2015年8月9日日曜日

白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 1

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.183 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 1

白幡前遺跡出土墨書土器の現物を八千代市立郷土博物館で閲覧させていただきました。
閲覧した墨書土器は次の13点です。

閲覧した白幡前遺跡出土墨書土器

白幡前遺跡だけでも墨書土器は827点出土しています。また八千代市域から出土した墨書土器は3507点になります。(千葉県出土墨書土器・刻書土器データベースによる)

この全てが八千代市立郷土博物館にあるわけではないのですが、八千代市立郷土博物館の研究員の方には多数ある墨書土器史料から当方が閲覧希望した特定史料の現物を探していただき、また他機関が所蔵しているものはそれと類似した史料を用意していただきました。
八千代市立郷土博物館に感謝申し上げます。

墨書土器現物を実際に手に取って観察してみると、発掘調査報告書やデータベースで墨書土器の情報を分析検討している時には思い浮かばなかった感想を得ましたので、メモすることにします。
この記事では2Cゾーン521番史料を手にして生まれた感想をメモします。

感想 1 墨書筆跡が不明瞭なものの復元方法に興味を持つ
発掘調査報告書やデータベースでは墨書筆跡はすでにスケッチしてあって、情報利用者は明瞭な史料情報を利用します。

しかし、現物では筆跡が明瞭なものもありますが、不明瞭なものもあります。

こうした現物の状況から、不明瞭な墨書筆跡を検討して本来の筆跡を復元する作業が発掘調査報告書作成時点では重要な作業であったことに気が付きました。

専門的な墨書筆跡鑑定技術が存在していることに気が付きました。

一見して墨書筆跡が判りづらい例 大一(たいいつ)
刻書と朱墨により大一(たいいつ)が重なって書かれている。

墨書筆跡スケッチのオーバーレイ
墨書筆跡スケッチは発掘調査報告書による

このように不鮮明な墨書筆跡を復元してスケッチを書くためにどのような技術を利用しているのか興味が湧きます。

過去の鑑定結果が豊富であるため薄い筆跡を確実に探し出せる眼力があるのか、それとも光学的な機械を使うのか、あるいは水や薬剤等を使うのか、いつかその技術を知りたいと思います。

また判別した筆跡をスケッチする方法も知りたいと思っています。スケッチは墨書で行っていると思いますが、写真の上に透明な紙を載せて書いているのでしょうか?

感想 2 墨書は継続的に生起する行為に対応している
この土器(坏)は須恵器で全体が黒っぽい色をしているために、最初に黒墨ではなく朱墨で大一(たいいつ)が書かれたと考えます。

恐らく須恵器では土師器より墨書が乗りにくく、朱墨で書いたとしても土器利用を重ねるうちに、大一(たいいつ)の文字は読みにくくなったことだと考えます。そうした状況があったので、この土器利用者はあらためて刻書で大一(たいいつ)を刻んで土器に確実に文字を書きこんだのだと思います。

朱墨による墨書→刻書の順番は、刻書の溝に朱墨が無いのに、土器がつくられたときの渦巻き状溝には朱墨が残っていることから判明します。

墨書と刻書の拡大図

朱墨による墨書が消えかかったので、それではまずいので刻書で文字を書く(刻む)という行為から、この土器の墨書(刻書)は「1回限りの祈願」のためではないことが確実にわかります。

この土器を使って大一(たいいつ)つまり大一星(北極星)を念頭に日常的に祈願とか式が行われたと考えます。

日常継続的にこの土器が祈願に使われたので、結果として墨書と刻書の2つが残ったのです。

墨書土器は個人利用の道具(食器)です。マイツールです。しかしマイツールに書いた祈願語はその個人が属する集団のミッションを表現している場合が多いと考えます。

521番史料所有者は大一式占に関わる陰陽師集団の一員であったと考えます。

感想 3 墨書・刻書が底外面に書かれた(刻まれた)ことから、食器として使われていない時にも役割がある

墨書・刻書が食器として使われ無い時は、この鉢は裏返して棚の上に置かれていたと考えます。現代の様に多数の食器がある時代ではないので、食器を重ねて置くということは無かったと考えます。
土器は棚の上に、裏返して、底を上にして置かれたと考えます。その時、墨書・刻書が誰の目からもはっきり見ることができます。

墨書・刻書の様子からその所有者が判るとともに、その所有者が常日頃祈願している内容あるいは祈願先(祈願で頼る神)などが判ります。

墨書土器は食事や祈願・式以外の利用しない時間においても、集団の中で一種のスローガン表示のように使われた可能性があります。

鉢が伏せられて置かれていた状況

2Cゾーンから大一(たいいつ)の墨書土器が集中して多数出土していますが、これらの土器が使われていた時代、食事時以外の時間では食器棚に各人がめいめい書いた大一(たいいつ)文字が並び、室内の雰囲気は陰陽師集団の結束を強めるものになっていたと考えます。

参考記事
2015.05.14記事「八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その4
2015.05.16記事「組文字「大一(たいいつ)」の出土分布
2015.07.10記事「大一(たいいつ)に関する情報収集

参考 521番史料のデータ(千葉県出土墨書・刻書土器データベース)
№:04-06-007-0522(0607521
遺跡名:白幡前遺跡 2群C
出土遺構:206竪穴住居
出土状況:覆土
時期:8世紀後半
釈文:夫※、夫※
記名部位:底部外面、底部外面
口径:12.8
底径:8.0
器高:4.3
器種:坏
器質:須恵
墨・刻:墨書、線刻
出典:<千葉県文化財センター調査報告 第188集>八千代市白幡前遺跡 萱田地区埋蔵文化財調査報告書5
発行年月:1991.03.30
図・頁:243頁-2群C17-D206-2

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