2016年2月12日金曜日

鳴神山遺跡 土器器種別割合

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.287 鳴神山遺跡 土器器種別割合

鳴神山遺跡出土土器の機種別割合をカウントして、萱田遺跡群と比較してみました。

鳴神山遺跡遺跡と萱田遺跡群 出土土器器種別割合

遺跡全体を比較するという大変大ざっぱな比較を行うと、鳴神山遺跡と萱田遺跡群全体とでは器種別割合の顕著な差異は無いような感想を持つことができます。

鳴神山遺跡では年代別情報を使っていますので、器種別割合を年代別にカウントしてみました。

次にそのグラフを全部示しますが、大変顕著な特徴を知ることが出来ました。

鳴神山遺跡竪穴住居 出土土器器種別割合 7世紀~8世紀第3四半期

鳴神山遺跡竪穴住居 出土土器器種別割合 8世紀第4四半期~9世紀第3四半期

鳴神山遺跡竪穴住居 出土土器器種別割合 9世紀第4四半期~10世紀第1四半期

坏類の割合(%)が7世紀から10世紀第1四半期までの間に43.8→46.4→47.7→51.6→55.3→60.9→63.3→63.3→64.8→72.5と増加し続けます。

一方、甕類はその反対に割合が減少します。

大変顕著な土器器種割合変動の実態を知ることができました。

坏類の割合が増加し、甕類の割合が減少する要因として、次のような項目を挙げることができます。

●坏類はマイ食器であり個人所有物であり、祭祀毎に打ち欠きで消費したので、墨書土器風習が広まるにつれて消費量が増大したと考えます。

●年代が経つにしたがって土器製造の技術革新が進み土器の価格が低くなり、土器の普及が進み、上記理由による坏類消費増大に拍車をかけたと考えます。

●甕類は飲料水を蓄えたりするなど生活に不可欠であり、生活レベルの高低に関わらず竪穴住居ごとに基本セットが必ず常備されていたと考えます。そして大型であるため予備品を備えることも少なかったと考えます。墨書土器として打ち欠きされることもなかったと考えます。従って、年代に関わらず竪穴住居に常備されていた数の変動は少なかったと考えます。

0 件のコメント:

コメントを投稿