
6.0mと4.0mの高さが示されています。
ヘ 柏井村字大堀馬防土手
4.2mと2.8mの高さが示されています。
ト 高津新田馬防土手
4.0mと2.5mの高さが示されています。
これらの視図から、小金牧の野馬土手は堀(空堀)を伴う2連の土手から作られていたことがわかります。
次の写真は「ト高津新田馬防土手」近くの現在の野馬土手の状況です。
習志野演習場内の野馬土手の現在の姿
初めまして。
返信削除小金牧の野馬土手を探して歩くのが趣味の「土手マニア」です。今回、貴重な資料を掲載していただき有難うございます。
北の方の迅速測図には崖下の野馬土手のスケッチがなく、初めて拝見しました。
メタ男さんコメント投稿ありがとうございます。
返信削除私は小金牧の野馬土手がどのように地形を利用していたのかなどについて興味を持っています。
情報があれば教えていただければうれしいです。
はじめまして。
返信削除メタ男さんに教えていただいて、ブログを拝見しました。
素晴らしい資料で、下野牧の野馬土手の位置などがよく分かり、大変参考になりました。
ありがとうございます。
私も野馬土手マニアですので(とっても写真を撮るばかりですが)、またおじゃまさせていただきます。
東葛人さんコメントありがとうございます。
返信削除趣味の「野馬土手」の楽しみ方などに興味が湧きます。
東葛人さんやメタ男さんがもしWEBにページを持っていたら教えてください。
クーラーさん、今日は。
返信削除小金牧の土手ですが、初期には村落を牧から仕切るように、中期以降は、台地の端を新田として土手で分離し、牧を囲むような土手が多いように思えます。掌を台地とすると指の関節の線のような感じでしょうか。八柱霊園の東のヘリの線が典型的なものに思えます。
馬も、深い谷津にはあまり下りないので、深い谷津との境の土手は少ないと思います。
浅い谷津との境では土手が築かれましたが、上野牧など北部では、斜面の上が多かったようです。資料を拝見し、斜面の下の谷津が描かれていることに驚いた次第です。
ちょうど、東葛人さんと、駒止谷に土手が残ってないか情報交換もしたところで二重に驚きました。駒止谷の土手は自衛隊内の土手とつながっていたようです。
メタ男さん野馬土手と地形の関係の一端について教えていただきありがとうございます。
返信削除高津川の谷津は台地の上の浅い凹地に変化し、最後は平坦地になります。顕著な崖がないところが多い。だから北高津川では川沿いに野馬土手があることがわかりました。高津団地すぐ上流の演習場内ではそうでした。
これからは折に触れて野馬土手についても興味を深めたいと思います。