2015年6月21日日曜日

八千代市北海道遺跡の活動活発時期イメージ

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.153 八千代市北海道遺跡の活動活発時期イメージ

八千代市北海道遺跡のゾーン別年代イメージを把握しておきます。

1 萱田地区遺跡の竪穴住居消長図
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)に萱田地区遺跡の竪穴住居消長図が掲載されています。

その図に、竪穴住居活動が活発であった時期が前半期(主に8世紀代頃をイメージ)のものと、後半期(主に9世紀代頃をイメージ)のものに2分した色分けをして、検討図を作成してみました。

北海道遺跡及び近隣遺跡の竪穴住居消長
北海道遺跡Ⅱゾーン、Ⅵゾーンは情報が掲載されていません。

この2分割塗色の目的は、あくまでも遺跡消長の大局観を得るためであり、正確な遺跡消長を知ろうとしているのではありません。

2 竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分
この図に基づいて、北海道遺跡のゾーンを前半期活発ゾーンと後半期活発ゾーンに2分して色分けしてみました。

北海道遺跡 竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分

須久茂谷津河口付近の河岸段丘の低い土地のⅦゾーン、Ⅷゾーンが3期(9世紀初頭)までの活動が活発であり、それ以外のゾーンは4期(9世紀前半)以降の活動が活発であったということになります。

須久茂谷津河口付近に存在したと推定する津(港湾)に近い場所から開発が進んだといえます。

参考に白幡前遺跡と井戸向遺跡の同じ活動活発時期区分図を掲載します。

白幡前遺跡と井戸向遺跡の竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分

3期(9世紀初頭)までの時期、北海道遺跡Ⅶゾーン、Ⅷゾーンは白幡前遺跡1A、1B、2A、2Bゾーンと交流があったと想定し、遺構の量や出土物から白幡前遺跡が親、北海道遺跡が子という主従関係のイメージで捉えられるのではないかと想像します。

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