八千代市白幡前遺跡、井戸向遺跡のさらに北に隣接する北海道遺跡の検討に入ります。
白幡前遺跡・井戸向遺跡と北海道遺跡はさらに北に位置する権現後遺跡とともに律令国家が与えた同一のミッションの下に活動が展開していた圏域にあると考えられます。従って、これら4遺跡は、同じような視点・指標で検討し、その中で遺跡(ゾーン)の特性をえぐり出したいと考えています。
検討の基礎資料は「八千代市北海道遺跡 -萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅱ- 本文編」(1985、住宅・都市整備公団 首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)及び「同 図版編」(同)です。
1 北海道遺跡のゾーン区分
報告書では遺構をⅠ~Ⅷの群に分けて記述しています。
このブログではこの遺構群を地域的なゾーン区分に見立てて利用することにします。
八千代市北海道遺跡のゾーン区分
2 北海道遺跡の地形
現在地地形(開発後地形)とゾーン区分図を重ねると次のようになります。
現在地形とゾーン区分図のオーバーレイ
Ⅰゾーンが台地面、ⅡゾーンとⅢゾーンが台地面と河岸段丘面との境付近、Ⅳ~Ⅷゾーンが河岸段丘面に位置します。
白幡前遺跡と井戸向遺跡は同じ平戸川の津(寺谷津河口の津)を利用していましたが、北海道遺跡はそれとは別の須久茂谷津河口の津を利用していたと考えられます。
3 北海道遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)
ゾーン別の竪穴住居跡、掘立柱建物跡、竪穴住居跡/掘立柱建物跡の値を、白幡前遺跡、井戸向遺跡の値と一緒に次に示します。
北海道遺跡及び白幡前遺跡・井戸向遺跡の建物指標
竪穴住居跡/掘立柱建物跡の値は1棟の掘立柱建物を支える(あるいは利用する)竪穴住居の数であると考えることができます。
この数値が大きければ竪穴住居数に対して掘立柱建物数が少ないことを示し、反対に数値が小さければ竪穴住居数に対して掘立柱建物数が多いことを示しています。
この数値(竪穴住居跡数/掘立柱建物跡数)をこのブログでは仮に「竪/掘」値(タテホリチ)と呼んでいます。
奈良時代・平安時代にあっては、「竪/掘」値が大きい集落は一般農業集落的性格が強く、「竪/掘」値が小さい集落は掘立柱建物を居住や業務・倉庫としてとりわけ多数利用していることから、支配層居住地域、業務地域、職能集団活動地域、寺院地域などの性格が強いと考えます。
北海道遺跡ではそもそも掘立柱建物が存在しないゾーンが多く、「竪/掘」値が小さいゾーンはⅢゾーンだけで、その分級はbとなります。
「竪/掘」値という指標からは、遺跡全体としては一般農業集落的性格が強いと考えます。
北海道遺跡の「竪/掘」値を図化すると次のようになります。
北海道遺跡の「竪/掘」値の図化
参考 白幡前遺跡・井戸向遺跡の「竪/掘」値の図化
「竪/掘」値により遺跡概況のイメージができました。
次の記事では別の指標で北海道遺跡を捉えてみます。
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